「あー……。マジでクソマズかったわ。あいつ……」

そう言いながら、白狗は徐々に姿を変形させた。
そして、最終的には、その姿を青年のものへと変えた。
白い毛並みだった狗は、白髪の青年へとなった。
青年は、先程味わった侵入者の味がまだ口に残っている事に嫌悪するかのように何度も口から唾を吐いたが、結局何も変わらなかった。
別に、侵入者の事を本当に喰い殺したわけではない。
ちょっと、余計な事を喋りすぎたのと、ここを見られてしまったので、ここでの出来事の事だけを喰って忘れさせて現実へと帰してやっただけだ。

「…………それにしても……厄介な事、してくれたなぁ、あのクソ餓鬼がぁ!」

あのクソ餓鬼がかけた血鬼術のせいでアレが今は大変な事になっているのだ。
アレは、〝夢が見られない体質〟なのだ。
そうなるように俺様が長い年月をかけてアレの身体を弄ってきたからだ。
アレが見られる夢は、俺様が選別した夢だけなのだ。
だが、今回は、血鬼術で強制的に眠らされた事によって、それが出来なかった。
それによってアレに起こった事は、人の夢の中に彷徨う〝夢渡り〟という現象だ。
なので、アレの事を見つけて連れ戻す必要がある。
非常に面倒くさい……。

「……だが、これはちょっとした好機でもあるなぁ」

ずっと、アレは無意識のうちに俺様という存在に会う事を避け続けているのだ。
そうしなければ、壊れてしまうという事を本能的にアレはわかっているのだ。
だが、今回の事で漸く、アレと会う事が出来る。
そして、何より、クソ餓鬼の血鬼術の影響で同様に術にかかってる他の奴らの夢にも干渉がしやすくなっていた。
なので、上手くやれば、あいつの夢に干渉できるかもしれない。
アレに最も影響を与える忌まわしい存在に……。

「……じゃあ、せっかくだし……ちょっくら、遊んでやりますかねぇ?」

そう言った青年は、悪戯っぽく笑うと、何処かへと向かうのだった。


~悪夢は夢のままで終わらせよう~


(ん? ……俺は……何をしようとしていた?)

朦朧とする頭で杏寿郎は、ふとそう考え始めた。
何故だか、直前の記憶が酷く朧気だったが、その原因が何なのか杏寿郎にはよくわからなかった。
当たり前である。杏寿郎は今、下弦の壱――魘夢の血鬼術にかかって、夢の中にいるとは思っていないからだ。

「兄上……?」

すると、杏寿郎から少し離れたところから心配そうな声が聞こえてきた為、そちらに視線を向けると、そこには自分によく似た幼い顔があった。
それは、弟の千寿郎だ。

「…………やっぱり、うまく出来ていないですか?」
「! いっ、いや、そんな事はないぞ、千寿郎!!」

そう哀しそうに竹刀を持ってこちらを見つめている千寿郎の姿を見て、杏寿郎は何をしていたのか思い出した。
そうだ。俺は、千寿郎に稽古をつけていたのだ。
柱となって、鬼殺隊での任務が更に激務となった今は、こういった弟と何気ない日々を過ごす事が幸せで仕方ないというのに……。
それなのに、何故だろうか?
俺は、大切な何かを忘れているような気がした。

「だが、そんなに焦って振り下ろす必要はない。……もっと、肩の力を抜いて」
「…………こう?」
「そうだ」

だが、考えても仕方ない事はなるべく考えない事にしている杏寿郎は、その事をやめて千寿郎の稽古に専念する事にした。
杏寿郎の助言を受けて千寿郎は、竹刀の振り方を変える。
すると、さきほどより良くなったので、杏寿郎は素直に褒めてやると、千寿郎は嬉しそうに笑みを浮かべた。
その幼い笑みが愛おしかった。

