――――……はぁ……はぁ……。

何だ? さっきから聞こえるこの声は?
ここにはも私以外、誰にもいないはすだから声など聞こえるはずなどないのに……。
それは、何かの息づかいに近いような声だった。
まるで、何かから逃げるように必死に走っているような、そんな息づかいだった。
しかし、何故そんなものが私の耳に届くのか?
それをすぐには理解できなかった。

――――があぁっ!?

だが、次に聞こえてきたその悲鳴に近い声に私は耳を疑った。
その声は、まぎれもなく炭治郎のものだった。
これは、一体どういうことだ?
炭治郎は、先程帰ったはずだ。それなのに、何故……?

――――……もう鬼ごっこは、終わりだ、炭治郎。大人しく、私のものになれ。

そして、次に聞こえてきた声に更に私は、驚いた。
その声の主を私が忘れるはずもない。
その声の主は……。

『鬼舞辻……無惨!!』

この世のすべての鬼の始祖であり、最初に鬼となった男の声だ。
その男が今、炭治郎と遭遇し、襲っているのだ。

『たっ、炭治郎っ!!』

それをすべて理解した時、洞窟の外に飛び出していく事に、飛鳥は何の躊躇いもなかったのだった。


~どんなにうちのめされても守るものがある~


雪山を飛ぶ飛鳥は、何の迷いもなく進んでいった。
己が進む方向に炭治郎がいる事は、確信していたからだ。
それは、炭治郎の着物に付いた己の羽根のおかげだ。
あれが、炭治郎の危険を知らせ、位置を示しているのだ。
後は、どれだけ速く飛んで炭治郎の許へ辿り着けるかにかかっていた。
早く、一刻も早く炭治郎の許へ……。
その時だった。飛鳥の目に二つの人影が飛び込んできたのは……。
一人は、少しウェーブのかかった黒上の男。
そして、もう一人は……。

(炭……治郎……?)

それを見た飛鳥は、戸惑いを隠せなかった。
そこにいる子供は、炭治郎のはずなのに、どこか違っていた。
何故だか炭治郎の姿は幼児化していたのだ。
そう、飛鳥が初めて炭治郎と出逢った時と同じくらいの大きさに……。

「……ほう。……そうやって、私の血の暴走を阻止しようとしているのか? ……本当にお前は、面白い奴だ、炭治郎」

そして、次に聞こえてきた無惨の言葉で炭治郎の身に起こった異変の理由を飛鳥は理解した。
炭治郎は、無惨の血を投与されてしまったのだ。
つまり、もう炭治郎は……。

「……もう、この耳飾りは、お前には必要ない。…………鳴女」
『! ……たっ、炭治郎っ!?』

思考が停止してしまったせいで飛鳥はその場から動けなくなってしまっていた。
無惨が幼い炭治郎に近づくと、彼の耳たぶから、日輪の耳飾りを引き千切って、捨てた。
そして、無惨が誰かの名を読んで指示を出す。
その時になって飛鳥は、再び炭治郎の許へ近づく事にしたが、手遅れだった。
辺りに一度だけ、琵琶の音がベベンッと鳴り響いたかと思うと二人の姿は、忽然とその場から消えてしまったのだ。
無惨に大切なものを、炭治郎を目の前で奪われてしまった。
しかも、炭治郎を鬼にして……。
まただ。また、私は守れなかった。

「お兄……ちゃん……?」
『!!』

すると、飛鳥の他に誰もいないと思っていた場所に一つの声が響いた。
その声に飛鳥は、視線を変えると一人の少女が立っていた。
炭治郎にどこか似た少女が……。
歳からして、彼女は炭治郎の妹の禰豆子だと飛鳥は判断した。
飛鳥の事が見えていない禰豆子は、恐る恐る飛鳥の方――いや、正確に言えば、炭治郎が身に付けていた耳飾りへと近づいていく。

「お兄ちゃん……どこ? ……さっきまで、ここにいたはずなのに……」

そして、耳飾りを拾った禰豆子は、辺りを見渡して炭治郎の面影を捜した。
だが、何処を見ても炭治郎の姿などなかった。

「ねぇ、お兄ちゃん……。返事してよ……お兄ちゃんまでいなくならないでよ! お兄ちゃんってばっ!!」
『…………』

そう言ってその場で泣き崩れる彼女を見ても飛鳥は、何も言わなかった。
いや、飛鳥が声をかけたところで、彼女にはその声は届かないのだ。
だが、そんな禰豆子の姿を見て、飛鳥の心が再び揺らぎだす。
本当にこのままでいいのかと?
このまま、炭治郎の事を諦めてしまっても、本当にいいのかと……?
嫌だ。諦めたくなどなかった。
無惨に大切な人を二度と奪われたくなどなかった。
考えろ。どうしたら、炭治郎を救えるのかを……。

(! ……何か……感じる?)

