(どうしたらいいのだろう……)

地下迷宮へと繋がる階段をバーナビーは先立って降りていく。
この先には、あの人が、コテツさんがいるのだ。
彼がネイサンに見つかってしまっては、大変だ。
助けて欲しい気もするが、それは多分無理な話だろう。
あの幽霊おじさんは、きっと役に立ちそうにない。
その証拠に、バーナビーがこの階段を降りている事にも気付いているだろうに、姿を現さない。
そして、階段を降り切った時、バーナビーは驚いた。
そこは、いつもの地下迷宮ではなかったから。
バーナビーの目の前には、広々とした空間が開けていたのだった。


~ワイルドタイガーの指輪~

「どうして……?」
「今日は、特別だからよ。全部ハンサムの為」

戸惑うバーナビーに対して、ネイサンはそう言った。
本来迷路であるべき場所に、それはなかった。
代わりに広がっていたのは、地上で見た同じような広間だった。
貴族たちが戯れ、集まるに相応しい大広間がそこには存在していた。
真夜中、それに地下だというのに、やけに明るいのは、何故だろうか。
バーナビーは、ネイサンに導かれるように、広間の中央に足を進めながら驚いていた。

(何だ? この人たちは……?)

そこには、一体いつの間にこんな大勢の人物が、というほどの人間達がいたのだ。
彼らは皆、華やかな衣装を纏って待ち受けていた。
どの人物も銀の仮面や黒いベールで顔を隠している。
その光景をバーナビーは、知っていた。
つい先日まで、バーナビーの様子を入れ替り立ち替りに身に来ていた人々だ。
だが、あの時は、それぞれ別々にやって来ていた。
一番多い時でも、せいぜい三、四人だった筈だ。
その全員がこの場に立っている事の不気味さにバーナビーは、微かに震えた。
彼らは、バーナビーが入ってくるとざわめいた。
だが、そのざわめきから正確な言葉の一つ一つを拾う事は、出来なかった。
それは、ただの一つの音のようなものであって、言葉ではなかった。
バーナビーがネイサンに脅されるように前に進み出ると、人々はバーナビーの為にその場を空けた。
ゆっくりと波のように人垣が下がっていく。

「ハンサム」

バーナビーが広間の中央に立つとそうネイサンがバーナビーに声を掛けた。

「あたしはね、この日の為に、あんたの事をずっと捜していたのよ」

それから、ネイサンは周囲を見渡す。
バーナビーとネイサンを取り囲んでいる人々は、息を潜めて次に起こる事を待ち受けているようだった。
ネイサンは、それを確認するように視線を巡らせていた。
そして、その視線は、やがてバーナビーの元へと戻る。

「……今から、一つの儀式を始めます」
(やっぱり!)

ネイサンのその言葉にバーナビーは、言葉を失った。
そして、次の瞬間、ボッと音がしたのでバーナビーがそちらへと恐る恐る視線を変える。
そこには、炎があった。
ネイサンの目の前に現れたその炎は、まるで天井を焦がすような勢いのある大きさだった。
こんな炎に包まれてしまったら、瞬く間に全てが燃えてしまうだろう。

(…………これが……コテツさんの話していた、炎なのか?)

目の前で大きく踊り狂う炎は、まるで舌なめずりしているようにバーナビーには見えた。
バーナビーを取り囲んでいた人々が、一層後退っていくのが分かる。
まるで、少しでもその炎から遠ざかろうとでもしているかのようだった。
バーナビーの足が恐怖で震える。
そして、とうとう我慢できなくなってしまったバーナビーは、身を翻して逃げようとした。
だが――――。

「! なっ、何するんですか! はっ、放してくださいっ!!」

いつの間にかバーナビーの背後に立っていた複数人の男達に捕まり、それを阻まれてしまった。
それを何とか解こうと必死でバーナビーは、もがいた。

「放してくださいっ! 僕を殺したら、化けて出ますよ! このまま、大人しく死ぬつもりはありませんからっ!!」

バーナビーの必死の抵抗にも、彼らの手は緩まなかった。
バーナビーは、これまでの自分の愚かさを呪った。

(こんな事なら、やっぱりあの時、ネイサンを殴り倒してでも逃げるべきだった!)

まだ、たった二十四年しか生きていないのに、このような死を迎えるなんてごめんだった。

「助けてくださいっ! コテツさん!!」

バーナビーは、決して呼ぶつもりのなかった名を声の限り叫んだ。
だが、それすらも何の役にも立たなかった。
そして、ついにバーナビーは、そのまま炎の中に放り込まれてしまった。

「うわああああぁぁぁっ!」

バーナビーの身体は、たちまちのうちに炎に包まれる。
バーナビーの悲鳴は、誰にも届かなかった。

(コテツさんの馬鹿! 指輪なんか、何も役に立たなかったじゃないですか!?)

