「おはようございます。バーナビーさん」
翌日、またしてもバーナビーはイワンに起こされて目が覚めた。
「…………おはようございます、イワン。貴方は本当に朝が早いんですね」
「違いますよ。僕が早いんじゃなくて、バーナビーさんが遅すぎるんですよ」
イワンの言葉にバーナビーは眉を顰めた。
「……もうそんな時間なんですか?」
「はい。もうそんな時間です」
確かめるようにバーナビーは窓の外を除くと、確かに日はすっかり昇っていた。
それを見たバーナビーは赤くなった。
「いっ、いつもはこんなことなんですよ。僕は、早起きは得意なの方なのですから。……ただ、昨夜気になる事があったので、なかなか寝付けなくて…………」
「? 気になる事ですか……?」
「はい。……あの、叔母様は僕に何か隠し事をしているんじゃないんですか?」
バーナビーは思い切ってそうイワンに訊いてみた。
叔母の事は僕より長く接しているであろうイワンに訊いてみるのが一番だろうと思ったからだ。
「隠し事?」
「はい。何となく感じるんです。叔母様が僕を傍に近づけたくないのは、きっと何かを隠しているからなんだと思うんです。ですが、そんなこと直接叔母様に訊いてもきっと答えて下さらないと思うんです。だから、貴方に訊きたいのです。貴方は僕より叔母様の事よく知っていますよね?」
「……バーナビーさん。昨夜何かありましたか?」
「!!」
イワンは暫くバーナビーの顔を見つめた後、そう口を開いた。
バーナビーは思わず瞠目した。
イワンの口振りは何かを探るような響きであった。
「…………いえ。何も」
バーナビーは咄嗟に嘘をついてしまった。
イワンを騙したかったわけでもないし、況してや嘘も嫌だった。
だが、この時は何故かイワンに昨夜の出来事を話してしまってはいけない気がしたのだ。
叔母にも、そして、あのカリーナやパオリンにも……。
そう、誰にも言ってはいけない気がしたのだ。
「…………ただ、何となくそう思ったんです。あの……イワン。もしかして、貴方も僕に何か隠し事があるんじゃないですか?」
「どういうことですか?」
「貴方にも叔母様に似たものを感じます。何も語ろうとしませんし」
「僕は自分の仕事をするだけです。必要な事のみしか話さないように言われています」
「……それがここでの生活の決まり事、何ですか?」
「はい」
イワンの言葉にバーナビーは溜め息をついた。
「…………わかりました。もう無理強いはしません。ですが、貴方が何も話してくれない以上、僕も貴方には全てを話せない」
「構いません。僕は僕の仕事をするだけですから。その事に差し障りさえなければ」
これ以上は無理だ。
イワンにこれ以上、踏み込めない。
バーナビーは諦めるしかなかった。
~ワイルドタイガーの指輪~
遠くを見渡す限り、灰色の平原が続いている。
その寂しい光景を石造りのテラスから見下ろしながら、バーナビーは物思いにふけた。
一体、いつからのこの城はここに建っていたのだろうか?
人も訪れぬような人里離れたこの場所のすぐ近くには、森も湖もない。
それが、一層この城を寂しいものに見せている。
(最初に、こんな場所に住もうなんて考えた人はよっぽどの偏屈者だったに違いないな)
そう言って呻ってしまいたくなるほど、辺鄙なところにこの城はあるのだ。
リーヴェルレーヴ城。それが、この城の名だった。
美しい名だとバーナビーは思った。
まるで、天空に住まう神々の宮殿につけるのが相応しいような美しい響きだ。
この寂しい古城がそのように呼ばれているとは思いもしなかった。
すると、遥か下の方で馬車の止まる音がした。
(もしかして、また客か……?)
バーナビーは驚いて、手摺から身を乗り出させるようにして見下ろした。
そして、馬車から降りてきた人物を見てバーナビーは目を見張った。
(何だ? あの人達……)
それは、一人の紳士と二人の貴婦人だったが、驚いたのはそのような事ではなかった。
驚いたのは、彼らが身に着けているのものだ。
紳士は銀の仮面で、貴婦人達は喪服を着る時につけるような黒いベールで顔を隠していたのだ。
バーナビーが驚いて立ちすくんでいると、客人の一人である紳士がふと、こちらに気が付いたように顔を上げた。
まるで、バーナビーの視線と気配に気づいたようだった。
(こっちに気付いた……? こんなに離れているのに……?)
