「おはようございます。バーナビーさん」

何処か緊張したような声が耳元でした為、バーナビーはハッと飛び起きた。
明るい部屋の中で目をパチクリさせると、一人の少年がバーナビーの顔を覗き込んでいた。

「あっ、貴方は…………?」
「ぼっ、僕はネイサン様に命じられて、今日からあなたのお世話をすることになりました。名前は、イワン・カレリンと言います。よっ、よろしくお願いしますっ!」

少し恥ずかしそうにそう挨拶をしたイワンの顔をバーナビーは見つめた。
バーナビより背が低く、まだ幼さが残る顔立ちを見る限り、おそらくバーナビーより年下だろう。
プラチナブロンドの癖のある髪に紫の瞳がとても印象的である。

「……貴方が僕のお世話を?」
「はっ、はい!」

イワンの言葉にバーナビーは戸惑った。

(僕のお世話をしてくれるってことは……ええっと、これは世間で俗にいう…………使用人ってやつか?)

それは、僕の人生にはほとんど無縁だと思っていた存在だった。

「とっ、とりあえず、着替えを…………うわぁっ!」

緊張しているのか、動きが硬いままクローゼット目指して歩き出そうとしたイワンは盛大に転んだ。

「…………あの……大丈夫ですか?」
「っ! だっ、大丈夫ですっ! ちょっと、まっ…………うわあっ!!」
「…………」

バーナビーにそう声を掛けられ、恥ずかしさからかイワンは赤面しながらそう言った。
そして、気を取り直してクローゼットに手をかけた瞬間、クローゼットに収納されていた衣服が雪崩のようにイワンに押し寄せてきた。

(この人で本当に大丈夫だろか……)

それを見たバーナビーは一物の不安を覚えるのだった。


~ワイルドタイガーの指輪~

「…………あの。僕の顔に何か付いていますか?」

夜着から着替え、朝食を摂っているバーナビーはイワンの視線が気になるそう訊いた。
クローゼットに用意されていた衣服はどれもこれもバーナビーがこれまで見たこともないような上等なものばかりであった。
しかも、それがすべて普段着として用意されていたのだから尚更驚いた。
その中でバーナビーは真っ赤なスーツを選んだ。
着替えが完了した頃、隣の部屋にいつの間にか食事が用意されていたのだ。
そのあまりの量にバーナビーは思わずイワンに食い溜めをするのかと尋ねてしまったくらいだった。。
それに対してイワンはこれが朝食であることを説明し、早く食事を摂るように苦笑雑じりで促された。
その豪華な朝食に躊躇いつつもバーナビーは渋々席に着く。
そして、一口食べるとその美味しさに感動してしまった。
そんな時、イワンがこちらをジーッと見つめていることに気付いたので思わずそう問いかけてしまったのだ。

「あっ! いや、その……食事のマナーがとてもいいなぁと思いまして……」

イワンの言葉に納得したようにバーナビーは、あぁっと声を上げる。

「これは、ここへ来るまでに本を読んで覚えたんです」
「えっ! 本を読んだだけなんですか!?」
「はい。……実際にやってみたのは、今が初めてだったのですが、おかしくないですかね?」
「いっ、いえ! 全然おかしくないですよっ! 寧ろ、お上手です!!」
「そうですか。それはよかったです」

イワンの言葉にバーナビーは満足そうにそう言うと朝食を摂る事に専念するのだった。





* * *





朝食が終わり、イワンが後片付けをしている間にバーナビーは寝室へと戻った。
そして、改めて明るい部屋を見回した。

(……やっぱり、予想していた以上に立派な部屋だな)

昨夜感じた以上の感動が甦る。
今、両足でしっかり踏み締めているのは、如何にもご立派な絨毯だ。
一目で高価だとわかる家具や壁掛けはどれもこれも年代物っぽく重々しく、迫力がある。
バーナビーはふと机に近づくと引き出しを開けるとそこには色々な物が入っていた。
彫り物を施してある小さな箱や栞を挟んだままの本、紙や羽根筆があった。
バーナビーはその中の本をそっと手に取った。
その本の黒っぽい表紙には単純に文字が並んでいた。

(……そっか。この部屋は父さんの部屋だってあの人は言ってたっけ……)

ふと、昨晩の叔母の言葉を思い出した。
では、これは父さんが読んでいたかもしれない物なのだ。
そう考えると胸が高鳴る。
記憶の中の優しかった父の顔を思い出す。
その顔は当然ながら大人の顔で少年だった頃の顔は想像できなかった。
だけど、父は確かにここで暮らしていた事があったのだ。
そう考えると少しだけ心強くなった。

(…………父さん。僕を見守っていてください)

きっと、叔母と上手くやれる。
昨晩は突然の事で上手く対応できなかったが、今度会ったら……。

「バーナビーさん」
「!!」

突如、背後から聞こえてきた声に振り返るとそこにはイワンが立っていた。

(いつの間に……?)

