『もう少しの辛抱です。貴方を必ずこの城から解放してみせます。そして、二人で一緒に逃げましょう』

地下迷路からバーナビーがいなくなった後、タイガーはバーナビーの先ほどの言葉を思い出していた。
あの言葉でタイガーの気持ちが酷く動揺してしまった。

『一緒に逃げよう』

そんな事をタイガーに言った人物は、今までに三人しかいなかった。
一人目は、バニー。
あんなにも、真っ直ぐに俺の事を見つめてそう言ったばバニーの顔がさっきから頭の中からこびり付いて離れなかった。
二人目は、バニーの父親のバーナビー。
その時の彼の言葉は、バニーほど真剣なものではなかったと思う。
そして、もう一人は……。

『――君、ここから、逃げだして、一緒に外の世界を見てみない? きっと、ここにいるより、ずっと楽しいわよ』

俺の事を、唯一"タイガー"以外の呼び方をする彼女だけだった。


~ワイルドタイガーの指輪~

(今夜は、徹夜だ)

バーナビーは、そう心の中で覚悟を決めていた。
気が動転していて、すっかり忘れていた。
魔女がどいう生き物なのかを……。

(魔女というのは、夜行動するものだ)

バーナビーは、幼い頃の記憶を思い出した。
まだ、母が生きていた頃、夜寝る前に聞かせてくれた話の中に魔女が出て来るものがいくつかあったのだ。
黒いマントと尖った帽子を身に着けている魔女もいれば、不吉な黒猫をペットとして飼っている魔女もいた。
異様にデカくて尖った醜い鼻を持った魔女もいれば、優しい精霊のような白い魔女もいた。
そして、その話に共通して、魔女は夜に確か行動していた。
集会に向かうのも、星の瞬く黒い空を飛ぶのも、仲間と楽しそうに踊りまくるのも、全て夜だった。
この城に君臨する邪悪な魔女は、かつて母が聞かせてくれた話の魔女のどれにも当てはまらなかった。
だが、唯一つだけ当てはまるものがあるとすれば……。

(ネイサンは、魔女だ。ということは、本格的に行動するのは、きっと夜のはず)

勿論、昼間だって行動はするだろう。
先日のように、外へだって出て行く。
だが、それはバーナビーには、人の目を誤魔化す為のカモフラージュにしか思えなかった。
ネイサンは、真の活動時間の夜になれば、必ず何か動きを見せるに違いない。
外にだって出て行くかもしれないのだ。
それに、夜であれば、あの人が外へ出て行こうとした時にこっそりと後をつけることだって出来るかもしれない。
そうしたら、城門が開いた時どさくさに紛れて、外へと出られるかもしれないのだ。
一旦外へと出てしまえば、後はこちらのものだ。
近くの町に駆け込んで、助けを求めればいい。
そして、必ずやタイガーさんの事も助け出してみせる。
とにかく、今のはバーナビーが先に行動しなければならない。
だから、バーナビーは、一晩中起きて待っていた。
今度こそ、チャンスを逃さないように、ネイサンの部屋から少し離れた場所で……。
だが、バーナビーの期待を余所に、その夜、ネイサンの部屋の扉が開くことはなかった。
そして、次の夜も、また次の夜もだった。





* * *





「…………すみません」
「は?」

そう唐突に話を切り出したバーナビーにいつもタイガーは驚かされるのだった。
そして、その表情は「今度は、一体、何を言い出す気だ?」という感じでバーナビーを見つめている。

「貴方の事を何とか助けようと思って頑張っているんですが、未だに結果は思わしくないんです」

あれから四日間、バーナビーはネイサンの部屋を徹夜して見張っていたが、結局、ネイサンは部屋から出て来ることはなかった。

「いや、俺はあんまし気にしてねぇよ。って言うか、まったく気にしてねぇけど?」
「ですが、まだ、諦めたわけではありません。必ず、逃げてみますし、貴方の事も助けます」
「…………」

決して諦めないバーナビーの顔をタイガーは、ジッと見つめている。
その美しく、聡明に見えて、実はかなり大人気なく、どこか抜けている青年の顔を……。
タイガーが何故こんなにも、マジマジと自分の顔を見つめているのか、バーナビーにはわからなかった。

「どうかしましたか?」
「……いや。お前、最初に思っていたより、ずっと大した性格してるなぁ、と思ってさぁ」
「はぁ?」
「本当に大したもんだよ。普通なら、泣き喚いてるところだぜ?バニーは、よっぽど強いんだなぁ。バニーみたいな奴、初めて見たわ」

その感心したようなタイガーの言葉の意味がバーナビーには、理解できなかった。
だが、間違いなく僕の事を褒めていることはわかったので、バーナビーは微笑んだ。

「ありがとうございます。貴方にそう言ってもらえただけで、なんだか元気がでてきました。また、頑張れそうな気がします。まだ、諦めたりしません」

タイガーの言葉に慰められ、バーナビーはまた、気力が蘇ってくるのを感じた。
そうだ。後ろ向きになっている場合ではないのだ。
人生は、常に前向きに生きていかなければならない。
自分の道は、自分で切り開いていかないといけない。
何も持っていない自分の大きな財産は、こういうところなのだ。

