――――…………なんだ、それは?

その時の父上――槇寿郎の瞳が今でも忘れられなかった。
あの冷たい瞳が……。
私は、ただ、父上に元気を出してもらいたかっただけだったのに……。

――――……お前は、お前まで、俺の事を……馬鹿にしているのかっ!!

あの私に対して怒り狂った父上の瞳が今でも忘れられない。
そして、申し訳なかった。
父上にあんな思いを、言動をとらせてしまった事に対して……。
そして、あの瞳を父上に酷似している兄――杏寿郎を通じて思い出してしまう事が……。


~悪夢は夢のままで終わらせよう~


「おはようっ! 瑠一郎!!」
「おはようございます、兄上。……今日は、いつもより遅かったですね」
「うむっ! あまり早く来ると胡蝶に叱られるからなっ!!」

杏寿郎のその言葉を聞いた瑠一郎は、思わず苦笑した。
しのぶに言われてこの時間に屋敷を訪れたようだが、それでも今は早朝五時であった。
いつもより二時間程は遅いが、それでも早朝である事には変わらなかった。

「で、今日は、何の御用でしょうか? 先に言っておきますが、兄上の継子にはなりませんから……」
「……胡蝶から話を聞いた。鬼を討った数を誤魔化しているというのは、本当なのか?」
「…………」

その杏寿郎の問いに瑠一郎は、即答する事が出来なかった。
そんな瑠一郎の様子を見た杏寿郎は、それを肯定として受け取った。

「何故、ちゃんと報告しないんだ? みんな、お前の事を心配してたぞ」
「…………私は、間違った報告は、していません」
「だが、お前の鎹鴉には、実際に討った鬼の数とは異なる数を伝えるようには、言っているのだろう?」
「! そっ、それは……」

杏寿郎の言葉に瑠一郎は、言葉を濁した。
確かに、私は自分の鎹鴉に鬼の数を指定して報告させている。
でも、それが間違っている事だとは、思ってはいない。
けれど、その事をどう説明したらいいのかが、わからなかった。
言ったところで誰も信じてはくれない。きっと、兄上だって……。

「……俺にも話せない事なのか?」

そんな瑠一郎の心情をまるで読み取ったかのように、そう杏寿郎は言った。
その金環の瞳には、ひどく哀しみが帯びていた。

「瑠一郎。もう本当の事を話してはくれないだろうか?」
「…………」

どうしようと、迷ってしまう自分がそこにはいた。
本当の事を話してしまってもいいのではないか、と心が揺れ動いてしまう。

(ダメだ……。そんな甘言を信じるな……)

だが、心の中のもう一人の私がそれを阻止しようと、纏わり憑いてくる。

(……"アノ事"は、決して誰にも言うべきではない。お前の言う事なんか、誰も信じはしない。本当の事を言って傷付くのは、お前だけだ……)

そんな言葉がずっと頭の中で反響して、うまく口を動かす事も出来なくなっていた。

「瑠一郎! 俺を信じろ! お前が悩んでいる事があるのなら、俺も一緒に抱えて支えてやるっ!!」
(! ……兄上は……俺の事を……信じてくれる……)

そうだ。兄上は、誰よりも優しい人だ。
こんな自分の為にこうやってわざわざ時間を割いて話を聞いてくれている。
強くて、優しい兄上……。
そして、そう遠くない日に命を落としてしまう兄上……。
ここで私が本当の事を話してしまった方が、そんな余計な時間を兄上に使わせる必要がなくなるかもしれない。
兄上が、私に割く時間を……。

「…………本当に……信じてくれますか?」
「あぁ! 兄は、弟を信じるものだっ!!」
「っ!!」

瑠一郎が恐る恐る問いかけるのに対して、杏寿郎はいつもとわからない笑みを浮かべてそう言い切った。
その杏寿郎の言葉が、笑みが、瑠一郎の心を後押しする。
兄上には、ちゃんと話そう。予知夢の事は、流石に話せないけれど、"アノ事"については……。
意を決して瑠一郎は、口を開いた。

「……確かに、私は我門には、異なる数を本部に報告するようにお願いしていました。でも、その数が……私が本当に鬼を討った数だったからです。私は……鬼とは違う……別の得体のしれない化け物も一緒に討っていたから……」

