重い……。身体が鉛のように重くて、怠い。
次にルークが目を覚ました時に感じたのは、そういう感覚だった。
ぼやけていた視界が徐々にクリアになっていく。
全体的に薄暗いこの場所は、何処かの廃墟だろうか?
耳をすませてみると、微かにだが誰かの声が聞こえてくる。
逃げなければ……。
そう頭ではわかっているのに、身体がいうことをきいてくれない。
別に両手足を拘束具を嵌められて動けないようにされているわけでもないのに……。
それだけ、飲まされてしまったあの薬との相性が悪かったのだろうか?
子供の頃から様々な薬を盛られてきたので、ある程度の耐久はついていたはずなのに……。

(……もしかして……俺のことに詳しい奴の仕業……なのか?)

ルークがそんなことを考えているうちに微かに聞こえてきた会話が一通り終わったのか、扉の開く音が聞こえてきた。
その音にルークは、自分のことを拉致させたであろう人物の顔を確認しようと何とか視線だけでも変えてみた。
そして、その人物を確認したルークは、言葉を失うのだった。


~緋色の代償~

「……あぁ、ルーク様。お目覚めになられたんですね!」

その男は、人のよさそうな笑みを浮かべてルークにそう言った。
その笑みは、ルークもよく知っているものだった。
昔は、その笑みを見ると安心していた。
でも、今はは違った。

「…………ファントム。なん……で?」
「! あぁ! ルーク様! 私の事、憶えていてくださっていたんですね!!」

ルークに名前を呼ばれた男――ファントムは、本当に歓喜したように声を上げた。

「ルーク様がお屋敷から抜け出したと知り、私はありとあらゆる手を使ってあなた様を御捜しておりました」
「……それは……一体……誰から……?」

彼がこのことを知り得ることなんてありえなかった。
昔は、自分の護衛役の一人として屋敷にいた彼。
でも、今は、とある事件がきっかけで彼は、屋敷から忽然と姿を消したのだった。
もし、知り得るとしたら……。
その予想が決して違うことを願いながら、ルークはファントムに問う。

「誰から……ですか? そんなのもちろん"あの方"からに決まっているじゃないですか」
「!!」

だが、ルークの願いとは裏腹に首を傾げながら楽しそうに笑ってそう言ったファントムの言葉にルークは愕然とした。
嘘だ。そんなはずない。
だって……。
そう思っているはずなのに、ファントムの言葉を否定できなかった。

「……俺のことを……連れ戻すのか?」
「はい。それが、"あの方"の望みでもありますから。ですが……その前に、確かめないといけないことがあります」

そう言ったルークの声は、おそらく恐怖で震えていただろう。
今すぐにでも、ここから逃げ出したい思いでいっぱいなのに、身体が思うように動かなかった。
そして、ファントムはルークの問いに答えつつ、ゆっくりとルークが寝かされているベッドへと近づいてくる。
そして、その手にはしっかりと剣が握られていた。

「…………ルーク様。少し……ご無礼をお許しくださいね」
「ファントム? お前……一体、何――――っ!!」

優しい笑みを浮かべてそう言ったファントムの言葉の意味がわからず、ルークが聞き返そうとしたその時だった。
ルークは、声にならない悲鳴を上げたのは……。
それは、ファントムが何の躊躇いもなく、ルークの右肩へ剣を突き立てたからだった。
右肩に激しい痛みと熱がルークの身体を駆け巡った。
そんなルークの様子を見て、ファントムは嬉しそうに笑った。

「あぁ! 流石は、ルーク様だ!! この程度の痛みでは、声もお上げにならないのですね!! では、これなら……どうですか?」
「うわああああぁぁぁっ!」

そして、ファントムは、ルークの右肩から剣を勢いよく引き抜くとそのままの勢いで、今度は左肩へと剣を突き立てた。
その痛みに今度は耐え切れず、ルークは大声を上げた。
ルークの白い服が己の血で徐々に赤く染まっていく。