バーナビーは悔しがり、大声を上げ、心の中で思いつく限りの悪態をつきまくった。
ネイサンを呪い、自分の運の悪さを呪い、期待させておいて結局役に立たない指輪を持たせた虎徹を呪った。
だが、そのバーナビーの悪態も長くは続かなかった。
それは、自分の身に起きている妙な事をに気付いたからだった。
それに気付いた途端、必死に暴れていたバーナビーの身体の動きがピタリと止まった。
バーナビーは、信じがたい物でも見るかのように自分の手を見つめた。

(……なんで? 僕の身体……燃えていない?)

炎に包まれていたバーナビーの身体は、熱さを感じていなかった。
だが、問題なのは、そんな事ではなかった。
炎に焼かれる事は決して苦しい事ではない、と確か彼も言っていたからだ。
そんな事よりもおかしな事が起こっているのだ。
炎が自分の身体に触れていないのだ。
バーナビーを包んでいながら、炎はその身体には、全く触れていないのだ。

(なんだ、これ? ……一体、どういうことなんだ?)

戸惑いながら、バーナビーは顔を上げた。
そこには、真正面に立っているネイサンがいた。
鋭い視線でバーナビーの様子を見ている。
それは、冷静に目の前の出来事を見極めようとしているような表情だった。
やがて、天井を焦がすほど、踊り狂っていた炎は静かに消えた。
今尚、バーナビーは、生きていた。
辺りがシンと水を打ったかのように静まり返っていた。
最早、ざわつきさえも聞こえないくらいの状況となっていた。
バーナビーが顔を隠した人々を見回すと、彼らは互いに視線を交わし合い、頷いていた。
彼らは、バーナビーが炎に焼かれなかった事に驚いてすらいない様子だった。

「どういうことですか……?」

バーナビーは、自分の手をもう一度見つめた。
その手は、火傷一つしていなかった。
バーナビーが戸惑ってと、コツリとネイサンが一歩前に出た。

「…………どうやら。やっと、主を決めてくれたらしいわね。その指輪は」
「ゆっ、指輪?」

ネイサンの言葉にバーナビーは、目を見開いて指輪を見た。

(やっと、主を決めた? 何を言っているんだ? この指輪が何だというんだ?)

訳が分からず、バーナビーは誰かに助けを求めるように視線を巡らせるが、勿論ここにバーナビーの知る顔などある筈がなかった。
ましてや、助けてくれる人も……。

(…………えっ?)

そう、思っていた筈なのに、バーナビーの視線がある一点で止まった。
そこには、信じられない姿ががあったから。
ネイサンの隣に漆黒の髪の男が立っていた。
その光景にバーナビーは、瞠目するしかなかった。

(なんで、コテツさんが……ここに!?)

彼の不思議な琥珀の瞳が困ったようにバーナビーの事を見つめていた。

「貴方……」
「この指輪の候補者は、四人」
「候補者……?」

戸惑うバーナビーに対して、そうネイサンは言った。
だが、その言葉の意味すらも今のバーナビーには、理解することが出来なかった。
バーナビーは、再び自分の指を見た。
左手の中指に収まっている美しく見事な装飾品。
それは、赤い宝石が装飾された指輪だ。
ネイサンが、バーナビーへと近づいてくることに気付き、バーナビーは、問いかけるように虎徹に目を向けた。
それに気が付いたネイサンも一度立ち止まり、虎徹へと視線を向けた。

「彼は、ワイルドタイガー」
「ワイルドタイガー……?」
「ワイルドタイガーは、赤い王と呼ばれている炎の指輪そのもの」
「ゆび、わ?」

もう一度呟いて、バーナビーは、自分の指輪の嵌まっている方の手首を、反対の手で無意識に掴んだ。
だが、それは、ほんの一瞬だけだ。
次の瞬間、バーナビーはその言葉の意味を理解してしまったから……。
バーナビーの身体が、今までとは違う、恐怖とは別の感情により震え始めた。

「それでは……」

バーナビーは、ここ数日の間にすっかり馴染んでしまっていた男の顔を睨んだ。
彼は、幽霊ではなかったのだ。
ましてや、かつて人であった事すらもない存在だったのだ。
バーナビーの心の中に言い知れぬ絶望のようなものが広がっていくのが分かった。

(……ずっと、騙されていたんだ。僕は……!)

この城の中で誰よりも人間らしい思っていた存在に。
誰よりも、バーナビーに近い存在だと信じて疑わなかったのに……。
その真実をバーナビーは、何よりも許せなかったのだった。








ワイルドタイガーの指輪シリーズ小説の第12話でした!!
はい!ついに、虎徹さんの正体がバニーちゃんにバレました!
虎徹さんの本当の正体は、バニーちゃんに渡した指輪そのものでした!
ずっと、虎徹さんに騙されていたバニーちゃんのショックはかなりのものになるかと思います。
さてさて、この後の二人は一体どうなることやら;


R.1 8/21