――――おはようございます、兄上。今日のご用件は何でしょうか? 言っておきますが、継子にはなりませんからね。
「!!」

その瞬間、杏寿郎の脳裏にとある声が響いた。
その声は、とても優しく、聞いていて心地よかった。
だが、何故だろうか?
その人物の顔が靄がかかったように思い出せなかった。
俺の事を兄と呼ぶその人物の顔が……。

「兄上……?」
「! うむっ! 少し疲れただろう? 休憩にしよう!!」
「あっ、はい……」

そんな杏寿郎の事が心配になった千寿郎が再び杏寿郎の事を呼んだ。
それに気が付いた杏寿郎は、慌ててそう言うと縁側へと移動した。

(ダメだな、俺は……)

千寿郎の事をこんな風に不安にさせてしまうとは……。
もう余計な事は考えず、この休日を楽しもう。
そう杏寿郎は、この時は思うのだった。





* * *





「うまいっ!!」

千寿郎の稽古を一時中断させ、休憩がてら千寿郎が作ったお菓子を一口食べて杏寿郎は、そう大声を上げた。
千寿郎が作るものはどれも美味しい為、杏寿郎は好きだった。
剣の腕はあっても家事については、からっきしダメな杏寿郎は、千寿郎の事をとても尊敬している。

「うまい! うまい! うまいぞっ、千寿郎!!」
「ありがとうございます、兄上。おかわりなら、いくらでもありますから……」
「ありがとうっ!!」

本当に美味しそうに食べる杏寿郎に対して、千寿郎は笑ってそう言った。
それが嬉しくて杏寿郎は、更にお菓子を頬張ろうとした。

――――兄上、少し食べ過ぎですよ。あと、食べる時は、もっとよく噛んで味わってください。そうじゃないと、兄上が今ちゃんと味覚を感じているのか、少し不安になります。

まただ。また、あの声が聞こえてきた。
顔はよく見えないのに、その人物が俺の事を心配しているのがよく伝わって来た。
そして、俺がたまにストレスで味覚が感じなくなる事までよく知っているかのような口ぶりだった。
千寿郎には、心配させてしまうのでその事を今までに一度も打ち明けた事はなかったというのに……。
彼は一体……?

「兄上? お口に合いませんでしたか?」
「! いや! そんな事はないぞっ! ……もう少し、味わって食べようかと思っただけだ!」
「そう……ですか……。なら、いいのですが……」

千寿郎にそう言ってお菓子をゆっくりと味わいながら、杏寿郎は考えていた。
何故、さっきから知らない人物の事ばかり考えてしまうのだろうか?
分からない事は考えない主義の俺だが、それについてはどうしても気になってしまった。
俺は、自分にとって大切な何かを忘れてしまっているような気がしてならなかったから……。
そんな事を考えていると、背後から何やら人の気配を感じ取った為、杏寿郎は慌てて振り向いた。
そこには、杏寿郎や千寿郎によく似た顔つきのだらしなく着物を着た男が立っていた。
男の手には、酒瓶があった。
それは、間違いなく父である煉獄槇寿郎であった。
だが、どうしても父上がこんな時間に外に出てきたのだろうか?
鬼殺隊を辞めてからは、まるで全てに興味を失くしてしまったような父上は、殆ど自分の部屋に引き籠ってしまい、滅多に部屋から出る事もなかったというのに……。

「……何だ? いたのか、杏寿郎」
「はい……。今日は、お休みが取れましたので……」

その威厳があり、冷たい槇寿郎の声は、今でも杏寿郎は、恐ろしく逆らえないところがあった。
杏寿郎ですらそうなのだから、千寿郎もそうだろう。
昔は、父上にあんなにも懐いていたはずの千寿郎は、父上から姿を隠すかのように俺の身体にギュッと身を寄せていた。
その手が、微かに震えている事も杏寿郎にはわかった。

「そうか……。まぁ、お前みたいな奴が柱では、仕方ない事だがな……」
「…………」

その槇寿郎の言葉に対して、杏寿郎は何も言い返すつもりなどなかった。
父上の言う通りだと思っている。
俺は、まだまだ柱として、未熟なのだ。
そして、柱になったからと言って、俺がやる事も今までとは何一つ変わりはないのだ。
母上の事を、教えを守り続ける事。
弱き人を助ける事。それが、俺が、果たすべき責務。
そして、もう一つは――。

(ん? もう一つ……?)