「あぁ……。なんて素敵な声なんでしょう。それに……こちらも大分いい具合になっているようですよ、ルーク様」
「はぁ……はぁ……」

痛みに苦しむルークの姿を見て、ファントムは恍惚したような目つきでルークを見つめ何かを言っている。
その狂気とも思えるファントムの眼差しにルークは、身震いした。
彼は、一体何時から自分に対してこんな眼差しを向けるようになってしまったのだろうか……。
怖い。逃げたい。誰か助けて……。
けど、誰も俺のことなんて助けてはくれない。
誰も……。

――――……お前は、もう一人じゃねぇんだぞ。もっと、オレたちに頼れ。

そう思っているはずなのに、ルークの頭に過ったのは、自分の頭を優しく撫でてくれた人物の顔だった。
あの腰まで伸びた漆黒の髪と紫の瞳を持つ彼の顔が……。

「…………たす……け……て」

そのせいだろうか。ルークの唇が無意識のうちに動いていたのは……。
誰にも助けを求めてはいけないと、巻き込んではいけないと、頭ではわかっているのに……。
それでも呼んでしまった。

「…………ユー……リ……」
「!!」

ルークの口からそう声が漏れ出たその時だった。
部屋にある扉が吹っ飛んだのは……。
そして、そこから一つの人影が現れたのは……。
その人影を見たルークは、一瞬、幻かと思った。
その人物が、ここに現れるとは、思ってもみなかったから……。

「…………ユー……リ……さん?」

ルークの姿を目にして言葉を失っている人物――ユーリに対して、ルークはそう弱々しく呟くのだった。





* * *





目の前に広がる光景にユーリは、言葉を失った。
薄暗い部屋の中にあるベッドには、ルークの姿があり、その近くには一人の男が立っていた。
その男の手には、剣が握られており、その剣先はルークの左肩を貫いていた。
部屋が薄暗くてもそれだけは、はっきりとわかった。
ルークが来ていた白い服が真っ赤に染まっていた。
それを目にした瞬間、ユーリの中に激しい感情が沸き上がってくる。
どす黒い感情が胸の奥から湧き上がってくる。

「…………ユー……リ……さん?」

「!!」
そして、そのルークの弱々しい声を聞いた途端、ユーリの中で何かが弾けた。
考えるよりも先に剣を抜く。

「……てめぇ! ルークから離れろっ!! ――――蒼破刃!!」

そして、剣を下から上へと一気に振り上げ、男目掛けて衝撃波を放つ。
それは、男には命中しなかった。
だが、それでいい。
衝撃波を避けるには、ルークから離れる必要があるのだから……。
そして、ユーリのその目論見通り、男は衝撃波を避ける為、ルークから距離を取った。
その隙にユーリは、すぐさまルークの許へと駆け寄り、ルークの身体を起こした。

「坊ちゃん! しっかりしろっ!!」

ルークの状態を近くで確認したユーリは、血の気が引くような感覚になった。
いつもルークが着ている真っ白な服は、彼の血で真っ赤に染まっているのに、彼の顔色はそれとは対照的に青白くなっていたから……。

(……なんでだ)

なんでこんなことになったんだ?
オレが傍についていたはずなのに……。
なんで、ルークがこんな目に遭わないといけないんだよ?
オレがもっと早くここへ辿り着けさえすれば……。

「…………ユー……リ……さん? ……! ダメ!!」
「なっ!!」

ルークが何処か驚いた様子でユーリのことをみつめている。
だが、その表情は、すぐに焦ったものへと変わり、何処にそんな力が残っていたのかもわからないほどの強さでユーリの事を突き飛ばした。
その思ってもみないルークの行動にユーリは、状況の把握が遅れた。
そして、それをすべて理解した時、ユーリの背筋は凍り付いた。
ルークの胸に剣が突き刺さっているのを見て……。

「っ! …………ファン……トム。……もう……これで……充分……だろ? これで……充分、わかった……だろ?」

そう言いながらルークは、ユーリではなく、ファントムという男へと視線を向けた。
その瞳には、身体に剣が突き刺さっているとは思えないくらい、強い光を放っていた。
そして、自らその剣を身体から引き抜くと、ルークは力なくその場に倒れ込んだ。

「坊ちゃん!!」

それを慌ててユーリは、ルークの身体を受け止めた。
しっかりと受け止めたルークの身体は、氷のように冷たかった。
それなのに、何故かルークはユーリのことを見て嬉しそうに微笑んでいた。

