「それにしても……まさか、〝アレ〟が逆効果に働くとはなぁ……」

瑠一郎がいなくなった暗闇の中で独りハクは残ってそう呟いた。
ハクの言う〝アレ〟とは、瑠一郎に見せた夢の事だった。
ハクは、瑠一郎に見せていた夢を意図的に操作していた。
それは主に夢の選別だったが、一度だけ彼の見る夢を意図的に弄った事があったのだ。
それが、例の鬼を連れている鬼狩りの夢だった。
アレとアレの妹は、あの時決して死ぬ運命ではなかったのだが、それを死んでしまったように変えて見せたのだ。
彼が見る夢を弄る事は、困難な事であるのだが、それをやる事でハクと出会うきっかけにしかったのだ。
俺様に頼れば、夢を覆らせる事が可能だという事を信じ込ませる為に……。
だが、彼は俺様の想像を超える行動をとってしまった。
まだ、気付いてはいないとは思うが、〝アレ〟だけは何としてでも阻止しなければならない。
その為にも、既に種は蒔いておいた。
彼が兄と言って慕う男は、間違いなく俺様の言葉を信じて、全力で彼の事を守りに動くだろう。
そこで待っているのは、間違いなく己自身の死だとは知らずに……。

「……俺様から、逃げられると思うなよ、璃火斗」

そう言ったハクは、ドス黒い笑みを浮かべるのだった。


~悪夢は夢のままで終わらせよう~


「…………っ! ……やっと……目が……覚めた?」

漸く目を覚ます事が出来た瑠一郎は、念のため辺りを確認した。
そこは間違いなく、汽車の中のようだったが、明らかに雰囲気が変わっていた。
客車内は、鬼の肉らしきもので肥大化しており、数多の触手が蠢いていた。

(あぁ、なるほど……。彼が言っていた、贈り物とは……この事でしたか……)

それを見ても瑠一郎がさほど驚かなかったのは、先程までハクと邂逅したからかもしれない。
彼は、贈り物と称して、瑠一郎が意識を失っている間の出来事とこれから上弦の参がやってくるまでに起こるであろう出来事を夢という形で見せてきたのだ。
何故、ハクがそんな事を、私の事を手助けするようなことをしたのかは、まだよくわかっていない。
そして、それをする為にわざわざ唇を奪った行為についても……。
どちらにしても、ハクはこう考えているのかもしれない。
この事を私に教えたところで、兄上の死だけは決して変えられないと……。
やれるものなら、やってみろと……。

(それなら……私は、この情報を存分に利用するまでです)

利用できるものなら、何だって利用する。
必ず、兄上をあの悪夢から守る為にも……。
瑠一郎がそんな事を考えていると、鬼の触手が瑠一郎目掛けて襲い掛かってきた。
それを瑠一郎は、冷静に躱すと腰にある日輪刀を抜刀し、その触手を斬り裂いた。
瑠一郎によって斬られた鬼の触手は、ちゃんと灰となって散っていった。

(よかった……。ちゃんと……斬れるみたいですね)

そう瑠一郎が安堵している間にも鬼の触手は、次から次へと生えては盛り上がって来る。

(急がなければ……)

それを見た瑠一郎は、さっそく行動を開始する為、前の車両へと走り出す。
兄――杏寿郎がいる車両を目指して……。





* * *





「兄上! …………あっ」

無数に群がってくる鬼の触手を容赦なく斬り刻みながら、瑠一郎は汽車の中を突き進んでいった。
そして、先程、炭治郎たちと別れた車両まで戻ってきた瑠一郎の目に飛び込んできたのは、穏やかな杏寿郎の寝顔だった。

(兄上! …………よかったっ)

まだ、大丈夫だとわかっていても、その顔をちゃんと確認するまでは、安心する事が出来なかった。
よかった。兄上は、まだ、ちゃんと生きている。本当によかった……。
そして、それが確認出来た途端、今度は自分が泣きそうになっている事に瑠一郎は気が付いた。

(……っ。……まだ、泣いている場合ではないのに……。早く……兄上を起こさなければ……)

