「…………煉獄さん」

右掌をジッと見つめて動かない杏寿郎に対して、そう誰かが声を掛けた。
その声の方に杏寿郎は、振り返ると自分の事を心配そうに見つめている少女の姿がそこにはあった。


~悪夢は夢のままで終わらせよう~


「…………胡蝶。……何時から……そこに?」
「すみません……。どうしてもお二人の事が気になってしまったので、初めから全部隠れて聞いてました。……大丈夫ですか?」
「…………」

そう言って心配そうに自分の事を見つめるしのぶに対して、杏寿郎はすぐに答える事が出来なかった。
それが意味する事は、彼が決して大丈夫ではないという事だった。

「…………俺は……ダメな兄だな」

そして、何とか出てきた言葉がそれだった。
「瑠一郎の事を信じると言っておきながら、俺はちゃんと瑠一郎の言葉を信じてやることが出来なかった」
「でっ、ですが……それは、瑠一郎さんが――」
「瑠一郎は、嘘を言っていなかった」

自分の事をフォローするようにそう口を開いたしのぶに対して、杏寿郎は言い切った。

「……瑠一郎は、嘘など言っていなかった。それに俺は……あいつの口調が変わるまで……気付けなかった……っ」

それは、瑠一郎の癖だった。
いつも穏やかな口調で話す瑠一郎だが、その感情が爆発した時は、その口調も変わり、一人称も『オレ』になるのだ。
こんな状態になった事は、今までに数えるほどしかなく、弟の千寿郎がいじめられている事を知った時、その相手に対して殴り込みに行った時くらいだった。
そして、何よりもあんなにも苦痛そうな表情で涙を流しながら訴える瑠一郎の姿など今まで一度も見た事はなかった。
それほどまでに彼は、傷付いたのだ。
自分が話した事を俺に信じてもらえなかった事が……。
瑠一郎の言う通りだ。俺は、瑠一郎の事を信じると言っておきながら、それを信じてやれなかった。
俺が思っていたものとは、あまりにも違いすぎたから……。
あんな話をするのに、一体どれだけの勇気がいっただろうか?
俺だから、勇気を出して話してくれたはずなのに、それを俺は裏切り、瑠一郎の事をひどく傷付けたんだ。
兄として、本当に不甲斐ない。

「…………胡蝶。話を聞いていたのなら、君にも頼みたい。瑠一郎が言っていた――化け物について調べてはもらえないだろうか?」
「鬼と……見分けがつかない化け物についてですか?」
「そうだ。何故、それが瑠一郎の許にしか現れないのかも気になる。そして、それが瑠一郎が眠れない事にも、何か関係しているような気がしてならないんだ」

極端に眠る事を嫌がる瑠一郎。それと、瑠一郎の前にしか現れないという謎の化け物たち。
その事が、どうしても無関係とは、思えなかった。
この件が解決したら、また瑠一郎は安心して眠れるようになるのでは?
なら、俺にできる事は、その事を調べて解決策を見つけてやる事だけだ。
そうでなければ、瑠一郎にちゃんと謝る事も出来ない。

「…………わかりました。情報はあまり入って来ないかもしれませんが、誰かしら見ているかもしれません。私も調べてみます」
「うむ! よろしく頼むっ!!」

杏寿郎の話を聞いたしのぶは、そう言って頷いた。
彼女の気持ちもどうやら同じようだった。
瑠一郎が言っていた事が真実というのなら、その原因を突き止めて助けたいと……。
しのぶの返事を聞いた杏寿郎は、しのぶに深々と頭を下げると、その場を後にした。
それは、もちろん、自分の人の傍ら、例の化け物について調べる為だ。

(……瑠一郎。……お前の事は、俺が必ず守ってみせる。今度こそ……絶対にっ!)

お前は、俺にとって千寿郎同様、大切な弟なんだ。
例え……お前と血が繋がっていなくとも……。





* * *





「…………杏寿郎。お前は、とても強い子です」

そう話を切り出したのは、遠い日の母上――瑠火からだった。
近くには、弟の千寿郎が眠っており、瑠一郎の姿は、何処にもなかった。

「……強いお前には、その真実もしっかり受け入れてくれると、母は信じて話します」
「? ……真実ですか?」
「はい。それは……お前の弟――瑠一郎の事です」

そう言った母上の緋色の瞳に哀しみが帯びた。

「瑠一郎は……お前の双子の弟ではないのです」
「? 俺と瑠一郎は、双子じゃない? ……はっ! っという事は、俺と瑠一郎は、本当は年子だったという事ですか!?」
「いえ。残念ですけど、年子でもないのです」