「では、僕はもう行きます。最近、イワンが怪しみ始めているんです。僕が何処かに出かけているのか、不思議がっているようでして……。ですが、彼の場合、それ以上踏み込んで来ないようですので助かりますが、やはり、あまり疑いを持たれる事は、避けたいですし……。それでは」

バーナビーは、そう言ってタイガーに手を振るとランプを翳し、再び地上へ戻ろうと踵を返したその時だった。

「――――徹」
「えっ?」

不意にタイガーから何かを言われた気がしたので、バーナビーは振り返ってタイガーの事を見た。

「虎徹だよ。俺の……本当の名前は」
「…………コテツ?」
「そっ。タイガーは、俺の愛称みたいなものなんだ。いつもは、本当の名前を教えるのが面倒だから教えないんだが、バニーちゃんには、特別に教えてやるよ♪」
「僕だけ……特別……?」

子供みたいに笑ってそう言った彼の言葉にバーナビーは、素直に喜んだ。
コテツ。それが彼の本当の名前……。
それを知っているのが、僕だけだという事が本当に嬉しかった。

「…………あと、これをバニーにやるよ」

そして、タイガー改め、虎徹は、バーナビーに何かを――微かにキラリと光る物を投げてきた。
バーナビーは、慌てて片手を伸ばすと、パシリとそれを受け取った。

「何かあったら、それを使え。……もしかしたら、役に立つかもしれねぇし……。あと、ついでにこれもやる」

そう言いながら虎徹は、バーナビーに近づくと、バーナビーの右手首に何かを付けた。

「これは……?」

それは、リストバンドのようなものだった。
白と赤を基調とした不思議なリストバンドだ。
まるで、バーナビーの右手首に吸い付いているかのようにピッタリとくっついている。
そして、もう一つ虎徹から渡された物は、指輪だった。

「あの……これは、一体……?」

バーナビーがそう言って顔を上げた時には、例の如く、虎徹の姿は、そこにはなかった。
仕方ないので、バーナビーは改めてその指輪を眺めた。

「これは……ルビー……?」

その指輪には、見事な赤い宝石が装飾されていた。
あの人の琥珀色の瞳とは、異なるがそれに対となるようなこの赤い宝石もとても綺麗だった。
思わず見惚れてしまう。
バーナビーは、このような指輪を手にしたのは、初めてだった。
だが、宝石の事など何もわからないバーナビーにも、その指輪がとても高価なものである事は、理解できた。
見事な赤い宝石が嵌め込まれた美しい指輪。
でも、どうせなら、あの人と同じ瞳と同じ色の宝石だったら、もっとよかったのにと、少し思ってしまった。
バーナビーは、暫く躊躇ったように指輪を眺めていたが、それから思い切って自分の左手の中指に嵌めてみた。
すると、指輪はするりとバーナビーの指に嵌まった。
まるで、バーナビーの為に誂えれたかのようにピッタリだった。

「…………綺麗だ」

そして、暫くその指輪の見事さに感動していたバーナビーだったが、それからハッと我に返る。

「……ちょっと待ってください。何かあったら、これを使って……使い方、聞いていないんですけど!?」

叫んでみたが、一度闇の中に消えた幽霊おじさんは、戻ってくることはなかった。

(……まったく、肝心な時にこれなんですから!)

あの人は、いつも中途半端なのだ。
少しも役に立たない。

(大体、これは本当に役に立つのだろうか?それにこっちも……)

どちらも態度ばかり偉そうで、あまり役に立ちそうにない幽霊からもらった物だ。
いまいち胡散臭い。
そもそも、そんな役に立ちそうなものならば、もっと早く出してくれてもいい筈なのだ。
一体、今まで何処に隠し持っていたのだろうか……。

(……まぁ、いいか)

それでも、彼の気持ちは嬉しかった。
彼は、バーナビーの事を心配してくれているのだ。
味方もいない、この陰鬱な城の中で……。
それだけでも、バーナビーには、ありがたかった。
その時、バーナビーの指の上で、赤い宝石がランプの光を受けてキラリと輝いていた事にバーナビーは、気付きもしなかったのだった。








ワイルドタイガーの指輪シリーズ小説の第10話でした!!
はい!ついに、タイガーがバニーちゃんに自分の本当の名前を伝えました!!
けど、微妙に虎徹さんの事を「コテツさん」とニュアンスを間違えてしまうバニーちゃん。
そして、タイトルにも挙げている指輪もバニーちゃんは、受け取りました。
一緒に受け取った、リストバンドは、PDAをイメージしています。


R.1 5/25