仮面の下から、こちらをジッと見ているような気がして、バーナビーの心臓は跳ね上がった。
次に貴婦人達が顔を上げた。
どちらもその表情は、ベールの下に隠れていて見えないが、その二人もバーナビーを見つめているのだということがわかった。
すっかり動けなくなってしまったバーナビーは、彼らの動きを見守るしかなかった。
三人の客人達は暫く、バーナビーを見つめた後、微かな頷きを交わし、城の中へと入っていった。
その途端、呪縛が解けたようにバーナビーはその場にへたり込んだ。
(いっ、今のは何だったんだ……?)
バーナビーにはさっぱりわからなかった。
ただ、言えることは、彼らが僕の事を見ていた事だ。
それも、偶然見たって感じではない。
彼らは紛れもなく、バーナビーを見に、この城へとやって来たのだ。
* * *
その夜、バーナビーは大人しくベッドに入った。
だが、皆が寝静まった頃、突然身を起こすとバーナビーはベッドから降りた。
そして、そっとランプに火を灯し、部屋を後にした。
向かった先は、昨晩見つけたあの部屋だ。
あの暖炉の奥にある隠し階段のある部屋だ。
バーナビーは周囲に人の目がない事を確認してから、こっそりと部屋の中へと侵入する。
部屋の中にある暖炉の奥には、あの時と同じように確かに地下へと伸びる階段があった。
バーナビーは暫くその中を思案するように覗き込んでいたが、覚悟を決めたように階段を下り始めた。
地下への道は相変わらず真っ暗である。
以前と同じような地下迷宮だ。
だが、バーナビーは今度は躊躇わず進んでいく。
今回は前回とは違って行き当たりばったりに動いているわけではないからだ。
何故なら、ここへ来たのはちゃんと目的があるからだ。
暫く歩いていたバーナビーは、ハッとして立ち止った。
そこにバーナビーが捜していた人影があったからだ。
バーナビーは手前にランプを翳し、嬉しそうに笑いかけた。
「タイガーさん!」
そして、その人物の名を口にした。
「また、お会いできて嬉しいです!」
そう言うバーナビーに対して、琥珀色の瞳と漆黒の髪の男が不機嫌そうに腕を組んで、その場に立っていた。
彼がいつからそこに立っていたのかすらわからないのに、バーナビーは最初から、タイガーがそこに立っていたかのように笑いかけた。
だが、タイガーの方はバーナビーとは正反対の反応をする。
ムッとした表情を浮かべてこちらを睨んでいるのだ。
「……俺は忠告したはずだがな? ここはお前の来るべきところじゃねぇって」
タイガーの言葉に対してバーナビーの表情は緩んだ。
如何にも機嫌の悪そうなその声も、怒っているようなその口調も、バーナビーにとっては返って嬉しいのだ。
地上にいる人々は、皆バーナビーとは本当の意味では決して交わろうとはしない。
だが、この目の前の男は違う。
そこには、豊かな表情が溢れていた。
例え、怒っていたとしてもそうやってぶつけられる怒りすら、今のバーナビーには嬉しいものだった。
その人間らしい雰囲気にホロリとしてしまう。
「すみません。ですが、貴方に逢いたかったんです。お話をしたかったので」
「…………お前、やっぱり出て行く気はないわけか」
「前にも言いましたよね? ここが僕の家だと。ここに座ってもいいですか? どうせ、ここは何処へ行っても道しかないんですよね?」
バーナビーは足元にランプを翳して道の状態を確かめると、相手の返事を待たずさっさとその場に座り込んだ。
そして、タイガーに向かって「こっち、こっち」と手招きすると、自分の横に座るように促す。
それを見てタイガーは最初は呆れたような表情を浮かべた。
それから、諦めたように肩を竦めると、大人しいバーナビーの隣に腰を下ろした。
「こんなところに座っていいのかよ? 服が汚れること、気にならねぇのかよ?」
「貴方って、やっぱり育ちがいいんですね」
「? 何がだよ?」
バーナビーの言葉にタイガーは不思議そうに首を傾げた。
「僕の生まれ育った町には、服の汚れなど気にして座るような人はいませんでした。女の子であっても、男の子とかと一緒になっても駆けずり廻っていたくらいですよ」
「へぇ……」
タイガーはバーナビーの言葉に素直に驚いたのか、感心したような声を上げた。
「僕は、育ちはあまりよくないんです。……ずっと、独りで生きてきましたし…………」
「…………そういやぁ、バニーは確か前に、両親が死んだとか何とか言ってたな」
「それですよ! ずっと小さい頃、事故で二人共亡くしました。あっ、でも、可哀想だと思わないでください。僕を助けて下さる方は結構いたんですから」
「あぁ、わかったよ」
それを聞いたタイガーは小さく頷いた。
タイガーのその行為を見てバーナビーは深い感動のようなものを覚えた。
(あぁ、ちゃんとした会話になっている……!)