「……よかった。……俺のせいで……ユーリさんが……傷付かなくて」
「!!」

そう言ってルークは、ユーリの顔へと手を伸ばした。
その手がユーリの顔に触れた時、その手の冷たさに、ルークの言葉にユーリは言葉を失った。

「…………あぁ! 己の身を犠牲にして他者を御護りするとは! ……流石、私のルーク様だぁ!!」

だが、そのユーリの様子とは反対にファントムは、歓喜の声を上げた。
そして、ファントムは、まるで心酔し切っているかのように気持ちの悪い笑みを浮かべ、ルークのことを見つめている。

(…………やめろ)

見るな。そんな、気持ち悪い視線でルークのことを見るな。
ファントムのその言葉を、その狂った笑みを見た瞬間、ユーリの中に一つの感情が生まれ出す。
それは、先程にも感じたどす黒い感情だった。
殺してやりたい、と。
ルークのことを傷付けた、この馬鹿を!!
その手は、自然と剣へと伸びる。

「…………ユーリ……さん」

だが、そんなユーリの心情を感じ取ったのか、ルークがその腕の方の裾を力なく引っ張り、声を絞り出した。
それに気付いたユーリがルークへと視線を向けるとルークは、首を振った。

「俺のことは……大……丈夫だから…………ないで」
「!!」

そう言ったルークの声は、酷く弱々しく、最後の方は何を言っているのか、ユーリにはわからなかった。
だが、これだけはわかった。
オレが今抱いている殺意を抑えて欲しいということが……。
だから、ユーリは、それに応えようと必死に自分の感情を抑え込む。

「……本当にいいものが見れました。今すぐにでも連れて帰りたいところですが――」

そう言いながらファントムは、ユーリたちへと近づこうとした。
だが、その時、辺りに一つの銃声が響いたので、ファントムは再びユーリたちから距離を取った。

「……どうやら、今回は邪魔が入ってしまったようなので、またの機会に致します。ルーク様、またお迎えに上がります」

ファントムは、そう言って歪んだ笑みを浮かべるとあっさりとその場から立ち去っていった。

「……よかった。…………うっ!!」
「坊ちゃん!?」

安堵したかのようにそう言った後、ルークから聞こえてきたのは、小さな呻き声だった。
その声に、ルークの様子にユーリは焦る。
一刻も早くルークのことを治療しなければ……。

「「ルーク!!」」

その時、部屋の中に二つの声が響いた。
それは、聞き覚えのある声だったので、ユーリはそちらへと視線を向けると、肩で息をしているヴェイグとリオンの姿があった。
そして、二人はユーリの腕の中にいるルークの姿を見た途端、息を呑んだのがユーリにも伝わった。

「…………おい。何があった?」
「……オレのせいだ」

リオンの問いにユーリは、それしか言えなかった。
ルークがこうなったのは、全部オレのせいなんだ。
だが、そんな説明でリオンが納得できるはずもなかった。

「お前! 何で、ルークのこと……!!」
「もうその辺にしておけ」

感情に任せてそう言ったリオンの言葉を制止したのは、低い男の声だった。
それは、ヴェイグのものではなかった。
それに気付いた時には、部屋の中にはもう一人の男が入ってきており、その男の手には銃剣付きのライフルが握られていた。

「リカルド。なんで、お前が……」
「話は後だ。それより、今は他にやるべきことがあるんじゃないのか?」

リカルドの言葉に三人は我へと返る。
そうだ。今一番優先すべきことは、ルークの治療だ。
こんなところで言い争っている場合ではない。

「セレーナには、連絡は取ってある。もう暫くしたら、船も近くまで来るだろう。……行くぞ」

リカルドのその言葉を聞いて、ユーリたちは意識を失ったルークを連れ、バンエルティア号へと急ぐのだった。








緋色シリーズ第12話でした!
はい。何かヤバイ人が登場してきましたが、気にしないでください。
マジ、ファントムヤバいなぁ。。とか思いつつ楽しんで書いていた私www
ルークの事を傷付けられてマジ切れするユーリさん、好きです!!


R.1 12/31