(あー……。あの鬼の娘のせいで、俺様の出る幕がなくなちまったじゃんかよ……)

そんな瑠一郎と禰豆子たちの戦いを遠くから見つめていた存在がいた。
それは、白狗の姿をしていたハクだった。
これまでは、外に出る事は出来なかったハクだったが、瑠一郎の潜在的な力がここにきて格段に強化された事により、ハクに対しての封印の力が逆に弱まった。
その為、この姿ならある程度長い時間であれば、外に出られるようになったのだ。
だから、璃火斗の身に危険が迫ったら、俺様がカッコよく助太刀するつもりでいたのだが……。
それをあの鬼の娘に横取りされてしまった。

(……まぁ、いい。……あの瞬間は、必ずやって来るのだから……その時まで…………ん?)

その時、ハクは、とある異変に気が付いた。
杏寿郎たちの許へと向かおうとする璃火斗の近くに小さな光が漂っているのが見えたのだ。
その光は、今にも聞けかかってしまいそうなとても弱々しいものだった。

(…………あの程度の存在なら、何も問題ないだろう)

アレが璃火斗に危害を加えるなど、万に等しいだろう。
そう思ったからこそ、この時のハクはそれを見逃してしまった。
その判断が、大きな間違いだった事に気付くのは、もう少し後になるとは知らずに……。


~悪夢は夢のままで終わらせよう~


(そっ、そんな……こんな……ことって……)

杏寿郎たちの許へと向かう為、汽車の先頭車両の方へと辿り着いた瑠一郎は、目の前に広がる光景に息を呑んだ。
砂埃が立ち込める中で見えたのは、杏寿郎の背中。
そして、その足元には夥しい量の血溜まりが広がっていた。
それは、正しく、夢で見たあの光景と全く同じだった。

「……死ぬな。杏寿郎」

ふと、瑠一郎の耳に一つの静かな声が届いた。
それは、杏寿郎と対峙していた鬼――猗窩座の声だった。

「生身を削る思いで戦ったとしても、全て無駄なんだよ。杏寿郎」

独り言を言うかのようにそう言った猗窩座は、自身の肩から胸の辺りを触った。
猗窩座の声が響く度に瑠一郎の心がざわついた。

「お前が俺に食らわせた素晴らしい斬撃も、既に完治してしまった。……だが、お前はどうだ?」

杏寿郎が付けたであろう刀傷は、そう猗窩座が言っている間にも見る見るうちに塞がっていき完治した。
そして、猗窩座の両眼は杏寿郎へと向けられる。

「砕けた肋骨、傷付いた内臓、もう取り返しがつかない。鬼であれば、瞬きする間に治る。そんなもの鬼ならば、掠り傷だ」

猗窩座のまるで諭すような声が辺りに響くが、その顔に笑みは一切浮かんでいなかった。

「どう足搔いても、人間では、鬼に勝てない」
「ハァ……ハァ……」

猗窩座の言葉に対して、杏寿郎は何も答える事なく、ただ荒い息を繰り返していた。
あの出血から見ても、本当だったらもう立っているのもやっとな状態のはずだ。

(助けなければ……)

今、ここで動かなければ、杏寿郎はあの夢の通りに死んでしまう。
その事を頭では理解しているのに、瑠一郎の身体は全く動かなかった。
それは、まるで――――。

(……まるで、重い鎖に繋がっているような――――)
――――繋がってるようなじゃなくて、実際にお前は、繋げられているんだよ、璃火斗。
「!!」

頭に直接響くような声に驚き、視線を変えると、そこには一匹の白狗の姿があった。

「貴方は……ハクですか? どうして、外に……!?」
――――それは、璃火斗と直接対面出来た事で俺様の力が強まったからかなぁ。けど、今は人型よりこっちの姿の方が保っているのが楽だから、そうしてる。
「……さっきのは、一体どういう意味ですか?」
――――なーんだ。さっき、あんだけ、あいつらを倒したのに、まだお前はコレが視えてねぇのか?
「ですから、一体どういう――!?」

そう言いかけたその時だった。瑠一郎は、己の両足に違和感を持った為、その方向へと視線を向けると、思わず瞠目した。
そこには、先程までは何もなかった両足首に金色の足枷が嵌められており、鎖が地面に向かって伸びていた。
その足枷が、瑠一郎の事を拘束していたのだ。

(なっ、何ですか……これは、一体!?)
――――おっ! その表情は、漸く視えるようになったって顔だなぁ! ちなみに、それで繋げられているのは、璃火斗だけじゃないぞ。
「! 私、だけじゃない……!?」

