「…………お前さぁ……警戒感なさすぎだわ」

瑠一郎が次に意識を取り戻した時に聞こえたのは、狛治の声ではなかった。
でも、何処かで聞いた事のあるような声だった。

「あのまま、あいつに名前を名乗ってたら、どーなってたか、お前、わかってたか?」
「…………」

まだ、意識がはっきりしていなかった事もあり、その声の主の問いに瑠一郎は、答えることが出来なかった。
そんな瑠一郎に対して、その声の主が呆れたように溜息をついた。

「あのなぁ、もし、あそこで名前を名乗ってたら、お前は、あの夢の中に一生囚われ続ける事になって、本体に戻って来られなくなってたんだぞ! そうなったら……お前が兄上って慕う奴は、間違いなくあの世行き決定だわ」
「! あっ、兄上!?」

突然、声の主から杏寿郎の事を言われた為か、瑠一郎の意識は一気に覚醒し、起き上がった。
そして、辺りを確認したが、どうやらまだ、自分は夢から覚めていないようだった。
瑠一郎の間の前に広がっていたのは、暗闇だけだった。
本当に目が覚めているのなら、列車の風景が目の前に広がっていただろう。
そして、そんな暗闇の中に瑠一郎の他にもう一人だけこの空間にいた。
自分そっくりの顔をした青年がそこにはいたのだった。


~悪夢は夢のままで終わらせよう~


「っ!!」

その人物の姿を目に捉えた瞬間、瑠一郎は呼吸が一瞬止まったかのような衝撃に襲われてしまっていた。
本能的に彼の許から離れないといかないと思っているのに、上手く身体を動かす事が出来なかった。
おそらく、彼の瑠璃色の瞳がこちらに向けられているからかもしれない。

「…………あっ、貴方は……一体……?」

そう彼に問いかけるだけで精一杯だった。
彼に対して、何をそんなに恐怖を抱いているのかもわからなかったが、上手く声が出てこなかった。
そんな瑠一郎に対して、彼は何処か寂しそうな表情を浮かべた。
その表情を見たせいだろうか? 彼に対する恐怖が少しだけ薄れたのは……。

「……そうか。そう……だよなぁ。お前は……俺様の事も含めて……全部忘れちまったんだもんなぁ……。だから、お前は、俺様の事も避けるようになっちまったんだよなぁ……」
「なっ……何を……言って――――」
「けど、そんな事は、もうどうだっていいや! ……俺様は、また、こうやって……璃火斗(りひと)に会えたんだからさぁ!」
「りっ、璃火斗……?」

彼が私の事をそう呼んだ事に違和感を覚えた。
私の名前は、璃火斗ではない。私の名前は、瑠一郎なのに……。

「あっ! 俺様の事は、〝ハク〟でいいぞ! ちゃんとした名前は、一度、璃火斗には、教えてたけど、それは……また、思い出した時にでも呼んでもらえれば――――」
「すみません。貴方は……人違いをしているのでは、ないですか? 私の名前は、瑠一郎。煉獄瑠一郎です」
「…………ちげぇよ」

瑠一郎がそう言った瞬間、彼は、ハクと名乗った青年は、そう静かに言葉を返した。

「それは、あいつらがお前に勝手に付けた名前だよ。……お前の本当の名前は……実の母親――夢璃(ゆり)が、付けた名。幻中(まもなか)璃火斗(りひと)だよ」
「!!」

ハクの言葉に瑠一郎は、瞠目した。
育ての親である瑠火から実の母親の事を聞かされた時は、その人物の名前を確認することが出来なかったと、母上は言っていた。
一体、彼は……?