杏寿郎の純粋なその反応を見た母上は、空かさずそう言った。
そして、その表情は、苦笑混じりだった。
母上は、何処からともなく、一本の刀を取り出すと、強く握り締めた。

「…………瑠一郎は、私たちの本当の子供ではない。つまり、お前とも血の繋がりは全くない、赤の他人の子なのです。……お前を産んで、一週間がたった頃、私は瑠一郎とその母親らしき人物と出会いました。ですが……私たちは、瑠一郎の母親を助ける事が出来ませんでした」
「それは……亡くなってしまった、という事ですか?」

杏寿郎のその問いに母上は頷いた。

「はい。……そして、あの傷からして、彼女は……鬼に襲われて亡くなったのだと、私は思っています」
「!?」

母上のその言葉を聞いた杏寿郎は、思わず瞠目した。
瑠一郎の実母は、鬼に殺されてしまったという事実に……。
そして、改めて鬼という存在に嫌悪した。
瑠一郎の実母の命を奪った鬼という存在を……。

「私は……彼女の生き様にとても感銘を受けました。己の身を以て大切な我が子を守り抜いた彼女の事を……。だから、私は彼女のようになりたいと思い、彼女が持っていたこの刀を御守り代わりとしてずっと持っていました」

そして、母上はその刀をとても大切そうに撫でながらそう言葉を続けた。

「……ですが、やはり私は彼女のようには、なれないみたいです。この刀も瑠一郎にちゃんと返してあげなければいけませんね……」
「はっ、母上……?」
「あっ、ごめんなさい。すっかり、話が逸れてしまいましたね」

困惑する杏寿郎に対して、母上は慌ててそう言った。

「……先程も言いました通り、瑠一郎とお前は、血は繋がっていない赤の他人です。それでも……これからも瑠一郎と仲良くしてくれますか?」
「…………俺は……母上の言っている事がよくわかりません」

母上の話を聞き、暫く考えた上で杏寿郎は、そう口を開いた。

「血の繋がりとは、そんなに大切なものなのでしょうか?」

そして、思った事をそのまま母上に伝えた。

「母上も父上も血は繋がっていなくとも、家族になっています。それは、同じ家で同じご飯を食べて、同じ時間を一緒に過ごして来たからですよね? それなら、俺と瑠一郎も同じじゃないのですか?」

同じ屋根の下で、同じ時を俺と瑠一郎は、一緒に過ごして来た。
その記憶は、決してゆるぎない事実だ。

「俺には、血の繋がりなど関係ありません! 瑠一郎は、俺の自慢の弟ですっ!!」
「! ……そうですね。お前の言う通りです」

そうはっきりと言い切った杏寿郎の言葉に母上は、驚きの表情を見せたが、その後に嬉しそうに微笑んだ。

「では、杏寿郎。私がいなくなっても……瑠一郎の事を兄として、守ってあげてくださいね」
「はいっ! もちろんです、母上!!」

その時、杏寿郎は母上に、はっきりと約束をした。
瑠一郎の事を兄として、守るという事を……。
それなのに――――。

――――うわああああぁぁぁっ!
――――りゅっ、瑠一郎ーーーーっ!!

俺は、あの出来事を、瑠一郎のあの悲鳴を聞くまで気付く事が出来なかった。
俺がもっと早く気付いてさえいれば、瑠一郎は顔をに火傷を負う事もなく、右目も失明する事もなかったはずなんだ。
そして、あんなおぞましい光景を見る事もなかったはずなんだ。

――――ちっ、父上! 一体、何を!?
――――退けっ! 杏寿郎っ!! そいつは……化け物だ!!
――――!!?

あの時放った父上の――槇寿郎の言葉の衝撃が、今でも忘れられなかった。
あの時ほど父上に対して、恐怖を抱いた事はなかっただろう。
そして、この時の出来事の真相をいくら聞き出そうとしても、父上も瑠一郎も話そうといはしなかった。
ただ瑠一郎は『すべては、私が悪いのです』とだけしか言わなかった。
そんなはずがあるわけがないというのに……。
あの出来事が起こる直前ですら、瑠一郎は父上の事を心配していたのだから……。
寧ろ、悪いのは俺の方だ。あの出来事を未然に防ぐ事が出来なかった俺の方が……。
俺は、瑠一郎に対して、一生消えない傷を作ってしまったのだ。心と身体、両方に……。
だから、俺は決めたのだ。
己の罪と向き合い、瑠一郎の事を兄として守り続けるという事を……。