そう思った瑠一郎ではあったが、どうしても杏寿郎を起こす事に躊躇ってしまった。
本当に兄上の事を起こす必要があるのだろうかと……。
このまま、兄上は眠らせておいた方がいいのではないかと、思ってしまったのだ。
それは、奴が、上弦の参は、杏寿郎の磨き上げられた闘気に引き寄せられてここまでやって来るのだ。
なら、眠っていれば、その闘気を誤魔化す事も出来て、上弦の参は杏寿郎の存在に気付かず、通り過ぎていくかもしれない。
上弦の参と杏寿郎が出会わなければ、あの悪夢は避けられるのだから……。

「……それにしても……やっぱり、兄上の顔は綺麗だなぁ……。それに……睫毛も……長い……」

何時だっただろうか? こんな風に兄上の寝顔を見つめたのは……?
正直、ずっとこのまま眺めていたいとも思ってしまった。
だから、気付いていなかった。
瑠一郎が無意識のうちに杏寿郎へと顔を近づけていた事に……。

(それに……兄上は、あの戦いで左目を……やっぱり、このまま…………っ!?)

そう思い直した瑠一郎は、杏寿郎の事を起こすのをやめて、その場から離れようとした。
だが、そのとき、少し体勢をくずしてしまったせいだろうか。
何か強い力に引き寄せられるように瑠一郎の顔が杏寿郎の顔へと急接近してしまった。
そして――――。

「っ!?」

そして、瑠一郎が気付いた時には、己の唇が杏寿郎のものと当たっていた。
驚いた瑠一郎は、すぐさま離れようとしたのだったが、何故だか全く動けなかった。
そして、この時になって、瑠一郎は漸く気が付いた。
自分は体勢を崩したのではなく、崩されたのだという事に……。
己の頭をがっちりと掴んで放さない杏寿郎の手によって……。
それによって、瑠一郎の頭はさらに混乱し、硬直した。
何故、こんな状況になってしまったのか……。
きっと、今、兄上は、変な夢を見ているに違いない。
そうでなければ、この状況について説明がつかなかった。
私と兄上が唇を交わしてしまうというこの状況について……。

(そうです。きっと、そうに違いない! ……やっぱり、兄上の事を……起こさなければっ! 兄上の為にもっ!!)

そう結論付けた瑠一郎は、己の頭にある杏寿郎の手を優しく掴むとそれを退けさせた。
それによって、瑠一郎は、漸く杏寿郎から距離を取る事に成功し、唇も解放された。

「……はぁ……はぁ……あっ、兄上! いい加減、起きてくださいっ!! 敵襲ですっ!!」
「!!」

少し乱れてしまった呼吸を整えてから、一気に息を吸い込んでそう瑠一郎は、そう杏寿郎に声を掛けた。
その瑠一郎の声を聞いた杏寿郎の瞳が一気に開く。

「……おはようっ! 瑠一郎!!」
「おっ……おはようございます……兄上」
「ん? どうした? 瑠一郎? 何だか……顔が赤いようだが……?」
「! いっ、いえ! だっ、大丈夫です……。ちょっと……驚いてしまっただけですから……」

目を覚ました杏寿郎は、いつもと変わらず瑠一郎に接してきた。
その様子を見た瑠一郎は、やはりさっきの事は、杏寿郎は何も覚えていないと判断した。

(そっ、それにしても……兄上は……一体、どんな夢を……?)
「瑠一郎? 本当に……大丈夫なのか?」
「! はっ、はいっ! 本当に……大丈夫ですから!!」

そう心配そうな表情を浮かべている杏寿郎に対して、瑠一郎は慌ててそう答えた。
今は、余計な事を考えている暇はない。
早く、この汽車と一体化してしまった下弦の壱の頸を斬らなければ……。

「兄上。今の状況なのですが……私たちが眠って締まっている間に下弦の壱がこの汽車と一体化してしまったようです」
「なんと! それは、柱として不甲斐ないっ!!」

瑠一郎の言葉を聞いて本気で杏寿郎は、ショックを受けているようだった。

「して、竈門少年たちは? 彼らは、無事なのか?」
「はい。炭治郎くんは、もうとっくに起きて、下弦の壱と交戦したようです。善逸くんや禰豆子ちゃん、それに伊之助くんも鬼から乗客を守っています」
「よもや! それは……穴があったら、入りたいぞっ!!」
「兄上。それは、ここにいる鬼を倒してからにしてくださいね」