彼がこの部屋に入ってきた気配なんて微塵も感じなかった。
叔母と言いイワンと言い、この城に住んでいる者は皆不思議な人ばかりである。

「そろそろお客様が訪れる時間になります」
「お客様……?」
「はい。ネイサン様にとって大事なお客様でもありますから、一緒にお出迎えをお願いします」
「わかりました」

イワンの言葉に快くバーナビーはそう応じると部屋を後にするのだった。





* * *





螺旋階段を下りていくとそこには叔母であるネイサンの姿があった。
明るい日の下で改めて見ても、彼女の印象は昨夜とまるで変わらなかった。
己に向けられるその瞳からは親愛の情というものは感じられず、何とも言えない視線が向けられている。
昔から物怖じはしないはずのバーナビーだったが、叔母の姿を目にした瞬間、本能的な恐怖を感じた。
それは、取って喰われるのではないかとさえ思ってしまうくらいだ。

(いけない。こんな事を思ってしまっては…………)

この人は僕の叔母なのだ。
これからずっと一つ屋根の下で一緒に暮らしていく人だというのに……。

「おはようございます。叔母様」

気を取り直したバーナビーはそう挨拶をした。
おはようの挨拶には遅すぎる時刻だったが、バーナビーはそう口にして明るく笑いかけた。

「おはよう、ハンサム。昨夜はよく眠れたかしら?」
「はい、叔母様。最初はドキドキしましたが、ちゃんと眠れました。あの……それで、昨夜は突然の事で驚いてしまってちゃんとしたご挨拶もできなくて申し訳ありませんでした。僕……本当は叔母様に会えて、とても嬉しかったんです。なのに、ちっともその思いを口にできなくて、あれから凄く後悔したんです。だから、今日はこの思いをしっかり叔母様にお伝えしようと、ずっと心の中で準備してたんです。それで――」
「ハンサム」
「はい、叔母様!」
「昨夜、あたしが言った言葉を思い出しなさい」

ネイサンが何を言いたいのかわかり、バーナビーは一旦口を閉じた。
が、それでもすぐにまた口を開いた。

「すみません、叔母様。確かに叔母様は必要な時以外は話しかけて来ないようにと仰っていました。これは必要な事だと思っています。それは、朝の挨拶って大切だと思うんです。何と言って――」
「ハンサム」
「はい! 叔母様!!」
「あたしは今のあなたの言葉を必要だとは思ってないわ」
「…………」

そう素っ気なくネイサンに言われて、バーナビーは今度こそ黙るしかなかった。
そうこうしている内に馬車が白の正面に止まる音が聞こえてきた。
暫くして、足音が二つ近づいてきた。
そちらを向くと、見知らぬ少女達二人が入ってきた。

「ネイサンおばさま。お久しぶりです」
「お久しぶり~。おばさま!」

突然現れた少女達はそのまま真っ直ぐネイサンの側へ歩み寄ってきた。
一人は亜麻色の長髪の勝気な少女、もう一人は若葉色のショートへあの腕白そうな少女であった。
ネイサンは二人に手を差し伸べると、順番に軽く少女達を抱き締めた。

「よく来たわね。カリーナ、パオリン♪」
「私達、バーナビーおじさまの息子を見に来ました」
「そうそう! バーナビーおじさまの息子がどんな人かボク気になって!!」
「…………」

バーナビーは呆然と三人のやり取りを見つめていた。

(よく来ただって? 僕には、そんな言葉かけてくれなかったのに……)

彼女達は一体、何者なんだ?
バーナビーが複雑そうな表情を浮かべていると少女の一人が振り返った。
そして、暫くバーナビーの顔を品定めでもするかのようにジロジロと眺め、それから不愉快そうに眉を顰めた。
何とも嫌な空気が漂い、バーナビーは直感的に悟った。

(駄目だ。彼女とはきっと性格が合わない)

それは向こうも感じたのか、少女――カリーナはすぐに目を逸らせると、バーナビーの存在を無視し、ネイサンへと向き直る。

「ネイサンおばさま。私、暫くここに滞在してもいいですか?」
「あぁ! ボクもボクも!!」
「えぇ。カリーナ、パオリン。久しぶりですものね。ゆっくりしてお行きなさい♪」
「!?」