ハクの言葉を聞いた瑠一郎は、慌てて視線を杏寿郎たちへと向けた。
すると、そこにいた杏寿郎や猗窩座、それに炭治郎や伊之助たちまでもが身体の何処かをあの金色の鎖と繋がっていたのだ。

「何で……さっきまでは……」
――――あいつらも全員が縛られているからなぁ……。璃火斗が見たあの夢に。

その瑠一郎の質問に答えるかのようにそうハクが言った。

――――璃火斗があの夢を見た時点でアレは、ただの夢ではなく、確定された未来――運命へと変わったんだ。誰にも変えられないよう、ああやって鎖に縛られる。あの夢を現実にする為に、誰にも邪魔が出来ないように……。
「ですが、貴方には……その鎖は、ありませんよね?」
――――おっ! 気付いちゃった! 流石は、俺様の璃火斗だな♪

瑠一郎がそう言うと、ハクは何処か嬉しそうな声を上げた。
瑠一郎の言う通り、彼だけは、身体の何処にもあの鎖に見当たらないのだ。
一体、どうして……?

――――俺様は、誰よりも特別な存在だからだよ。運命なんてもんに俺様は、縛られねぇ。……俺様が何を言いたいのか……もうわかるよな?
「…………」

そのハクの言葉を聞いても、瑠一郎はすぐに言葉を返す事が出来なかった。
わかっている。彼が、ハクが一体何を言いたいのかを……。

――――……璃火斗。もういい加減意地を張るのはよせ。今、お前がしたい事の為に俺様を利用しろ。その為に――。
「出来ません。それに、私の名前は、瑠一郎です。璃火斗と呼ぶのはやめてください」

ハクがもう一つの名前を呼ぶ度に頭がふわふわした感じがする。
それが、己の思考を狂わせているような感じがした。
甘い誘惑に誘い込まれそうになりながらも、瑠一郎は、それを何とか拒絶した。
だが、それを聞いたハクは明らかに怪訝そうな表情を浮かべた。

――――嫌だ。璃火斗は、璃火斗だ。それにお前。自分が今置かれている状況が本当にわかっているのか?
「わかっています」
――――いや、お前は、まるでわかっていない。わかっているなら、何故、お前は、俺様の事を求めない? あの兄と慕う男より、やっぱ自分自身の方が大事なのか?
「兄上を救えるなら、私は何だって出来ます」
――――だったら、何故それをしようとしない?
「では、正直に教えてください。一体、どうやったら、私を喰らう事で兄上を助けられるのかを?」

ハクの問いに瑠一郎は、逆にそう訊き返した。

「貴方が鬼のように人智を超えた存在だという事は、よくわかります。ですが……その方法を貴方は、決して私には教えようとしませんよね?」
――――! そっ、そんな事、璃火斗は知る必要なねぇだろうが?
「いいえ、あります。私の命を懸けるのなら、逆に知っておくべきです。それとも……その方法は、私を喰らわなければ、出来ないという事でしょうか?」
――――!!

瑠一郎がそう言った瞬間、ハクの表情が明らかに動揺したようなものへと変わった。
それを見た瞬間、瑠一郎は己が考えている事がおおよそ当たっているのだと理解した。

「…………ずっと、私の中で警告音のようなものが聞こえているんです。そして、それに合わせて警告するような声も……。『その誘いには、乗るな。乗れば、壊れる……。この世界そのものが』と……」

それは、ほぼ本能に近いようなものだった。
だから、どんなに彼に誘惑されてもどうしても首を縦に振る事が出来なかった。

「それが本当なら、私には出来ません。……私の身勝手な、我が侭のせいで世界そのものを壊してしまうのなら……」
――――お前は……大切な人と世界を天秤に掛けられたら、世界を取るのかよ?

瑠一郎の言葉を聞いたハクは、そう静かに言った。

――――俺様なら、世界じゃなく、お前を選ぶ。お前だけを守って、手に入れる為なら、俺様はいくらだって、こんな世界を壊してやるって決めてるんだよ。
「ハク……」
――――今だってそうだろ? お前は、幻中の、いや、世界の理のせいで、そんなに苦しんでいるじゃねぇかよ! だから、俺様にそれを解放させてくれよ……。それが嫌なら、大切なお兄様があの夢の通り、死ぬのをもう黙って見てろよ。
「! 違う……」

ハクの言葉を聞いた途端、瑠一郎はそう自然と口にしていた。
違う。そうじゃない。
ここに来てから、ずっと何か違和感があったのだ。

「あの夢と今は、違っている……」
――――お前、何言ってるんだ? ここに来て今更、現実逃避してんのか? 今とあの夢の一体何が違うって言うんだ?
「貴方こそ、今まであの夢の何を見ていたのですか?」

杏寿郎が死ぬあの夢を嫌と言う程、何度も見せられ続けて来た瑠一郎だからこそ、よくわかった。
それは――――。

「今の兄上の左目は……潰れていません! あの夢とは、違って!!」
――――なっ!?

