「はあ~。結局、朝までかかっちまったなぁ……」
「それは、宇髄さんが報告書を書かずに遊んでいたからじゃないですか?」
「別に遊んでねぇし……」

報告書の作成に朝までかかってしまった宇髄は、それに漸く解放された事に心底安堵し、息を吐いた。
そんな宇髄に対して、それに朝まで付き合わされたしのぶに至っては、何処か呆れたようにそう言ったので、思わず宇髄は苦笑いを浮かべた。

「まったく、宇髄さんのせいでこっちまで付き合わされるんですからね。これに懲りたなら、報告書を溜め込むのも大概にしてくださいね」
「わっ、悪かったって……。お詫びがてら、今日の朝飯は、俺が奢ってやるからさぁ!」
「……そうですか。でしたら、カナヲたちの分と、生姜の佃煮が美味しいお店でお願いしますね♪」
「おっ、おう……」
「ありがとうございます。では、早速、カナヲたちを……?」
「ん? 何だ? …………っ!?」

宇髄の言葉にしのぶは、にっこり微笑むと、カナヲたちを呼びに蝶屋敷の中に戻ろうとした。
だが、その時、屋敷の向こうから、地響きのような物音が聞こえてきた為、一度その足を止めた。
それに宇髄も気付き、その方向を見た途端、瞠目した。
そこには、こちらへと物凄い速さで近づいてくる人影があったのだ。
その人影が近づいてくるにつれて、それが誰なのかもすぐにわかった。
あんな派手な髪をしている人物を宇髄が見間違える筈がない。
杏寿郎だ。だが、杏寿郎は、今、任務に出ているとしのぶから聞いていた。
こんなに早く戻って来られるだろうか?

「……おい、煉獄。そんなに慌ててどうし――――!?」

そして、杏寿郎が、自分たちの許までやって来ると、急停止したので、宇髄はいつも通り、声をかけようとした。
だが、その瞬間、宇髄は、自分の心臓が止まったのではないかという錯覚に陥るほどの寒気が走った。
今、自分の目の前にいる杏寿郎の姿は、明らかにボロボロで、そして、その腕の中には、意識のない瑠一郎の姿があったから……。

「胡蝶! 瑠一郎を……助けてくれっ!!」
「っ!!」

その必死な杏寿郎の願いをしのぶが断る理由などあるわけがないのだった。


~悪夢は夢のままで終わらせよう~


真っ白な空間で今にも消えてしまいそうなその存在――コユキに対して、そうハクは、口を開いた。

「何故、あんな事をした? 何故、アレを助けようとしたんだ!?」
「…………それは、主上の〝あの言葉〟を聞いた上で私に訊いていますか?」

それに対して、コユキはハクに対して、冷たい声でそう投げかけた。
その瞳は、今にも消えてしまいそうな存在とは、とても思えないほどの強い光を帯びていた。

「主上のあんな言葉を聞いておいて、何もしない方が私的にはどうかしているかと思いますが?」
「たった一度きり、アレと繋がった位で、もうアレの事を主上呼ばわりか?」
「主上呼ばわりではなく、あの人は紛れもなく、私の主です。私がこのまま消えても……主上が夢を繋げてくれましたから……」

ハクの言葉にそうコユキは、はっきりと言い切った。

「……ですが、主上は、その夢を果たす途中で命を落としそうになってしまった。そんなの困ります。ちゃんと……夢を果たしてもらうまでは、生きてもらわなければ……」
「それが、お前の本音か? そのくだらない夢に、これ以上、アレを巻き込むのはやめろ」
「主上の事を……誰よりも巻き込んでいるのは、あなたの方ではありませんか? ハク……。いえ。それとも、〝幻中の狗〟と言った方がいいでしょうか?」
「!?」

そのコユキの言葉にハクの顔色が変わった。
〝幻中の狗〟。なんて呼び方をされたのは、何時振りだろうか?
少なくとも、アレの中に封印されてからは、なかった事だった。

「あんたが主上の事を真名で呼ぶ事に拘っていたのが、何よりもその証拠だと……。そうやって、主上の魂をこの世に必死に引き留めようとしていたのでは、ないのですか?」
「違うな。俺様は、あの名前が心底、気に入らなかっただけだ。アレを自分たちのモノのように主張するかのようなあの名前が……」
「それが、仮に本当だったなら、どうして、あなたは、主上の事を愛称などを使って呼ぼうとしなかったのですか? あなたは、誰よりも知っていた筈です。主上の真名を知られる事、それで呼ぶ事がどれだけ危険な行為だった事を……」
「だったら……どうだって言うんだよ?」

その事をコユキに指摘されたハクは、やけくそとばかりに言葉を吐き捨てた。

「結局……アレには、俺様の言葉は、何一つ響いちゃいなかったじゃねぇかよ……」

そうだ。俺様は、どんな手を使ってでも、アレの事を護ろうと必死だった。
けど、アレは、俺様の忠告など一切無視して、見事にその手から零れ落ちていってしまった。
俺様は、結局何も出来なかったんだ。