バーナビーは再びネイサンの言葉に驚かされる。
ネイサンが彼女達の事を心から歓迎しているのだとわかったからだ。

「あの……はじめまして。僕は、バーナビー・ブルックスJr.と申します。この度叔母様に――」
「あなたが、ネイサンおばさまが引き取った息子なの?」

バーナビーが精一杯丁寧なお辞儀をして挨拶をする為そう口を開いたが、最後までそれを言い終える事はできなかった。
カリーナがそう言ってバーナビーの言葉を遮ったからだ。
そして、不躾な視線を送られ、カリーナはもう一度値踏みでもするかのようにバーナビーを見つめた。
その行動にもう一人の少女――パオリンが不安そうにオロオロしている。

「……本当、育ちの悪さが一目でわかるわ。それにおじさまにも全然似てないし。あなた、本当にバーナビーおじさまの息子なの? 顔がいいからって、ネイサンおばさまに取り入って、騙そうなんて考えているだけじゃないの?」
「!?」

カリーナの言い方にバーナビーは言葉を失った。
行き成り何を言い出したの訳がわからなかった。

「私聞いたことあるわよ。何処かの阿婆擦れが、他の男の子供をバーナビーおじさまの子供と偽って、産んだかもしれないって。何と言ってもバーナビーおじさまは世間馴れしていなかったって、お母様達が言っていたし」
「っ!!」

カリーナの言葉にバーナビーは自然と拳を握り締めた。
それにしても、なんて口の悪い少女だ。
上品な服装とは裏腹に人間としての品が欠けているとバーナビーは思った。
昔からバーナビーは、こんな風に上品ぶった上流社会の人間が大嫌いだった。
彼らは、バーナビーのような育ちの者を自分達と同じ人間として認めようとしないところがあるのだ。

「ちょっ、ちょっと、カリーナ。いくらなんでもそれは言い過ぎ――」
「貴女。それが初対面の人間に対していうことですか!」
「「!?」」

パオリンがカリーナを宥めていることにも気付かず、気付いた時にはバーナビーは怒鳴っていた。
突然の事に二人は瞠目した。

「まぁ、なんて礼儀知らずの人なのかしら? 急に大声を出すなんて……」
「礼儀知らずは貴女の方ではないですか? それとも、貴族の方々は皆、貴女のように人の挨拶も真面に聞けないのが普通というわけですか」
「なっ、なんですって!!」
「カリーナ……;」

カリーナの言葉にバーナビーは鼻で嗤い、そう言い返してやると、カリーナはさらに声を上げた。
一触即発とばかりに睨み合う二人に対してパオリンはどうしたらいいのかわからず、ネイサンに助けを求める視線を送った。

「あら、二人共仲がいいのねぇ♪」
(ええっ! どこが!?)

だが、肝心のネイサンは二人のやり取りを見て微笑ましそうにそう呟いていた。
結局、二人の仲裁にはパオリン一人で行う羽目になるのだった。





* * *





その日の夜、ネイサンの部屋が誰かにノックされた。

「…………開いているわよ」

ネイサンはその音だけで誰が来たのかわかったかのようにそう伝えると、扉がゆっくりと開いた。
そこから現れたのは、バーナビーをここまで連れてきたユーリだった。

「夜分遅くにすみません」
「別に構わないわよ。けど、珍しいわね。あなたがこんな時間に訪ねて来るなんて」
「本当でしたら、もっと早い時間にするつもりでしたが、何分時間が取れなかったもので……」

ネイサンの言葉にそうユーリは苦笑雑じりでそう答えた。

「ネイサンは、彼についてどう感じましたか?」

ユーリの言う"彼"が誰の事を指しているのか、ネイサンはすぐにわかった。

「そうね……悪くないと思うわ。ハンサムだし、頭も良さそうだし……」

ほんの少ししか一緒の時間を過ごしていないバーナビーについてネイサンはそう言葉を続ける。

「でもまぁ……ハンサムだけど、兄さんに顔が全然似ていない事が少し気になるけど……彼ならきっとあの子を気に入るんじゃないかとは思うわ」
「そう……ですか……」

ネイサンの言葉にユーリの表情は何処か安堵したようなものと寂しそうなものが入り混じった表情になった。
それに気付いたネイサンはバーナビーにはまだ一度も向けた事のない優しい笑みを浮かべていた。

「……大丈夫よ。まだ、あの子が彼に選ばれるとは、決まったわけじゃないのよ。あなたにだって可能性はまだあるわよ」
「…………いえ。私には、そんな可能性はありませんよ」