今言っていた事を本当にやり兼ねないと思った瑠一郎は、そう言って杏寿郎の事を止めた。

「そこで、兄上。……この戦いを最速で終わらせる為にも、私から作戦を提案させてください」

そして、そう言って瑠一郎は言葉を続けた。

「この汽車は、八両編成です。その為、私が後方五両を守ります。残りの三両は、雷の呼吸が使えて動きの速い善逸くんと禰豆子ちゃんたちに任せて、兄上は炭治郎くんと伊之助くんと合流して鬼の頸を捜して斬ってください。炭治郎くんは、鼻が利くので、鬼の急所を正確に特定することが出来ますし、すでに下弦の壱とも交戦しているので、攻略法もわかっていると思います。同様に伊之助くんも感覚に優れていますので、二人と協力すればすぐに鬼の頸を見つけられるはずです」

それは、ハクが瑠一郎が見せた夢で知った作戦だ。
夢の中の杏寿郎は、起きてすぐにこの状況を把握し、この作戦が最適だと判断した。
それによって、炭治郎くんたちは下弦の壱の頸を斬る事に成功するのだった。
そこに柱である杏寿郎も加えれば、さらに対応が速くなるだろうと瑠一郎は思ったのだった。

「…………瑠一郎。それは、見事な作戦だ!」
「ありがとうございます。では、早速――」
「でも、それはダメだ!」

だが、次に杏寿郎から返ってきた言葉は、思ってもみないものだった。

「何故ですか?」
「その分担だと、お前への負担が大きすぎるからだっ! だから、俺とお前の役割を変えるべきだっ!」
「お言葉ですが兄上、私たちが今相手をしている鬼は、下弦の壱です。そう簡単に斬れる相手ではありません。なので、少しでも早くこの戦いを終わらせる為にも、兄上と炭治郎くんたちで対応した方がいいはずですよ」
「だが――――」
「それに、それが出来るのなら、先にそれを私は提案していますよ。私がいたら、逆に足手まといでしかならない事をわかっています。兄上なら……その理由、よくわかっていますよね? それがあったから、兄上は私をここへ同行させる事も嫌がったのですから」
「!!」

出来る事なら、本当は私がそれをやりたかった。
その方が、杏寿郎が上弦の参とも遭遇する確率も下げられると思ったから……。
下弦の壱を倒した後に炭治郎くんに呼吸の指導をした直後に遭遇してしまうのだから……。
でも、瑠一郎では、それは出来なかった。寧ろ、足を引っ張り兼ねないのだ。
瑠一郎が哀しい笑みを浮かべてそう言ったの聞いた杏寿郎は思わず目を見開かせた。
瑠一郎が詳しく説明しなくても、その理由を理解してしまったから……。

「…………さぁ、この話はもうお終いにしましょう。兄上は、早く炭治郎くんたちを見つけて合流してください」
「……うむ、わかった。だが、瑠一郎。一つだけ、俺と約束をしてくれないか?」
「約束、ですか?」

その杏寿郎の言葉に瑠一郎は、不思議そうに首を傾げた。

「そうだ! 瑠一郎! ……この任務が終わったら、俺の継子になって欲しいっ!!」
「! ……どうして、兄上は、そんなに私の事を継子にしたいと思うのですか? ……幾ら、私が頑張ったとしても……私が柱になる事はないと……兄上は誰よりもわかっていますよね?」

今まで何度か杏寿郎以外の柱からも継子にならないかと誘われた事はあった。
でも、それは、彼らが何も知らないからだ。
だが、杏寿郎は知っている。知っているはずなのに、それでも諦めずに誰よりも自分の事を継子にしようと誘ってくるのだ。
その行動が瑠一郎には、わからなかった。