そう。杏寿郎の左目は、潰れていないのだ。
彼の背中しか見えていないから、わからなかったが、潰れていないのだ。
それは、先程の猗窩座の言葉をちゃんと聞いたら、よくわかる事だった。
そして、それが、ここへ来てから瑠一郎がずっと感じていた違和感の正体だったのだ。
何度も同じ夢を見せられて来たというのに、そこだけがあの夢と決定的に異なっていた。
何故、そんな違うが起ったのか?
そんな事は、今の瑠一郎にとっては、どうでもよかった。
それよりも大事な事は、もっと別の事だ。
この少しの違いが示している事は、あの夢はまだ確定ではないという事だ。
それに、この場に瑠一郎がいる時点であの夢とは、全く同じであるはずがないのだ。

(……絶対に何か、何か別の方法がある筈。他に方法が……)

そして、その方法をハクは知っている。
知っているから、その事を話さず、こんな提案をしてきたに違いない。
だが、一体、何故……?

――――あなたの言う通り。方法は、他にもあります。ですが、それをあの子があなたに教えようとしないのは、それを使えるのがたった一度きりであり、今のあなたがそれを使えば、あなた自身の命を保障する事が出来ない為です。
「!!」

そんな事を考えていると、瑠一郎の頭の中にハクとは、別の声が響いてきた。
それは、まるで女性のような声で、今まで聞いた事がない声の筈なのに、何処か懐かしく感じる声だった。

――――だから、あの子は選んだ。世界か、あなた、どちらかだったら、あの子は世界を壊す事を選んだのです。それが、あの子の覚悟。例え、その結果、あなたに完全に嫌われてしまったとしても、憎まれてしまってもいいと、あの子は考えています。

まるで、瑠一郎の事を優しく諭すようにその声は言葉を続けた。

――――あなたには、どれだけの覚悟がありますか? あの子の意志を……超える程の覚悟が……。

ないなら、大人しくしていろと、そう言われているような気がした。
それでも……。

(…………私に……ハクのような覚悟があるのか……そう訊かれたら正直ないかもしれません。私の勝手な想いだけで……この世界を壊すなんて……そんな事は間違っています)

やっぱり、私には出来ない。世界を壊してまで、それをやるべきではない。
でも……。

(ですが……もう一つの方法で、それをしなくてもいいと言うのなら、私は迷わずその方法をやります)
――――! 言ったはずです。その方法は、あなたの命を保障する事は、出来ないと……。
(それの何が問題なのですか? 私の命は、私自身が守ればいいだけの事です)
――――……本当にいいのですか? これを使えるのは、生涯で一度きり。……あなたの死を回避する時に使うべきではありませんか?
(……昔、母上が言ってました。天から授かりし力は、人の為に使うものだと)

その力が同じく天から授かったものだというのなら、決して己が生き残る為に使うべきではない。
誰かの命を救う為に使うべきであり、今、まさにそれを使うべき時だと思った。
それに……。

(それに、私は教えてもらったのです。人の心が一番の原動力であり、思い続けていれば、何でも出来るようになるという事を……)
自分より幼い隊士の、炭治郎の言葉が私に勇気を与えてくれた。
その言葉があったから、私はこの無限列車にも乗車する事も出来て、今ここに立っている事が出来ているのだ。
そして、杏寿郎の左目も失明していない。だから……。

――――…………いいでしょう。ならば、私があなたに力を貸します。

瑠一郎の言葉を聞いたその声もどこか覚悟を決めたようにそう言った。

――――幻中璃火斗。いえ。煉獄瑠一郎。私を使って、その己を縛る鎖を断ち斬りなさい。そうすれば……この空間で、あなたを縛り付けるものは、何一つなくなります。
(えっ? 私をって……!)