* * *





「あの……瑠一郎さんの右目って……」
「うん。右目の視力はないんだよ」

場所を移動したものの一体何から話そうかと瑠一郎が悩んでいると、そう炭治郎の方から口を開いてくれた。
なので、瑠一郎は、それに素直に頷くとそう言った。

「私が子供の頃……ちょっと、やらかしてしまってね。……父上に……熱湯をかけられてしまったんだ」
「!?」

そして、瑠一郎がそう言った瞬間、炭治郎が息を吞んだのがわかった。
それを見た瑠一郎は、思わず苦笑した。

「……昔から、そんな人じゃなかったんだよ。兄上が柱になる前は、父上が柱を務めていたし、私たちにも優しく剣を教えてくれた。……とても尊敬できる人だった。……けど、ある日、突然、剣士をやめてしまったんだ。本当に突然だった……」

母――瑠火が亡くなった直後だったら、まだ納得する事が出来たかもしれなかった。
でも、そうではなかった。母上が亡くなった後も父上の剣への情熱は、無くなってなどいなかった。
寧ろ、逆だと瑠一郎は、思っていた。
鬼をさらに滅する為に、己の剣術をさらに磨きをかけていたように見えていた。
今、思えば、それにのめり込むことでしか、父上は母上を喪った哀しみから逃れる術がなかったのかもしれない。
幼かった私たちだけでは、父上の心を支えてあげる事が出来なかったのかもしれない。

「……私は、父上に昔のように元気になってもらいたかった。元気付けたくて……私は、父上に……"舞"を踊って見せたんだ」
「……舞、をですか?」
「うん。……夢で見た舞を、ね……」

その夢は、幼い頃にたった一度だけ見た舞だった。
肺が凍りそうなくらいに寒い、雪が降り積もる中を誰かがずっと舞を踊っていた夢だった。
その舞の夢は、たった一度だけしか見なかったというのに、何故だか私の心に、目に焼き付いて離れなかった。
間違いなく、私の心は、その舞を見て、感動で震えたのだ。

「……綺麗なその舞を見たら、父上も感動してくれる。心が動いてくれるのではないかと思って、頑張って兄上たちにも隠れてその舞を練習したんだ」

何処の誰だか知らない人物が踊っていたその舞を己が見た夢の記憶だけを頼りにして必死に練習した。
全ては、父上が喜んでくれると信じて……。

「でも……幼かった頃の私のその考えは、ダメだったらしい。その舞を実際に父上に見せたら……逆上されて、私は……気が付いたら熱湯をかぶっていた。その後の記憶は、私は曖昧だったから、よくは憶えてはいないんだけど……父上は、私に……刀を向けていたそうだ」
「! そっ、そんな事って……っ!?」
「うん。やっぱり、そうだよね。あの時の父上は……異常だった」
「っ!?」

瑠一郎の話を聞いた炭治郎は絶句した。
やはり、彼が聞いても、あの時の父上は、異常に見えるのだろう。

「そんな私の事を兄上は、必死に守ってくれたらしい。小さな子供が柱になった男に刀を向けられたのに……。その事を知っただけ、私はもう充分だった」

意識が朦朧としていたので、その時の父上と兄上が何を話していたのかは、瑠一郎は知らない。
ただ、他の大人たちがその部屋に入ってくるまで兄の杏寿郎は、自分の事を必死に父上から守ってくれていたらしい。
一体、どれだけ怖い思いをしただろうか?
柱となり、己の実の父親でもある男に刀を向けられたというのに……。
だから、杏寿郎は、何も悪くないのだ。
悪いのは、父上の逆鱗に触れるような軽率な行動をとってしまった私なのだから……。
だけど――――。

「だけど……兄上は、未だにその事を後悔して私に接してくる。私が火傷と失明した事を自分のせいだと思って責め続けているんだ。……私の命を守ってくれただけで、もう充分だったはずなのに……」
「…………でも、少しだけ、俺は……煉獄さんの気持ちがわかるような気がします」

すると、炭治郎がそうポツリと呟いた。

「俺の額の傷も元はただの火傷だったんです。弟の竹雄が火鉢を転ばせちゃって、それを庇った時に出来た火傷でした。もし……あの時、少しでも俺が動くのが少しでも遅かったら……竹雄がそうなっていたかもしれないと思うと……」
(あぁ……そうか……)