俺にもう一つ果たすべき責務などあっただろうか?
でも、母上ともう一つ何かを約束したような気がした。
それは、一体……。

「……そう言えば、杏寿郎。お前に一つ確認し忘れていた事があった」
「? 私に……ですか?」

そんな杏寿郎の施行を遮るかのようにそう槇寿郎が口を開いた。
その事が余りにも珍しい事だったので、杏寿郎はただただ困惑しながら尋ねた。

「……〝アレ〟の刀は……何色だった?」
「…………〝アレ〟?」

槇寿郎が言う〝アレ〟が一体誰の事を指しているのか、杏寿郎はすぐに理解する事が出来なかった。
それは、槇寿郎にも伝わったのだろう。
槇寿郎は、残念そうに息をついた。

「…………いや、何でもない。そもそも、〝アレ〟に興味を持つ事自体、俺もどうかしていた。あんな……化け物なんかに……」
「!!」

その槇寿郎の言葉に何故だか杏寿郎の心が抉られたような気持ちとなった。
俺自身の事を言われたわけではなかったはずなのに……。

「…………取り消してください」
「ん? 何か言ったか?」

その場から離れようとする槇寿郎に対して、杏寿郎は気付いたらそう口を開いていた。

「その言葉……取り消してください。……彼は……人ですっ! 化け物なんかでは、ありませんっ!!」

今まで、こんな事を言った事があっただろうか?
父上に対して、こんな口の聞き方をしてしまった事が……。
俺の事なら、まだ我慢は出来た。
でも、何故だろうか?
その人物に対しての父上の発言が、化け物呼ばわりする事がどうしても許せなかった。
そんな杏寿郎の発言に対して、槇寿郎は気に入らなかったのか、怪訝そうに眉を顰めた。

「化け物に対して、化け物と言って何が悪い」
「ですから、彼は――」
「なら、何故、お前は、〝アレ〟の名を呼ばない?」
「っ!!」

その槇寿郎の言葉に杏寿郎は、思わず息を呑んだ。
父上に一番痛いところを突かれてしまった。
その相手の名前も顔すら、今の杏寿郎は思い出す事が出来ていなかったから……。
でも、これだけは、わかっていた。
その人物は、俺にとって大切な存在である事だけは……。

「……結局、お前にとってもその程度の存在なんだよ、〝アレ〟は……。だったら……さっさと忘れてしまえ……」

そんな杏寿郎の様子を見た槇寿郎は、そう吐き捨てるように言うと自室へと戻って行ってしまった。

(……どうしてだ?)

どうして、思い出せないんだ? 一体、俺の何が足りていないのだろうか?
思い出したい。彼の事を……。

「あっ、兄上……? 一体どちらに行かれるのですか?」
「蝶屋敷だ」

そう考えていたら、杏寿郎の足は自然と屋敷の外へと向かっていた。
向かう場所は、胡蝶の屋敷だ。
そこに彼がいる。
彼に会えば、きっと全部思い出せるはずだと思ったから……。
だが、そんな杏寿郎の事を千寿郎は、杏寿郎の羽織を引っ張って杏寿郎の事を引き止めにかかった。

「? ……千寿郎?」
「兄上……そんな所、行かないでください。せっかく、兄上が休日なのに……もっと傍にいてください」
「千寿郎……」

今にも泣きだしてしまいそうな千寿郎の言葉に杏寿郎の心は揺らいだ。
俺が、任務を行っている間、この広い屋敷であんな状態の父上と千寿郎は二人っきりで過ごしているのだ。
それが、どれだけ心細い事なのか……。
そして、千寿郎は杏寿郎に抱き着いて、更に言葉を続けた。