「……夢璃の奴は、お前が産まれる前から璃火斗って名前を付けてお腹にずっと語り掛けてたんだぜ? ……いつか、お前が大きくなったら、お前に抱きしめてもらうのが夢だって事も話してたっけなぁ……」
「…………ハク。……貴方は、どうして、そんな事まで知っているのですか? 貴方は、一体、何者なんですか?」
「んー……俺様は……簡単に言えば、〝夢の化け物〟だよ。だーかーら、夢璃は自分が死ぬ前に俺様の事をお前の身体の中に封じ込めたんだよ」
「? なん……」

そう言いかけた言葉を瑠一郎は、途中で呑み込んだ。
それについては、訊かなくても何となくわかってしまったから……。
本能的にハクから逃げたいと思っている事がその答えなのだろう。
彼は、私の事を……。

「……お聞きしてもいいですか?」
「俺様に答えられることなら」
「…………私の見る夢を……操作していたのは、貴方ですか?」

瑠一郎のその問いにハクは、頷く。

「あぁ、そうだぜ。夢は、俺様の領域だからなぁ。けど、俺様が主にやっていたのは、〝夢の選別〟だよ。内容については、そんなに簡単には弄れないからなぁ」
「では……何故、〝あの夢〟ばかりを私に見せたのですか?」
「それは、璃火斗にさっさと諦めて欲しかったからだよ」

そう答えたハクの言葉の意味が瑠一郎には、よくわからなかった。

「……なぁ、璃火斗。お前はまだ、お兄様の事、助けたいと思っているのか?」

そんな瑠一郎の様子など気にする事なく、そうハクは言葉を続ける。

「まだ、助けたいと思っているのなら、俺様が璃火斗の見た夢を覆す手助けをしてやってもいいぜぇ?」
「…………その見返りは、何ですか?」
「おっ! やっぱ、話が早ぇなぁ、璃火斗は♪」
「そんな風に話を切り出したのなら、タダではない事くらい、想像出来ますからね。……で、貴方は、私に何を求めているのですか?」
「そんなもん、俺様の口から直接言わせなくても、璃火斗ならもうわかってんじゃねぇのか?」
「…………」

ハクのその言葉に対して、瑠一郎は何も答えなかった。
ハクの言う通り、大体想像は出来ていた。
だが、それを口にしてしまえば、それが現実になってしまいそうで、怖かったのだ。

「…………俺様が望むものは、ただ一つ。……璃火斗、お前の事を…………喰いたい」

そんな瑠一郎の気持ちを知ってか知らずか、ハクはそう言って言葉を続けた。
その声は、酷く優しいものだった。

「お前を喰いたい。喰って……お前の事を人からも、何もかもから解放してやりたいんだよ、璃火斗」

自分と同じ顔をしている瑠璃色の瞳がこちらへと向けられる。
彼が言っている事は、とんでもない事なのに、その瞳からは、瑠一郎の事を心底心配しているようにしか見えなかった。
だが――――。

「……お断りします」

瑠一郎は、そのハクの提案を呑む事は出来なかった。
そんな瑠一郎に対して、ハクは眉を顰めた。

「何でだよ? 俺様が約束を守らないとでも思っているのか?」
「いえ。そうは思っていません。きっと、貴方は、私との約束は守ってくれるつもりでいる。そして、嘘もつくつもりがない事もわかっています」
「だったら、何で――――」
「ですが、貴方は、私に真実を全て話すつもりは、ないんですよね?」
「!?」

瑠一郎がそう言った途端、ハクの表情が変わった。

「私は、貴方についても、ましてや私自身についても知らない事が多過ぎます」

何故、母さんは、私の中に、ハクを封じ込めたのか?
何故、私は、予知夢を見る事が出来るのか?
何故、私は、鬼とは違う化け物に襲われるのか……?

「教えてくれませんか? 本当の私は……何者なのか? 私の中にずっといた貴方なら……わかりますよね?」
「……それは……璃火斗が知る必要のない事だ」
「それを決めるのは、貴方ではありません。私自身です」
「…………」

そう言った瑠一郎の言葉にハクは、何も言葉を返せなかった。
どうやら、彼は本当に私には真実を話すつもりはないようだ。

「…………まぁ、いいです。例え教えてもらったとしても、私の意志は変わらないと思いますし」
「つまり、璃火斗は兄と慕う奴を見殺しにするつもりか?」
「いえ。私は、兄上を救う事は、まだ諦めてはいませんよ」
「無理だ。俺様が力を貸してやらない限りは、あの夢は変えられねぇよ」
「果たして、それはどうでしょうか?」
「何?」

