『炭治郎! しっかりしろ! 炭治郎っ!!』

飛鳥は、そう何度も炭治郎に呼び掛けていた。 無限城へ無事に侵入し、炭治郎の事を見つけた飛鳥は、すぐさま炭治郎の肩を己の鉤爪で傷付けないように慎重に掴みながら飛び去った。
そして、次々に部屋の造りが変わる城の中を無我夢中で飛び続け、漸く出られそうな空間に歪みを見つけると、迷うことなく入って来た時と同様そこを切り裂いて無限城から脱出したのだった。
部屋の造りを変えられた為か飛鳥達が出た場所は、炭治郎や飛鳥が暮らしていた雲取山とは違う山だった。
だが、そんなことは今の飛鳥にとってどうでもよかった。
飛鳥にとって、問題はただ一つ。
炭治郎が、息をしていなかった事だった。


~どんなにうちのめされても守るものがある~


(何故だ? どうして、こうなった?)

何故、炭治郎は息をしていない?
鬼舞辻無惨に鬼化されたのではなかったのか?
ついさっきまで、私の声に炭治郎は反応してくれていたはずなのに……。
今までに経験したの事のないこの状況に飛鳥は、ただただ動揺していた。
炭治郎は、いくら呼び掛けても反応がない。
このまま息をしなければ、炭治郎は本当に死んでしまうのではないかという恐怖が次第に募っていく。
また、私は助けられないのか?
一体、どうしたらいい?
どうしたら、炭治郎は……。

(…………もう、これしか方法はない、か……)

そして、飛鳥が思いついた方法はただ一つだった。
だが、それを実行するには、今のままでは出来なかった。
本当はそれをやりたくなかったが、炭治郎の命には代えられなかった。
覚悟を決めた飛鳥は、姿を変化させる。
鳥の姿だった飛鳥は、一人の青年の姿へと変えたのだ。
炭治郎を救うには、今すぐ誰かが炭治郎に人工呼吸をさせるしかなかった。
だが、ここには炭治郎と飛鳥以外誰もいない。
そして、鳥の姿ではそれも実行する事も出来ない。
だから、仕方なく人の形をとった。
前世の人だった頃の若かりし日の姿に……。

『……炭治郎……すまない。少しだけ……我慢してくれ』

そう言いながら、飛鳥は炭治郎の気道を確保する。
そして、そのまま炭治郎と口づけを交わし、息を送り込む。
一回息を吹き込んでから口を離して炭治郎の胸を見た。
だが、炭治郎の胸は上がらなかった。
どうやら、気道の確保のやり方がよくなかったらしい。
もう一度、気道を確保して飛鳥は息を吹き込んだ。
そして、今度は、胸が上がった。
息が自然に吐き出されるのを待ち、同様に何度も炭治郎に息を吹き込んでいく。

「…………っ!」
『!!』

そして、何度目かの人工呼吸をした際、突如炭治郎の身体がピクリと動いたかと思うと、一気に身体を起こしてきた。
その反動で飛鳥は、炭治郎に舌を噛まれ、口の中が若干鉄の味が広がった。
その瞬間、炭治郎は驚いたように目を見開かせた。

『たっ、炭治郎……?』

それに気付いた飛鳥は、口を炭治郎から話して炭治郎の事を見た。
目を覚ました炭治郎の様子は、明らかにおかしかった。

『炭治――』
「グオオオオォォォ!」
『!?』

炭治郎の事を心配そうにそう飛鳥が炭治郎の名を呼ぼうとしたその時、炭治郎がいきなり奇声を上げて飛鳥に襲い掛かってきた。
それに驚きながら、飛鳥は近くに落ちていた木の棒を拾うとそれを使って炭治郎の襲撃を防いだ。
だが、炭治郎はその事など気にする様子などなく、飛鳥の事を押し倒した。
その力は、とても人間の子供とは思えない力だった。
木の棒を咥えた炭治郎の口には、いつの間にか鋭い刃が生えており、瞳もまるで猫のような縦長のスリット状の瞳孔に変わっていた。
そして、手にも鋭い爪が生えてきていた。
間違いない。炭治郎は、鬼化が進んでしまっている。
やはり、炭治郎でもダメなのか?
もう殺すしか、炭治郎を救う方法はないのか?
いや、まだ、諦めたくなかった。