そして、ゆっくりと瑠一郎は、杏寿郎に真実を話し始めた。
初めの頃は、ただ声が聞こえるだけだった。
鬼狩りをしている夜の闇の中で不気味な声が聞こえるだけだったのだ。
でも、いつからか、その化け物たちは、瑠一郎の目の前に姿を現し、襲い掛かってくるようになったのだ。
その化け物は、何を言っているのか正直わからなかった。
だから、何故、自分が狙われているのかが、わからなかったが、自分の事を目掛けて襲ってきていたのは、事実だった。
そして、何よりそれが鬼とは違う事に気付いたのは、それが日輪刀ではなくとも倒せたからだった。
瑠一郎がもう一つ所持している日輪刀ではない刀で倒すことが出来たのだ。
鎹鴉でも見分けがつかないその化け物を判別できたのも、そのおかげだった。
だから、初めの頃は、先にそっちの刀を使って頸を斬り落とし、それでも死ななかった鬼のみを日輪刀で再度頸を斬り落とすという一手間を掛けて正確な数を数えていたが、今では見ただけでそれを判別できるようにまでなっていた。
それは、鬼よりもその化け物の方が圧倒的に数が多かったからだろう。
その事を瑠一郎は、正直に杏寿郎にすべてを話した。

「…………ですから、私は、正直に鬼の数は、報告しています。……何故そんな化け物がいるのか、何故私がそんなものに襲われるのかは、まだわかっていませんが、本当の事なのです」
「…………」

そんな瑠一郎の話を杏寿郎は、何も言わずにただ黙って聞いてくれていた。
真剣に瑠一郎の話に耳を傾けてくれていた。

「こんな事、信じられない事だという事は、私自身よくわかっています。ですが……本当の事なのです」
「…………うむ」

そして、瑠一郎の話をすべて聞き終えた杏寿郎は、いつも通り頷いた。
その様子を見た瑠一郎は、安堵した。
よかった。この様子からして、兄上は、私の話を信じてくれた。

「……しかし、残念だ。流石にこれでは、胡蝶たちも納得しないだろうし……俺もにわかに信じがたいっ!」
「!?」

だが、次に杏寿郎から返ってきた言葉は、瑠一郎が予想もしていなかったものだった。

「本当の事を言いづらい気持ちはよくわかる! だが、ここまで手の込んだ作り話をされるとは……。よもや、よもやだぞ、瑠一郎!!」
「っ!!」

そう言って杏寿郎は笑っていたが、瑠一郎は全然笑えなかった。
やっぱり。兄上は――。

「俺の事を色々と気にしているのなら、その必要などないっ! 瑠一郎! お前は――」
「信じてくれるんじゃなかったんですか?」

杏寿郎の言葉を遮って、そう瑠一郎は静かに言った。

「兄上は……オレが嘘をついている、心を開いていないと思って、ずっと聞いていたんですかっ!!」
「! りゅ、瑠一郎、それはちが――」
「だったら、どうして兄上は、そんな事を言うんだよっ!!」

心に溜め込んで来たものが一気に溢れ出す。
もう止まらない。止めないといけないとわかっているのに……。

「信じがたい話をしているのは、オレ自身がよくわかっているっ! 嘘みたいな話だって事はっ!! でも……兄上が信じてくれるって言ったから……っ!!」
「瑠一郎……」
「自分を信じろと言っておきながら、兄上は初めからオレの話なんか信じようとは、思ってないじゃないかっ!!!」
「っ!!」
(違う。そうじゃない……)

兄上は、何も悪くない。初めから、わかりきっていた事じゃないか?
全部、私が悪いんだ。兄上なら、信じてくれると期待してしまった私自身が……。

「だったら、最初から何も聞かないで欲しかったっ! 兄上の言葉を信じて話したのに……。かえって惨めになってしまったじゃないかっ!!」

その言葉を信じた分だけ、余計、心が抉られた。
そんな事、自業自得なはずなのに……。
感情が爆発してしまって、抑えられない……。

「……それに、オレが気付いてないとでも思ってた? 兄上がいつも……最初にオレの何処に視線を向けていたのかをって……」
「! そっ、それは――」
「ここだよな? オレの右目とその火傷の事が気になって仕方なかったんだろっ!!」
「っ!!」

そして、その感情は、今までずっと抱えてきたものにまで及んでいく。
いつも、気付かないフリをしていた。
兄上がいつも何処に最初に視線を向けて話していたのかを……。
それは、自分の右目だった。前髪でわざと隠していた右目とその火傷をいつも兄上は見ていたのだ。
その事を瑠一郎に指摘された杏寿郎の顔色が明らかに変わっていった。
それが、何よりも瑠一郎には、哀しかった。