その声の言葉に困惑した瑠一郎だったが、瞬時に理解した。
その声が言う〝私〟が何かを……。

――――もう、あなたには、迷っている時間はありません。彼が奥義を放ち、あの鬼と最期の一線を交える前に私を握りなさいっ!
「俺は……俺の責務を全うする! ここにいる者は、誰も死なせないっ!!」
「!!」

その声が、瑠一郎を現実へと引き戻した。
辺りには、燃え滾るような闘気が溢れており、肌を突き刺していた。
それに気付いた瑠一郎が視線を返ると、杏寿郎が奥義を出す構えを取っていた。
もう悩んでいる時間はない。だから、瑠一郎は手を伸ばした。
日輪刀ではない、母の形見の刀へと……。

「! やめろっ! 璃火斗!!」
「はあっ!!」

瑠一郎の動きを察したハクは、瞬時に人型に姿を変えて瑠一郎へと手を伸ばした。
だが、瑠一郎の動きは、それよりも速かった。
鞘から刀を一気に抜刀すると、そのまま己の事を縛る鎖を断ち斬った。
それによって、両足首に付いていた足枷も消え、瑠一郎は完全に自由を取り戻した。
だから、何の迷いもなく、瑠一郎は杏寿郎の許へと駆けだした。

「ダメだっ! 璃――――っ!!」

それを見たハクは、阻止すべく更に手を伸ばしたが、それすら叶わなかった。
瑠一郎が断ち斬ったはずの金色の鎖が今度は、ハクへと絡みついて身動きを封じたからだった。

(これは……! 間違いなくあの……っ!!)

どうして? どうして、アレを璃火斗が使えているんだ!?
あの術を俺様は、まだ使い方すら教えていないのにっ!!
あの術だけは、今の璃火斗には、使わせるわけにはいかなかったのに……。

「…………いくな……璃火斗」

それ以上、いかないでくれ。いってしまえば、もうお前は……。
本当、俺様は、おかしいよな……。
お前の〝死〟を本当は、誰よりも願っている筈なのに、何で……。

「……もう……俺様の声は届かないか……」

あの術を使ってしまったお前に俺様の声が届く筈もない。
なら、もう俺様に出来る事は、ただ一つだ……。
すべてが終わったその時に璃火斗の事を……。

「…………お前だけは……何が何でも放さないからな、璃火斗……」

そう小さく呟いたハクの声は、誰の耳にも届かないのだった。





* * *





――――……瑠一郎さん。俺、思うんです。

杏寿郎と猗窩座の許へと向かう中、また瑠一郎は、あの時の炭治郎の言葉を思い出していた。

――――人は……心が一番の原動力になるんだって。心は、何処までも強くなれるし、思い続けていれば、きっと、何でも出来るようになるって!

屈託のない炭治郎の言葉と笑みが鮮明に蘇ってくる。

――――……私にも……出来るかな?
――――はい! 瑠一郎さんなら、きっと大丈夫ですっ! 俺は、信じてますっ!!

その言葉があったから、瑠一郎はここまで動く事が出来た。

(……間に合え)

違う。間に合えじゃない。
間に合わせるんだ、必ずっ!!
今、瑠一郎の身体を突き動かすのは、たった一つの想いだけ。
それ以外のものには、何も彼の事を縛り付ける事も出来なかった。
だから、瑠一郎の目には、はっきりと捉える事が出来た。
猗窩座の腕が杏寿郎の鳩尾を貫こうとしているのが……。

(炭治郎くん……。君の言う通りだったよ……)

君に出逢ってなければ、私はこの未来を諦めていただろう。
己の力で猗窩座の腕を受け止めて、杏寿郎を守る未来なんて……。

「! ……瑠一郎!?」
「すみません。助けに入るのが、遅くなりました、兄上」

驚く杏寿郎に対して、そう言った瑠一郎の声は、何処までも穏やかなものだった。









悪夢シリーズの第20話でした!
今回は、瑠一郎とハクとの会話がほぼメインとなっています。
そして、今回で漸く瑠一郎が煉獄さんと再会出来ました!!
これからは、猗窩座さんとの対決が始まりますね。戦闘、上手く表現できるといいなぁ(ノ)・ω・(ヾ)

【大正コソコソ噂話】
その一
煉獄さんの左目が潰れずに済んだのは、ハクのおかげでした。
夢の中でハクと邂逅し、ハクが猗窩座の技を使って、煉獄さんに攻撃を仕掛けていた為、起きた後もある程度その動きを身体が憶えていました。

その二
瑠一郎に話しかけていたもう一つの声は、母親(夢璃さん)の形見の刀を通じで語りかけた誰かです。
また、その声は、瑠一郎にしか聞こえていませんでした。

その三
瑠一郎が聞いていた警告音は、ハクと話す度に聞こえていました。
ハクの言葉とその警告音に板挟みとなっていた瑠一郎は、かなり気持ちが悪かったそうです。

「お前、よくそんな状態で普通に喋られたなぁ」
「それに関しては、私自身驚いています」


R.3 9/25