そんなネイサンに対してユーリは首を振るとそう言葉を続けた。

「私に今できる事は彼らを見守る事ぐらいですよ」
「……本当にそれでいいのね?」
「それが彼の為になるなら……」
「…………そう。わかったわ」

ユーリの言葉を聞いたネイサンは溜め息をつくとそう言い、腰を上げた。

「じゃ、早速、二人を引き合わせてみましょうか」

そう言うとネイサンは一人部屋を出て行き、部屋にはユーリ一人が残されるのだった。

(私は、私の役目を果たすまでです……)

それで、あなたの命が救えるのなら、私はどんなことでもしますよ。
あなたが救われるのだったなら、相手がどんな奴だっていいのです。
例え、一族を、彼を見捨てた男の息子であったとしても……。





* * *





「……こんなに疲れた夕食は初めてだ」

その日の夕食はバーナビーにとって最悪だった。
大きなテーブルを囲んでバーナビー、カリーナ、そしてパオリンの三人で食事を摂ったのだ。
パオリンが場の空気を少しでも和ませようと二人に話しかけてみてもそれは一向に改善されることはなかった。
それどころか余計なお世話と言わんばかりにカリーナがパオリンを睨みつけた為、彼女は泣きそうになっていた。
それをさすがに不憫に思ったバーナビーが彼女に優しく声をかけると、それが気に入らないとばかりにカリーナはバーナビーの食事のマナーに対していちゃもんをつけだしたのだ。
だが、それは彼女にとって地雷でしかなかった。
バーナビーはこの城に来るまでに食事のマナーに関する書籍を読破しており、知識は完璧だった。
実際にその動作を朝、試した際は、使用人であるイワンにもお墨付きをもらったくらいだ。
バーナビーと比べるとそれが当たり前であったはずのカリーナの動作の方が何処かぎこちなく感じるくらいであった。
その為、貧乏暮らしをしていたバーナビーが貴族であるカリーナとパオリンにマナー講座をするという何ともおかしな展開を迎える羽目になったのだった。
そのおかげでパーナビーは少し鬱憤晴らしにはなったが、気の合わな人間と食事を摂ったことは苦痛でしかなかったことには変わりなかった。
また、明日もこんな感じになるかと思うと考えただけで憂鬱になる。

(明日は一人で食事できないか、イワンに頼んでみるか……)

そんな事を考えていた時、ふとバーナビーは足を止めた。
それは突如、叔母であるネイサンの姿を捉えたからである。
薄暗くなった廊下を彼女は灯りもつけずに、歩いていた。

(叔母様、何処に行くんだ……?)

叔母の行動に興味を持ったバーナビーは後をつけた。
ちょっとした散歩かと思っていたが、ネイサンは外へ出るどころかどんどん奥へと歩いていく。
それを不審に思ったバーナビーは用心深く追う。
やがて、ネイサンは一つの部屋の扉の前で立ち止まった。
そして、ネイサンはその扉を開けると部屋の中へと姿を消していく。
バーナビーもその扉に近づき、鍵穴から様子を窺うと奇妙なことに気付く。

(叔母様は何処だ………?)

バーナビーは慌てて扉を開けるそこにネイサンの姿は何処にもなかった。
部屋はごく普通で、立派な家具や暖炉もあった。
ただ、ここには人の気配だけがなかった。
それでも、バーナビーはさらに用心深く辺りを調べると、暖炉に目を向けた。

「この暖炉……!」

己の部屋にあるものとは何処か違うことに違和感を感じて、近づいて中を覗き込むとその正体がすぐにわかった。
暖炉の中に隠し階段があったのだ。
階段はずっと下まで伸びているみたいで、ここから別の場所へ繋がっているようだ。
どうやら、ネイサンはここを通って地下へと下りたらしい。

(一体、叔母様は何の用でここを通ったんだ? いや……それより、この向こうには何があるんだ?)

こんなにも古くて不気味なお城だから地下に何かあってもおかしくはないだろう。
だが、この先に一体何があるのか気になって仕方がなかった。

(確かめてみるか……)

そう決めたバーナビーは一旦部屋に戻るとランプを持ってきた。
地下は予想以上に暗そうでとても灯りなしでは歩けそうになかったからだ。
用意が整うとバーナビーは意を決して階段を下り始めるのだった。








ワイルドタイガーの指輪シリーズ小説の第2話でした!!
今回、バニーちゃんと虎徹さんを会わせるまで書こうと思ったのに途中で力尽きました;
今まで書いた中で一番長く書きましたよ。なのに、二人は出会えていない!!
ちなみに、カリーナがダリィでイワンがシャトーのポジションとして書いています!
パオリンについては、該当するキャラはおらず、完全オリジナルとなってます。
そんな彼女が一番苦労している;


H.25 10/24