『炭治郎! しっかりしろっ!! 炭治郎!!』

まだ、炭治郎の心までは死んではいないはずだ。
そう思った飛鳥は、必死に炭治郎へと呼びかけた。

『炭治郎! 堪えるんだ! 心まで鬼になるなっ!!』
「っ!!」

そして、何度か呼びかけたその時、炭治郎の瞳からボロボロと涙が流れた。

――――…………して。……俺を…………。
『炭治郎……?』

すると、飛鳥の頭の中に声が響いてきた。
それは間違いなく、炭治郎のものだった。

――――ころ……して……。……俺のせいで……家族が……みんな死んでしまったから……。だから……して。俺が……誰かを……君を……傷付けてしまう前に……俺を……ころして!
『!?』

その悲痛なまでの炭治郎の声に飛鳥は瞠目した。
今、炭治郎は何と言ったんだ?
私に殺して欲しいと、そう炭治郎は言ったのか?
そして、炭治郎は、今、私の事を『君』と呼んでいた。
それはつまり、目の前にいる人の姿をしている私の事が私――飛鳥だとわかっていないという事だ。
炭治郎は、見知らぬ人物に己を殺してくれと頼むほど自分の事を追い込んでしまっているのだ。
だが、それでも私には――。

『そんな事……できるわけないだろっ!』

昔の私なら出来たかもしれない。
相手が誰であろうとも容赦なく首を斬り落としていただろう。
でも、今は違った。目の前にいるこの鬼は、私にとってかけがえのない存在なのだ。
例え、どんな姿になったとしても心が炭治郎のままなら、生きて欲しかった。
それに……。

『……ここに来る前……私はお前の妹が……泣いている姿を見た』

飛鳥は、確かに見たのだ。
炭治郎の妹――禰豆子が泣き崩れる姿を……。
兄まで失ったと思って泣いている少女の姿を……。
そして、彼女の事を口にした瞬間、炭治郎の瞳が大きく揺れた。

『お前は、本当にこのまま死んでも後悔しないのか? 彼女を独りぼっちにしてしまっても本当にいいのかっ!!』
「っ!!」

炭治郎は、家族全員が鬼舞辻に殺されたと思い込んでいた。
だが、実際は違うのだ。
たった独りだけ生き残った人物がいる。妹の禰豆子だ。
ここで炭治郎を殺してしまったら、彼女は本当独りぼっちになってしまう。
そんな事はさせたくなかった。
あの泣きじゃくる彼女を見たから……。
そして、何より――。

『…………私を……独りにしないでくれ、炭治郎』

もう嫌なんだ。大切な人を失うのは……。
大切な人が殺されるのも、殺すのも嫌だ。
もう独りにはなりたくない。
どんな姿形でもいい。傍にいて欲しい……。
だが、そんな事を炭治郎の顔を見て言うことなど出来ず、飛鳥は顔を背けて聞き取ることも難しいくらい小さな声で呟いた。

「…………」
『! たっ、炭治郎……!?』

飛鳥がそれに気づいた時には、炭治郎の手は飛鳥へと伸びていた。
そして、その手は飛鳥の頭を優しく撫でだした。
その手つきは、鋭い爪で決して傷付けないように、まるで泣いている子供をあやすようなそんな優しいものだった。
それに驚いた飛鳥は、再び炭治郎の顔を見た。
そして、その時飛鳥は、炭治郎に起きた変化に気付き瞠目した。

『……炭治郎……お前……目が……!』

そう。炭治郎の瞳が元の赤みがかった瞳に戻っていたのだ。
これは、一体、どういう事なのだ?

――――……ありがとう……。俺……禰豆子も……君の事も……独りにしない。いや……したくない! だって……俺は……長男だから…………っ!
『炭治郎!?』

次に聞こえてきたのは、さっきよりもはっきりとした炭治郎の声。
そして、いつもの炭治郎の口癖の言葉だった。
だが、その言葉が聞こえたのとほぼ同時に炭治郎は、まるで糸が切れたかのようにいきなり意識を手放し、飛鳥の方に倒れ込んできた。
それがわかった瞬間、飛鳥はすぐさま炭治郎の身体を抱きかかえると、呼吸を確認した。
今度はちゃんと息をしていた。
ただ意識を失っただけ――いや、眠っただけだった。
だが、何故突然炭治郎が眠ってしまったのか、その原因がわからなかった。
飛鳥がそんな事を考えているその時だった。
自分達の他に二つの鬼の気配が近づいて来るのを感じたのは……。
鬼舞辻が炭治郎の事を諦めていない事は、容易に想像は出来たが、それにしても見つかるのが早すぎる。