「…………やっぱり、兄上は、オレの事なんて全然心配してないんだよ。……ただ、あの時の事を止められなかった悔やんで、オレの事を可哀想な奴だってずっと思ってただけなんだよ……」

違う。兄上は、そんな事、思ってなんかいない。
そんな事、思うはずがないとわかっているのに、止まらない……。
感情が、涙が、止まらなかった。

「もうオレの事なんか放っておけよっ! オレがどうなろうと、兄上には、関係ないだろっ!! そもそも、オレと兄上は――っ!!」

そう言った時だった。辺りに乾いた音が響いたのは……。
それと同時に感じたのは、左頬の痛みだった。
その音が、その痛みが、漸く瑠一郎の事を止めてくれた。

「……! すっ、すまない、瑠一郎!!」
「いえ……。大丈夫です。……今、兄上に殴ってもらわなければ、危なかったです。……ありがとうございました」
「…………」

思わず手を出してしまった事に対して、杏寿郎はそう言ったが、それに対して瑠一郎は、そうお礼を言った。
本当に危なかった。止めてもらわなければ、きっと言ってしまっていた。
私と兄上は、本当の兄弟なんかではないという真実を……。

「…………すみません。今日のところは、もう帰ってください」
「瑠一郎……俺は――」
「お願いします。そうでないと、私は……また、思ってもない事を口走って、兄上の事を傷付けてしまいそうなので……」
「…………」

思いを振り絞るようにそう瑠一郎は言ったが、杏寿郎はその場から動こうとしなかった。
いや、動けなかったのかもしれない。
だから、瑠一郎の方が動いた。兄から、杏寿郎から逃げるように……。
そして、暫く歩いた後、瑠一郎はふと足を止めた。
そこに、一つの人影があったから……。

「炭……治郎くん……!?」
「! すっ、すみません! おっ、俺……」

その人物の、炭治郎の名を瑠一郎が呼ぶと、彼はひどく慌てふためいた。
その様子からして、どうやら彼は今までのやり取りを聞いてしまったようだった。

「……聞いてしまいましたか? 私と……兄上の会話を」
「! いっ、いえ……おっ、俺は……なっ、なにも……」

念の為、それを確認してみると、炭治郎は物凄い変顔になりながら、そう言った。
本当に、炭治郎は嘘をつくのが下手である。
そんな炭治郎の様子を見て、瑠一郎は思わず苦笑した。

「…………炭治郎くん。もし、よかったら少しだけ……私に付き合ってくれないかな?」
「えっ? えーっと……?」
「ちょっとだけ、私の話に付き合ってもらいたいんです。……炭治郎くんが嫌なら、無理にとは言いませんので……」

何故だかよくわからなかったが、少しだけ炭治郎と話をしたくなってしまった。
話をして、自分自身の気持ちもちゃんと整理したかった。
けど、その為だけに彼を利用するのも何処か悪い気もした。
そんな瑠一郎の気持ちを炭治郎は察したのか、コクリと頷いた。

「はい! 俺でよかったら、話聞きますよ」
「ありがとう、炭治郎くん。じゃぁ……あっちの方で話そうか?」

こうして、瑠一郎は炭治郎と共にその場から後にするのだった。









悪夢シリーズの第4話でした!
今回のお話は、煉獄さんとケンカをしてしまう瑠一郎でした。
瑠一郎は、ずっと、嘘は言ってはいなかったのですが、真実も言っていませんでした。(言っても誰も信じてもらえないと思っていたからです)
勇気を出して言っても、やっぱり信じてもらえないのは、辛いですよね。。。

【大正コソコソ噂話】
その一
鬼ではない化け物についての話は、瑠一郎は誰も信じてくれたないと思っていたので、これまで誰にも話してきませんでした。 でも、ずっと、杏寿郎には嘘をつきたくはないと思っていたので、話してしまいたいと思ってました。

その二
鬼狩りとは違う化け物は、鎹鴉でも見分ける事が出来ません。瑠一郎は、幾度もその化け物に襲われているうちにその化け物と鬼の違いが徐々に分かるようになりました。

その三
炭治郎くんは、訓練がてら走り込みをしている最中に偶然話を聞いてしまいました。
※相変わらず、努力家な炭治郎くん
聞いた内容だっただけに瑠一郎に問われた時にすぐに正直に言えなかった炭治郎くんでした。


R.3 1/11