あくまでも落ち着いている瑠一郎に対して、ハクはそう訊き返した。

「貴方の力を借りなくても、私の夢は変える事が出来ると私は思っています。そして、その方法も貴方は、ご存知なんですよね?」
「何を根拠に?」
「根拠なら、炭治郎くんたちですよ」

ハクの問いに瑠一郎は、何の迷いもなくそう言った。

「炭治郎くんたちは、私の夢から外れて今も生きています。本当に貴方が言う事が正しいのなら、これはおかしい事ですよね?」
「そっ、それは……」
「なら、この話はもう終わりです」

己に返す言葉がないと判断した瑠一郎は、踵を返すと暗闇の中をさっさと歩き出した。

「おっ、おい! 何処に行くんだよ」
「もちろん、兄上たちの許ですよ。早く起きて鬼を狩らないと、他の乗客たちも危険に晒されますからね」
「お前って奴は……自分から悪夢に飛び込みに行く気か? あの夢を現実にさせたいのかよ?」
「そうならないように起きて、私自身が動くのです」

そもそも瑠一郎が見た夢では、瑠一郎自身はこの無限列車には乗車していなかった。
もうこの列車に乗れた時点で変わった部分もあるかもしれないが、それだけではまだ不十分だ。
決定的なものには、なっていないはずなのだ。

「ですので、私の事を起こさないようにするとか、そういう邪魔はしないで欲しいのですが?」
「そんな邪魔はしねぇよ」

念の為、釘を刺そうとした瑠一郎に対して、ハクはそうあっさりと言葉を返した。

「けど、俺様は、お前の事を諦めないぜ。……次は、必ず璃火斗の方から俺様の事を求めてくるってわかってるしなぁ。その時を俺様は楽しいに待ってるからな♪」
「っ! 貴方!? いきなり、何をっ!?」

そして、そう言いながら、ハクは瑠一郎の唇にそっと己の唇を落とした。
その不意打ちとも言えるようなハクの行動に瑠一郎は慌てふためいた。

「なーにって、予約だよ。予約。璃火斗は、俺様のものだからなぁ♪ そして、これは、俺様からのちょっとした、贈り物だよ♪」
「っ! そっ、そんなものは、いりませんっ!!」
「やーだ、璃火斗♪ 顔、赤くしちゃって、可愛いなぁ♪」
「っ!! ふっ、ふざけないでくださいっ!! もう、私は行きますからねっ!!」

明らかに彼はふざけている。そう思った瑠一郎は、赤面しながら言い放つと、今度こそその場から離れるべく、歩きだした。

「あらら~。怒った顔もやっぱ可愛いなぁ、璃火斗は♪」

だが、そんな瑠一郎の事をハクは、引き止めようとはせずそのまま瑠一郎の事を見送った。

「…………だからこそ、俺様は諦めきれねぇんだよなぁ」

その為、瑠一郎は気付かなかった。
ハクが静かにそう呟いた事には……。









悪夢シリーズの第14話でした!
今回は、瑠一郎とハクの邂逅話となります。
今回で瑠一郎のもう一つの名前がやっと発覚しました!
そして、ハクとの悪魔のような取引を断って夢から覚めようとする瑠一郎は、ある意味凄いですね。。。

【大正コソコソ噂話】
その一
幻中という名字は、これも実際に存在している名字で約10人ほどらしいです。
鬼滅の刃は、実在する珍しい名字が使われているので、それらしいものを必死で探した結果、こちらにしました。

その二
話を考え始めた当初は、「璃火斗」のまま(夢璃さんがちゃんと名前を教える)でいるという事も考えていました。
ですが、話を色々と考えていくうちに「煉獄家にちゃんと染まって欲しいなぁ」とも思った為、新たに「瑠一郎」という名前を付ける事にしました。

その三
夢の中で狛治に教えようとしていた名前は、「瑠一郎」ではなく「璃火斗」の方を教えようとしてました。
この時点では、もう一つの名前は知らなかったはずなのに、無意識のうちにその名前を教えようとしていたのでした。


R.3 5/19