それが、嬉しくて堪らない。
いつもは一方通行の会話がタイガー相手だと違うのだ。
琥珀色の瞳の彼は、他の人々とは違って、実に自然体でバーナビーと会話をしている。
「…………そっか、バニーは孤児か」
タイガーはそう呟いたことに不思議とバーナビーは腹を立てなかった。
その言葉には特別の意味が含まれていなかったからだ。
まるで、風がそこを吹き抜けてゆくのが当たり前だとでもいうように、彼はバーナビーと言葉を交わしている。
「でも、今は叔母様は僕を引き取って下さったから、独りじゃないですけど」
「ふ~ん、叔母様がねぇ……」
「何ですか? その言い方」
タイガーが妙なアクセントを付けてそう呟いたことにバーナビーは眉を顰めた。
「いやさぁ。……本当に、お前、自分がネイサンの甥だと思ってんのか?」
「勿論じゃないですかっ! 貴方も僕の事を疑っているんですか? 母さんが父さんを騙したって?」
タイガーのその言葉にバーナビーもさすがに怒ったような声を上げた。
この人も他の人と結局同じなのか?
「そうじゃねぇよ。ただ、ネイサン――」
「父さんがどういった事情で、叔母とこの城を捨てて、母さんと出遭ったのか僕は知りませんが、僕の父さんは間違いなくあの人ですよっ!」
タイガーの言葉を遮ってバーナビーはそう言った。
それを聞いたタイガーは暫く考え込むと、再びバーナビーへと視線を向けた。
「…………お前の父親の名前は?」
「バーナビーです。バーナビー・ブルックス。因みに、貴方は僕の事をバニーと呼んでますけど、僕の名前は、バーナビー・ブルックスJr.ですよ!」
「!!」
バーナビーの言葉を聞いたタイガーは、驚きのあまり瞠目した。
「バーナビー…………って、あのバーナビーかっ!?」
「知っているんですか、父さんの事?」
「知っているも何も、あいつ、子供の頃はよくここに遊びに来てたぜ」
バーナビーはキョトンとした表情を浮かべ、タイガーを見つめた。
「こっ、子供の頃って……だって、父さんの子供の頃って、貴方まだ生まれてなかったんじゃないですか?」
目の前に彼はどう見てもバーナビーより年上である事には変わりないが、二十代後半か、三十代前半にしか見えない。
百歩譲って恐るべき童顔だとしても、年齢が合わない。
まぁ、そんな事はないとは確信しているのだが……。
父さんの子供の頃に会っているなら、少なくとも三十代後半か四十代前半でなければおかしいだろう。
「残念ながら、俺はお前の父親より年上だぜ? っていうか、年取ってないって言うべきか……。あっ、言っとくが、俺はジジィじゃねぇからな」
すると、タイガーは悪戯っぽく笑ってそう言った。
その言葉にバーナビーは耳を疑った。
「何ですか、それ? どういう事ですか?」
「俺はバーナビーが生まれる前から、ここに住んでたって事だよ」
バーナビーにはその意味がわからなかった。
もしかして、彼は僕をからかって楽しんでいるのでは?
そう思って露骨に疑いの視線を向けると、タイガーは苦笑した。
「あのなぁ、本当だって! 俺は、バーナビーを知っているの」
「貴方、一体何者なんですか?」
「…………言ってもいいけど、動揺のあまり気ぃ失ったり、叫びだしたりすんじゃねぇぞ」
「わかりました」
真面目に頷くバーナビーに対して、タイガーもまた生真面目な表情になった。
しかし、次に彼が口にした言葉は信じがたいものだった。
「実は…………俺、幽霊なんだ」
その言葉にバーナビーは思わず絶句するのだった。
ワイルドタイガーの指輪シリーズ小説の第4話でした!!
また、今回も途中で力尽きてしまった;
今回も虎徹さんとバニーちゃんの絡みをいっぱいかけて楽しかったww
虎徹さんは恐るべき童顔だと私は思いま~す♪
H.25 10/24