「……瑠一郎。俺は……別に柱になれる可能性がある人物だったから、誰かを継子にして育てたいと思った事は一度だってないぞ。その人物のいい所をさらに伸ばしてやりたいと思っているだけだ! 甘露寺の時もそうだった!」
「それなら、尚更、私を継子にする必要はないじゃないですか? 寧ろ、炭治郎くんたちを継子にして育てるべきだと?」
「! そっ、それは、その……そうなんだが……」

瑠一郎の言葉を聞いて、何故だか杏寿郎は戸惑いを見せた。
こんなすぐに論破されるような事を言うのは、何だか杏寿郎らしくないと思い、瑠一郎は不思議そうに杏寿郎の事を見つめた。

「あっ、兄上……?」
「……とっ、とにかく……その……ここで、何か一つ……約束をしておかなければと思って、つい」
「だから、それは何故ですか?」
「……っ! そっ、そうしないと……瑠一郎に……もう二度と会えなくなってしまうような気がして、だ」
「っ!!」

そう恥ずかしそうに笑って言った杏寿郎の言葉に、瑠一郎は言葉を失った。
杏寿郎が、まさかそんな事を考えているとは思ってもみなかったから……。

「…………それでしたら、兄上。私からも一つ、お願いがあります」

彼は、己が見ている夢の事は知らない。
けど、何度も生死を懸けるような戦いを潜り抜けている。
そんな経験から本能的にわかってしまっているのかもしれない。
今回の任務がとても危険であるという事を……。
ならば――――。

「次に私と再会するまで……絶対に死なないでください。必ず生きて、私と再会してください。そうでなければ、私が兄上の継子になる事も……出来ませんから」
「! うむ! わかった! 約束しようっ!!」

その瑠一郎のお願いに杏寿郎は、少しだけ驚いたような表情を浮かべたが、それについて快く承諾してくれた。
それを聞いた瑠一郎も少しだけ安堵したように笑った。
この約束が少しでもきっかけになってくれたらいいと……。
杏寿郎が無茶をしないように少しでも歯止めになってくれればいいなと思いながら……。

「……では、お喋りはこの辺にまでにして、そろそろ反撃を始めましょうか? あまり、炭治郎くんたちばかりを働かせるのは、よろしくないですし」
「うむ! そうだな! では、さっさと始めようか!!」

その瑠一郎の言葉に応えるかのように、杏寿郎は素直に頷くと当たり前のように瑠一郎と背中合わせになるように立ち位置を変えて、抜刀した。

「はい。炭治郎くんたちの事、よろしくお願いします。……あっ! あと、それと――――」
「! 瑠一郎! それは一体、どういう――――!?」

それを確認した瑠一郎も鬼との戦いに備えて本格的に戦闘態勢に入った。
そして、その場から一気に後方車両を斬撃を放つ為、力強く床を蹴った。
その直後、瑠一郎は杏寿郎に一つ忠告を残した。
その内容を聞いた杏寿郎は驚き、瑠一郎へと振り返ったが、もう彼の姿は何処にもなかったのだった。









悪夢シリーズの第15話でした!
今回は、瑠一郎が目覚めた後のお話となります!
夢で見た役割を煉獄さんのそのままやってもらいたい瑠一郎なのですが、とある理由からそれは出来ませんでした。。。
それぞれが約束を交わす事で生きて帰らないといけないという意識を持ってもえらえる事を期待してます!

【大正コソコソ噂話】
その一
ハクは、魘夢同様に人の見る夢を操作する力を持っています。
ですが、人によっては、それが困難な事でもあったりして、瑠一郎についてはまさにそれでした。
それでも、自分に出会うきっかけづくりの一環として、炭治郎兄妹の死の夢を改竄する事にしました。

その二
瑠一郎に夢を見せる為にハクは、瑠一郎にキスをしてましたが、実際はそんなことしなくても夢を見せる事が出来ます。

「では、何故、やったんですか?」
「それは、璃火斗が美味そうだったから! 後、虫よけ!!」
「虫? この汽車に虫なんていませんでしたけど?」
「お前が気付いてないだけだ! 物凄くでっかい虫がいんだよ」
(それは……最早、虫ではないのでは? 鬼やあの化け物のとだろうか?)


R.3 6/21