彼に騙されていた。
彼は、幽霊ではなかった。
彼の手は冷たかったけれど、血の通った生きている人間ではないかは思ったが、バーナビーは、確かに彼の身体に触れることが出来たというのに……。
それでも、バーナビーは、この男に騙されてしまっていたのだ。
その事実に唇を噛み締めたバーナビーに向かってネイサンは、言った。

「そして、あたしは、指輪の番人。あたしは、ずっと、ワイルドタイガーが主と認める者を探していたのよ、ハンサム」


~ワイルドタイガーの指輪~

そう言ったネイサンの言葉をバーナビーは、ただ静かに聞いていた。

「気位の高い炎の指輪。けれど、その気位と同じほどの力を備えているのよ、そのワイルドタイガーはね。誰もが手に入れたがったんだけど、誰の手にも渡らなかったわ。何故なら、誰も主とは、認めなかったから。ただ一人の例外を除いてわね。それがあたしの兄、バーナビーだったわ」
(! ……父さんが……認められた?)
「なのに、兄さんは、それを拒んだわ。あたしがどれだけ望んでも手に入れられなかったって言うのに……。その権利を兄は意図も簡単に放棄したの」
「……叔母様。貴女は、本当に僕の叔母様なのですか? 血の繋がった僕の本当の叔母様なんですか?」

そう言ったバーナビーの声は、掠れていた。
それに対して、ネイサンは、あっさりと頷く。

「えぇ。紛れもなく」

それを聞いたバーナビーは、虎徹へと向ける視線が更に鋭くなった。
その瞳は、虎徹に対する怒りに満ちていた。

「……全部、嘘だったんですね? 貴方の家族が殺されたっていうことも、全部」
「…………」
「そんなに怒らないでちょうだい」

バーナビーの問いに虎徹は、答えなかった。
そんな虎徹の様子を見てネイサンは、バーナビーの怒りを宥めるように言葉を続ける。

「ワイルドタイガーは、気まぐれ者なの。悪意はないのだから。ただ、長く生きているせいで、いつもとても退屈しているだけなのよ」
(退屈しているだけ……?)

それだけの為に、僕を騙したというのか、この男は……。
その事がバーナビーには、信じられなかった。

「貴方の言葉の中には、ただ一つの真実さえなかったんですか?」
「…………」

そのバーナビーの問いにさえ、虎徹は何も答えなかった。
その沈黙でバーナビーは、自分の中で勝手に結論付ける。
全部嘘だった。
この男が語った言葉には、欠片さえも真実などなかった。
その全てがバーナビーを欺く為のものだった。
バーナビーは、この男に遊ばれていたのだと……。
この指輪の精に……。

「叔母様は……僕と会いたかったわけじゃないんですか? 血の繋がった甥を捜してくださったんじゃないんですか?」

これ以上の虎徹との会話を諦め、バーナビーは、今度はネイサンにそう問いかけた。

「血の繋がりなんて、問題ないわ。あたしは、自分の役目を早く終えたかっただけ」
「……では、叔母様には、僕は必要ないんですか?」
「必要? ワイルドタイガーが、ハンサムを主と認めた以上、あんたは必要だけど」

バーナビーの質問の意図が分からないと言ったような表情を浮かべながら、そうネイサンは言った。
だが、それは決してバーナビーが求めていた答えではなかった。

「違う。そうじゃない……。そうじゃありません。そんな意味ではありません。僕は……指輪なんて知らない。そんなものは……要らない」

この城には、何一つ本物なんてなかった。
人の心や想いや言葉ですら、本物ではないのだ。
血が繋がった叔母であろうとなかろうと、ネイサンは随分と遠い存在に感じられた。
今、バーナビーは、この城にたった独りで取り残されているような気分でいた。
これほど多くの人間に囲まれているのにだ。