今の炭治郎の言葉でよくわかった。
どうして、私が彼に話を聞いてもらいたかったのかを……。
彼は、よく似ているのだ。兄――杏寿郎に……。

「……そっか。でも……流石に、炭治郎くんでも、さっきのあの話は、呆れましたよね?」
「? 呆れる? どうしてですか?」

そう不思議そうに首を傾げる炭治郎に対して、逆に瑠一郎は困惑した。

「どっ、どうしてって……あんな夢みたいな話を私はしたんですよ?」
「でも、瑠一郎さんは、嘘を言ってなかったじゃないですか?」
「!?」

その炭治郎の言葉に瑠一郎は、瞠目した。
炭治郎は、あの話を一発で信じてくれた事に正直驚いてしまった。

「俺! 鼻が利くんですっ! 人の感情とか、鬼の気配とか、匂いで大体わかりますっ!!」

そんな瑠一郎に対して、そう炭治郎は得意気に言った。

「だから、俺にはわかりました。……瑠一郎さんがあの時言っていた事は、本当の事だって! ……嘘があったのは、煉獄さんに怒っていた時に言っていた一部の言葉だけだったって……」
「っ!!」

炭治郎のその言葉を聞いた瑠一郎は、目頭が熱くなるのを感じた。
あんな話を、ちゃんと信じてくれる人がいる事が本当に嬉しかった。
でも――――。

「…………ありがとう、炭治郎くん。……でも……兄上にも、やっぱり、信じてもらいたかったなぁ……」
「…………」

信じて欲しかった。兄上だけには、信じて欲しかった。

「……ねぇ、炭治郎くん。この際だから、一つ訊いてもいいかい?」
「はい? 何ですか?」
「…………もし、どうしても変えられない出来事が目の前で起こるとわかったら、君なら……どうする? 例えば……禰豆子ちゃんの事を鬼から人に戻せないと誰からそうはっきりと言われてしまったりしたら、とか?」
「!?」

ずっと、その事を訊いてみたかった。彼と彼の妹は、自分が見た夢を覆すことが出来た存在だったから……。
柱合会議で死ぬはずだった彼らは、その夢を覆して今もこうして自分と話をしている。
それが出来た理由をどうしても知りたかった。
彼らの何がそれを変える事に繋がったのかを……。

「んー……。俺は、目の前の事でいっぱいいっぱいなので、瑠一郎さんに訊かれるまで正直、そこまで深く考えた事がなかったですねぇ……」

瑠一郎のその問いに炭治郎は、本当に困ったように考え込んでしまった。

「…………けど、多分ですけど、それでも俺は、禰豆子を人に戻す事を決して諦めないと思います。人に言われただけなら、それが本当かどうかは、まだわからないですし……。その時点では、俺はまだ何もしていないのと同じだから」
「! ……何もしていないのと……同じ?」
「はい! なので、自分で動いてから、それが本当にダメなのか、確認してから決めると思います! やっぱり……後悔するなら、やってする方が全然いいですし!」
「!!」

その炭治郎の言葉に瑠一郎は、ハッとさせられた。
そして、今までの己の行動を思い返した。
私は、本気で夢を変えたいと思って動いた事が、本当にあっただろうか?
カナエの時だって、心の中では本当は無理かもしれないと、思いながら動いていたのではないだろうか?
だから、夢を変えられなかったのではないのか?
やる前から、私は全てを諦めていたのではないかと……。

「あっ、あの……瑠一郎さん?」
「えっ? あっ! ごめんね! ちょっと……考え事をしてしまったよ;」

そんな瑠一郎の様子を見て心配そうに炭治郎が声をかけてきた。
それに瑠一郎は、慌てて答えた。

「……ありがとう、炭治郎くん。今の言葉で少しだけ勇気が出たよ。……兄上の事、頑張ってみるよ」

そして、笑みを浮かべて炭治郎にお礼を言った。
そうだ。まだ、諦めてはいけない。
兄上だけは、何としても助けなければ……。
そう改めて瑠一郎は、思えるようになったのだった。









悪夢シリーズの第5話でした!
今回のお話は、煉獄さんとケンカした直後の煉獄さんと瑠一郎のそれぞれのお話を書いています。
実は、ちゃっかりと煉獄さんには瑠一郎の事を打ち明けていた瑠火さん。そして、過去の槇寿郎さんは、本当に異常ですね;

【大正コソコソ噂話】
その一
瑠火は、瑠一郎に真実を打ち明けた後に杏寿郎に瑠一郎の事を話しています。杏寿郎に血は繋がってなくとも瑠一郎は、家族だという事を伝えたくて話しています。
ただ、瑠火さんは、二人共に打ち明けた事は、一切話していません。
※そのせいでちょっとしたすれ違いを起こしてます。

その二
瑠火が持っていた瑠一郎の実母の刀は、現在は瑠一郎が所有しています。
瑠火の遺品を整理している際、瑠一郎が瑠火からの手紙を見つけ、刀を保管している場所を特定しました。

その三
瑠一郎が夢で見た舞は、もちろんですがヒノカミ神楽でした。
その夢を見た日は、その舞の美しさから朝からかなり興奮していたようです。


R.3 1/19