『誰だ?』

飛鳥は、その鬼が自分の存在を捉える事は出来ないだろうと思いつつも、炭治郎の事を庇いながらその気配がする方向へと声を投げかけた。
そして、そこから現れた鬼の正体を確認した飛鳥は思わず息を呑んだ。
鬼の一人は、遠い昔に出会ったことのある鬼だったから……。
そして、その鬼も、飛鳥と目が合ったかと思うと、驚いたような表情を浮かべるのだった。

「……あなたは!?」
『! ……お前……私の姿が……見えているのか?』
「えっ? ええ……。私には……はっきりとあなたの姿が見えていますが……」

飛鳥の問いに彼女は、少し困惑したようにそう答えた。
どうやら、飛鳥はもう、この世に完全に存在するものになったようだ。
だが、一体何故……?

「あの……その子は……鬼、ですか? それにしては……どこかおかしい気がします」
『……炭治郎は、鬼舞辻に鬼にされてしまったが、それに抵抗し続けている。そして……あいつは、今も炭治郎の事を……諦めていない』
「! 鬼舞辻がその子を……?」
『ああ。だから、協力してほしい。……私は、炭治郎の事を……守りたい』
「…………わかりました」
「珠世様!?」

飛鳥の話を聞いた彼女――珠世は、少し考え込んだが、それを承諾した。
その珠世の言葉にもう一人の鬼の少年は、心底驚いたような声を上げた。

「そんなのダメです! もし、彼らを助けたら、二人での平和な日々がなくなってしまいます!!」
「愈史郎、それは違います。……この方がいてくれたおかげで、今の私があるのです。この方のおかげで、私は愈史郎とも出逢う事が出来たのですよ」
「! こいつのおかげで!?」

珠世の言葉を聞いた少年――愈史郎は、驚いたように飛鳥達へと視線を向けてきた。
それは、彼なりに珠世の事を守ろうとこちらの事を見定めているようにも飛鳥には見えた。

「どちらにしても、あと数時間もすれば、日が昇ります。一先ず、場所を変えてお話しましょう。愈史郎……お願い」
「…………珠世様の頼みなら、仕方ありません」

聞こえるか聞こえないかわからないくらいの小さな舌打ちをした後、愈史郎はそう答えた。
そして、彼の血鬼術を使い、飛鳥達は珠世の屋敷へと向かうのだった。





* * *





「…………改めてになりますが……お久しぶりです、縁壱さん」
『……人違いだ』

珠世の屋敷へとやってきた飛鳥は、珠世に炭治郎の様態を診てもらう為、彼をベッドに寝かせた後、部屋を出た。
本当は、ずっと傍で炭治郎の事を見守りたかったが、そうすれば珠世の気が散るからだ。
そして、部屋から出てきた珠世が第一声に発したのが、あの言葉だった。
その言葉を飛鳥は、否定したが珠世は首を振った。

「いいえ。私には、はっきりとわかります。……あなたは、唯一鬼舞辻無惨を追い詰めた剣士――継国縁壱さんです。私を無惨の呪いから解き放ってくれたのも、あなたでした」
『…………』

そう。彼女は、飛鳥がまだ縁壱だった頃に一度だけ会った事があった。
それが、無惨との最初で最後の戦いで、あと一歩というところまで奴を追い詰めたのに、逃げられてしまったのだ。
珠世は、その時はまだ無惨の側近を務めていたようだったが、奴の力が弱まった事がきっかけで彼女は奴の呪いから解放されたのだった。

『だから、別人だ。私はもう……人ではない』
「人では……ない?」

飛鳥の言葉を聞いた珠世は、明らかに戸惑ったような表情を浮かべた。
なので、飛鳥はこの時になって漸く、人の姿から本来の姿――鳥の姿に戻った。

『……もう、継国縁壱という男は死んだ。今、ここに存在するのは、《飛鳥》という名の不死鳥だ』
「飛鳥? ……それは、ご自分でお付けになったのですか?」
『いや、違う』