「お願いです、兄上。俺を独りにしないでください。ずっと、俺の傍にいてください。だって。兄上と俺は……たった二人だけの兄弟ではありませんか?」
――――もうオレの事なんか放っておけよっ! オレがどうなろうと、兄上には、関係ないだろっ!! そもそも、オレと兄上は――っ!!
「!!」

そして、千寿郎のその言葉を聞いた瞬間、また彼の声が顔が脳裏に浮かんだ。
だが、これはさっきとはまるで違い、彼の顔がはっきりと見えた。
母――瑠火によく似た顔が泣きながら俺に訴えるその顔が……。
そして、そのおかげで今までの違和感の原因がすべて理解できた為、杏寿郎は自分に抱き着いている千寿郎を突き放した。

「……兄上?」
「……君は……一体、誰だ?」

その杏寿郎の行動に千寿郎は、不思議そうに問いかける。
だが、そんな千寿郎に対して、杏寿郎はそう冷たく言い放った。
今、己の目の前にいるのが、千寿郎ではないとわかったから……。

「その姿、血鬼術か何かで千寿郎に化けているのか? それだけでも、かなり質が悪いというのに、俺から瑠一郎の記憶まで奪おうとするなど……それなりの覚悟はできているのだろうか?」
「! ……へぇ、結構時間は掛ったみたいだけど……ちゃんと〝アレ〟の事は、思い出せたんだね、優しいお兄様は♪」

杏寿郎の言葉を聞いた千寿郎らしきそれは、一瞬驚いたような表情を見せたが、すぐに笑ってそう言った。
その笑みは、千寿郎本人ならあり得ないようなドス黒いものだった。
それが愛おしい弟の事を汚されたような気がした為、杏寿郎は迷う事なくそれに斬りかかった。
そんな杏寿郎の攻撃を初めから予想していたかのようにそれは、ひらりと舞うように躱した。

「ふぅ……危ないですねぇ。可愛い弟君を傷付けてもいいんですか?」
「黙れ。君は、千寿郎ではないっ! ……いい加減、本性を現せっ!!」
「え~~っ! この姿、結構気に入ってたんだけどなぁ……。どうしてもって言うのなら、まぁ……仕方ないか……」
「っ!!」

杏寿郎の言葉に少し残念そうにそれは言うと、千寿郎だった姿から徐々に別の姿へと変わっていく。
そして、その姿が完全に変わるのが終わった瞬間、杏寿郎は思わず息を吞んだ。
その姿が、杏寿郎がよく知っている人物によく似ていたから……。
違うのは、髪と瞳の色だけだった。

「……いい加減にしろ! 俺は、本当の姿に戻れと言ったはずだっ!!」
「だーかーら、これが俺様の本来の姿なわけ。見惚れるほど、美しいだろ? 俺様は♪」
「ふっ、ふざけるな! 何故、君が――」
「だって、俺様は〝アレ〟の中にいるだもん♪」
「!!」

その人物の言葉の意味がわからず、杏寿郎はただただ困惑した。
そんな杏寿郎に対して、彼は、瑠一郎そっくりな顔で黒い笑みを浮かべた。

「だーかーら、俺様は〝アレ〟の身体の中に閉じ込められた〝アレ〟が飼っている化け物ってことだよ、お兄様♪」









悪夢シリーズの第11話でした!
今回は、煉獄さんの夢のお話となります。
謎の存在の介入によって、夢の中の煉獄さんは瑠一郎の存在を忘れさせられています。
千寿郎くんのドス黒い笑みは見たくないですね(ノ)・ω・(ヾ)

【大正コソコソ噂話】
その一
杏寿郎が見ていた夢は、柱に就任した直後ではなく、柱になってから暫く経ってからの家で過ごす休日です。
瑠一郎の事だけを忘れてしまっている状態でずっと夢を見ていました。

その二
槇寿郎が杏寿郎に瑠一郎の刀に対して問いかけた部分は、現実でも実際にやり取りをしていました。
同じことを現実でも言われたのですが、その時は杏寿郎は反論する事が出来ませんでした。


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