「…………それは……本当にそうだったのでしょうか?」

そんなハクに対して、まるで憐れむかのように、そうコユキは、口にした。

「あなたの言う通り、あなたの言葉が何一つ響いていなかったのなら、主上は……あなたに対して、あの言葉を言い残したでしょうか?」

――――だから……もういいよ。私の事を……喰らっても……。

そして、コユキにそう言われた瞬間、ハクが思い出したのは、ついさっき見た瑠一郎の顔だった。

――――それだけでも、私には充分だと思ったから、そう言っているんだ。……だから……あとは、私の事は……君の好きにしたらいいさ。

そう穏やかな笑みを浮かべて言ったアレの顔が今でも目に焼き付いて離れなかった。
あんな大事な事をアレは、最期に託していってしまったのだ。
俺様なんかに……。

「…………ホント……馬鹿だよ、アレは……」
「そうですね。ですが、最終的にどうするか決めるのかは、他ならぬ主上自身です。ですが……その決断を確認するまで待つ時間は、私には残されていません」

出来る事なら、彼がどのような決断をするのか、ちゃんと見届けてから消えたかった。
主上は、私の夢を受け継いでくれたんだから……。
でも、コユキには、それは出来なかった。
ついさっき、主上に触れあった事で自我を持った私には、ハクのような強大な力は持ち合わせていなかった。
主上の身体を延命させるのに殆ど力を使い切ってしまったから……。

「ですから、私の分まで、あなたは主上の事を見届けてあげてくださいね、〝幻中の狗〟さん」
「…………なら、せめて最期に一つだけ教えろ」

そう言ったハクの声は、とても静かなものだった。

「お前に……こんな事をするように頼んだのは……あいつなのか?」
「そんな事、訊いてどうするつもりですか?」
「別に……。ただ、こんな事をお前独りがやれるとは、思えなかったから訊いてみたかっただけだ」

そうだ。こんな事、こいつだけで思いつく事ではない。
アレに触れて、急速に自我や力を身に着けたからと言って、ここまで思いつく筈がないのだ。
絶対にこいつに助言した奴がいる。
そして、そいつは――――。

「……あなたの想像通りです。私は、あそこに行く途中である方と遭遇して、頼まれました。『主上に考える時間を与えると為、身体だけでもこの世に生かして欲しい』と」
「! やっぱり、あいつ!!」
「ですが、あなたがそんな事を知っても、何も出来ませんよね? あの方は、もうこの世には、いない人なのですから」
(そんな事、言われなくても…………っ!)

言われなくてもわかっていた。その事実を知っても、あいつに逢う事は、もう出来ない事は……。
それでも、知らずには、いられなかった。
あいつが、一体何処まで絡んでいたのかを……。

「……質問には、ちゃんと答えましたので、私は、もういきますね。主上の事、頼みましたよ」
「…………」

そうコユキは言うと、ハクに背を向けるとさっさと自分の本来あるべき場所へと目指して歩き出した。
そして、それをハクは、もう止めようとはしなかった。

「…………『賭けは、私の勝ちです』」

だからだろうか。コユキは、深く溜息をついたかと思うと、一度、立ち止まってそう言ったのは……。

「『ですから、あの子の為にも、変な意地は張らず、もっと自分の気持ちに素直になって。そうすれば、きっと、あの子も貴方の事をちゃんと受け入れてくれる筈だから。』……これが、あの方が、あなたに伝えて欲しいお願いされた言葉です」

――――……じゃぁ、私と賭けでもする? 貴方が、この子を大切な存在だと、思えるようになるかを?

「!!」

コユキのその言葉を聞いた瞬間、ハクは、在りし日のとある人物の言葉を思い出し、コユキの言葉を確認しようとした。
だが、もう時間切れだったらしく、彼女の姿は、もう何処にもなかった。

「…………本当、お前は……何処まで視えていたんだよ……夢璃」

お前は、こうなる事を全部、知っていたんだろう?
全部、視えていたんだろう?
だから、全部、事前に準備していたんだろう?
彼女は、あの隠の事も、全部……。
だから、知りたかった。お前が、一体、何処までアレに関しての夢を視ていたのかを……。
けど、もうお前は、死んでしまったから、直接話す事が出来ない俺様にそれを確認する事は無理な事だった。
だから、ここまでの出来事が、夢璃が視たアレの夢の内容だと、そう願いたいハクであった。









悪夢シリーズの第28話でした!
今回で無事に瑠一郎をしのぶの許に運ぶことが出来ました!
新幹線並みに走れる煉獄さんはやっぱり速いですね!!
後半のほうでは、ハクとコユキちゃんとの会話となります。
今回は、大正コソコソ噂話が全然思いつきませんでしたwww

【大正コソコソ噂話】
その一
コユキちゃんは、瑠一郎の事は、好きですが、ハクについては嫌いです。
ハクがやって来た事が一応、瑠一郎の為であった事は理解していますが、瑠一郎を苦しめていた事には変わりないからです。


R.4 2/27