珠世の問いに飛鳥を首を振ってそれを否定すると、炭治郎がいる部屋へと視線を向けた。

『この名は、炭治郎からもらったものだ。……長い歳月の間、誰も私の姿を視る事が出来なかったというのに、炭治郎はそれを意図も簡単に私の事を見つけて話し相手となってくれたのだ』
「そう……だったんですね……」
『私の話などもういい。それより……炭治郎の様態は、どうなんだ?』
「……極めて異例な状態です」

飛鳥の言葉を聞いた珠世は、炭治郎の現状について話し出した。

「人の血を全く喰らう事もなく、こんな風に眠りについている鬼を私は、初めて見ました。おそらくですが、炭治郎さんは深い眠りにつくことで、己の身体の仕組みを自力で変えようとしてるのかもしれません」
『身体の仕組みを……変えようとしている、だと?』
「はい。詳しい事は、実際に炭治郎さんが目を覚ましてからでないとわかりませんが……。炭治郎さんの身体には、無惨の血が……それもとても濃度の高い血が投与されています。その血の呪縛から逃れる為に眠る事でそこに全神経を向けているのかと……」
『……つまり、その呪縛が解けない限り、炭治郎が目を覚ます事はない、と?』
「はい……おそらくは」

飛鳥の問いに珠世は、困った表情を浮かべながらそう言った。
炭治郎は、鬼舞辻の呪縛を解く為に深い眠りについている。
そして、それが解けない限り、炭治郎が目を覚ます事はない。
それが一体何時になるかもわからないし、一生このまま目を覚まさない可能性もあるのだ。

『……大丈夫だ。炭治郎は目を覚ます』

目を覚まさない可能性もあるかもしれないのに、そう飛鳥は信じて疑わなかった。
どんなに時間が掛かったとしても炭治郎は、きっと目を覚ます。
炭治郎は、言ったのだ。『私を独りにしない』と……。
ならば、今の飛鳥に出来る事は、ただ一つだった。
炭治郎が目を覚ますその日まで炭治郎の傍で待つ事だけだ。

『炭治郎の顔が見たい。入ってもいいか?』
「ええ。構いません。……何か食事も準備しましょうか?」
『いや、大丈夫だ。生憎私も、空腹というものは、感じないから……』

珠世にそう告げると飛鳥は、炭治郎がいる部屋の中へと入っていった。
部屋には、一つのベッドがあり、そこには炭治郎が死んだように眠り続けていた。
だが、呼吸はしっかりとしている。決して、死んではいないのだ。

『…………炭治郎。私は、この姿になってからは空腹を感じた事はないが、今物凄く食べたいものが一つだけある。何だと思う?』
「…………」

そう問いかける飛鳥に対して、炭治郎が返事を返す事はなかった。

『それは……お前が作ってくれた"おにぎり"だ』

あの洞窟に来る時、炭治郎は時々おにぎりを二つ拵えて来て、その一つを飛鳥に食べさせてくれるのだ。
空腹を感じる事のない飛鳥も、その素朴なおにぎりの味が好きだった。
そして、それを己の炎で少し焼いてから食べるのも好きだった。

『だから炭治郎……。また、目を覚ましたら、それを食べさせてくれ……』

そう言いながら飛鳥は、炭治郎の頬を優しく撫でた。
だが、この時の飛鳥はまだ気付いていなかった。
炭治郎の左額に逢った大きな火傷の痕が以前より濃いものになっていた事に……。
そして、その理由に気付くのは、炭治郎が目覚める一年半後になる事を……。









守るものシリーズの第9話でした!
前回のお話で、無惨様の魔の手から炭治郎を救い出した飛鳥。しかし、その後の彼はかなり焦っていますww
そして、今回で飛鳥は珠世さんと愈史郎との出会いを果たします。
ここで、前回のお話についてちょっと解説させていただきますが、無惨様には、炭治郎に翼が生えたように見えていたのは、この時点では、無惨様でも飛鳥の存在をはっきりと確認が出来ない状態だったからです。
また、今回のお話で飛鳥サイドのお話も一旦終了となります。
次回からは、いよいよ禰豆子ちゃんサイドのお話を書いていきます!早く禰豆子隊士を書けるように頑張りますっ!!

【大正コソコソ噂話】
飛鳥さんの好物は、炭治郎の握ったおにぎりです。
自分の炎で少し炙ってから食べるのが好きなんですが、初めの頃は火加減がわからず、真っ黒にしてしまうことも多々ありました。
その度に炭治郎くんが自分が食べるはずだったおにぎりを飛鳥にあげていました。


R.3 1/13