「……いいえ。ハンサムがあたしの甥だったからこそ、あたしはあんたを捜したのよ」
「…………えっ?」

そのネイサンの声にバーナビーは、ハッと我に返った。
ネイサンの今の言葉がバーナビーの心の中で何度も反芻した。
これは、まだ、希望を持っていいという事なのだろうか?
バーナビーは、食い入るようにネイサンを見つめ、次の言葉を待った。

「ワイルドタイガーは、兄以外を主とは認めなかった。だから、兄の息子であるハンサムを捜したのよ」
「!!」

だが、次にネイサンが口にした言葉は、バーナビーが望むものではなかった。

「…………そして、叔母様の目論見は、当たったということですか?」

彼女はただ、指輪の主を探していただけ。
指輪の主となるべきだった父さんの息子である僕を……。
長い間、誰も認めなかったワイルドタイガー。
そんな彼が唯一認めた存在がいなくなった今、その息子であるバーナビーになら、それを引き継げると考えた。
だから、ネイサンは僕を捜し出し、引き取った。
そして、ワイルドタイガー――虎徹は、その通りにバーナビーだけを選んだ。
父さんの息子である、僕を……。

「ですが……」

バーナビーの口から声が漏れ出た。

「…………貴方は……僕を選んだわけじゃない。……父さんの息子を選んだだけです」
「…………」

この悔しさを、怒りを、どう表現したらいいのだろうか?
この感情を一体、誰にぶつけたらいいのだろうか?
この男を信じていた分だけ、裏切られたと感じた時の失望と怒りは、誰よりも大きかった。

「叔母様も、貴方も、僕の事なんて、まるっきし無視している」

だからだろう。バーナビーは、鋭い口調で虎徹にそう告げたのは。

「僕は、指輪なんて、引き継がない。…………必要ないから!」
「…………」

そうハッキリと言い切ったバーナビーの言葉に周囲がどよめいた。
「馬鹿な」「ありえない」と、初めて感情を含んだ声が周囲から聞こえてきた。
ここにいる誰もがバーナビーが指輪の所有権を放棄を宣言した事が信じられないようだった。
バーナビーのそんな行動に驚き、ざわめいていた。
バーナビーは、そんな周囲の取り乱した反応に満足した。
だが、一人だけ、そんなバーナビーの行為に何一つ動じていない人物がいた。
その男は、ただ静かにバーナビーの事を見つめていた。
その琥珀の瞳は、こうなる展開を初めからわかっていたかのように、何処か哀しげに揺れていた。
そして、何故だかその唇は優しく微笑んでいた。

(…………どうして?)

どうして、貴方がそんな表情をするんですか?
傷付けられたのは、僕の方の筈なのに、どうして貴方がそんな風に哀しそうに笑うんですか?
ここに来てから、この男は、一言も言葉を発していない。
僕の問いに対しても、言葉では否定も肯定もしていないのだ。
まるで、全ての決断を僕に託しているかのようにしか、バーナビーには思えなかった。
だったら、僕は、貴方の事なんて、受け入れはしない。
嘘つきな、この男の事なんて……。
だから、バーナビーは、何の迷いもなく、左手の中指にある指輪を引き抜こうとした。
だが――――。

(…………えっ? なんで?)

その途端、バーナビーは、驚いたように自分の指を見た。
指輪は、バーナビーがいくら引っ張ってもビクともしなかったのだ。
まるで、バーナビーの指に吸い付くように、バーナビーから離れる事を拒むかのように指輪は、決して抜けることがなかった。
だから、バーナビーは、再び虎徹の方へと視線を向けた。
そこにあったのは、いつもと変わらぬ悪戯っぽく笑ったあの人の顔だった。








ワイルドタイガーの指輪シリーズ小説の第13話でした!!
バニーちゃんにとっては、辛いターンが続きますね;
ただ、若干気になるのは、虎徹さんの反応ですね。
彼は、一体何処まで本当の気持ちを言っているのか……。
哀しい笑顔と悪戯っぽく笑った虎徹さんの本当の気持ちはどっちでしょうか?


R.1 8/21