すると、微かにだが何かを感じた。
それは、とても弱々しいものだが、それでいて強い何かを感じた。
もしかすると、炭治郎に付いていた私の羽根が今も尚、何かを伝えようとしているのかもしれない。
そう考えた飛鳥は、その気配を感じる方向へと飛び立った。
それが、一体どれくらいの時間が経ったのか、どれくらいの距離を飛んだのか、正確なものは何一つ飛鳥にはわからなかった。
ただ、わかる事は、その方向に進むにつれて気配が徐々に大きくなっていく事だった。

――――……い……だ。……俺は……なんかに……なりたく……ない。
『たっ、炭治郎!!』

そして、次の瞬間、飛鳥の耳に届いたのは、苦しそうな炭治郎の声だった。
だが、そこには確かな炭治郎の意志があった。
そう。炭治郎は、まだ完全に鬼化はしていなかった。
炭治郎は、無惨の血と必死に戦っているのだ。

『炭治郎っ! 呼吸だ! 呼吸を整えろっ!!』

自分の言葉がちゃんと炭治郎に届くかわからなかったが、それでもそう叫ばずにはいられなかった。
だが、飛鳥の声が届いたのか、炭治郎の気配をより強く感じるようになった。
そして、ある一点の空間が飛鳥には歪んで見えた。

『! …………そこかっ!!』

それを見た飛鳥は、己の鋭い爪でそこを切り裂くのだった。





* * *





(…………漸く、手に入れた)

異空間・無限城。その城の主であり、あの世のすべての鬼の始祖でもある男――鬼舞辻無惨は、一人の幼児を抱きかかえて戻ってきた。
その幼児は、彼がずっと手に入れたいと思っていた太陽のような子供だった。
久しぶりの再会に炭治郎は、喜んでくれると思っていたのに、炭治郎の反応は無惨が想像していたものとは全く異なっていた。
炭治郎は、私に対して怒りを露わにしたのだ。
何故、炭治郎があんなにも怒っていたのか、無惨には到底理解できなかった。
無惨は唯、炭治郎と会う為に邪魔な存在を事前に排除しただけなのに……。
私の許に来るのだから、もう彼らは炭治郎にとって不必要な存在になるのだから……。
だが、それ以上にショックだった事は、炭治郎は私の事を全然覚えていなかった事だった。
あの雪が降る日のやり取りも、何もかもすべて……。
だから、私は、炭治郎の唇を強引に奪って口移しで、私の血を飲ませた。
そうする事で、血管に直接、私の血を流し込む時より、全身に行き渡るまでに時間がかかり、鬼化するまでの時間もかかるのだ。
だが、その分、私の血に唾液も混ざる事でより濃いものになり、少しの血の量でもかなり強力である。
それを飲まされた炭治郎は、とても苦しそうに肩で息をしながら、耐えていた。
その姿は、とても色っぽく、無惨の気持ちは更に昂り、炭治郎への口づけを止める事が出来なかった。
それからも私の一瞬の隙をついて逃れた炭治郎は、私の血の暴走を必死に抑える為にまだ血鬼術もまともに使えないはずの身体で何とか己の身体を小さくさせた。
本当に、炭治郎の取る行動は、何から何まで驚かされるが、どれも愛おしかった。
今、私の腕の中にいる炭治郎は、まだ使い慣れていない血鬼術を使った事もあり、何も抵抗する事なく、ぐったりとしていた。
炭治郎は、まだ完全に鬼化はしていない為、容姿にも鬼特有の角も、鋭い刃も、爪もない。
本当に見た目は、人間のままなので、本当に鬼に出来たのか心配になるくらいだった。
だが、失敗したとしても、これからゆっくり時間をかけて変えていけばいい。
無数の部屋が入り組む無限城を歩きながら、無惨は炭治郎を抱きかかえながら、この城の一番奥の部屋へ移動した。
決して、日の光が届かぬこの部屋に炭治郎を閉じ込めてしまおう。
私の可愛い鬼となる日まで……。

「だが……ちゃんと、印はつけておくべきか……」

無惨は、直属の部下で他とは抜きん出た実力を持つ鬼たち――十二鬼月たちの眼に位を刻ませている。
炭治郎にも同様に何かを刻まなければ……。
これは、私のモノだと一目でわかるような何かを……。
そう考えた無惨は、目的の部屋に辿り着くと、炭治郎を下ろした。
ここに着いた頃にはもう、炭治郎に刻み込む文字は決まっていた。

「待ってろ、炭治郎。すぐ終わらせてやるから……」

そう言いながら、無惨が炭治郎の左眼に手を伸ばしたその時だった。

――――……るな! ……汚らわしい……その手で……炭治郎に触るなっ!!
「!?」

突如、辺りに響いたのは、一つの声だった。
それは炭治郎のものとは、明らかに異なるものだったが、どこか聞き覚えのある声だった。
そして、その声が響いた途端、炭治郎の身体は、炎に包まれ、背中から何やら翼のようなものが生え出した。

「! たっ、炭治郎!?」

そして、無惨が手を伸ばすより早く、その翼が羽搏き、炭治郎は宙を舞ってその場から逃げ出すのだった。
このままだと逃げられる。
決して、出口などない無限城だが、この時の無惨は直感でそれを感じた。

「鳴女! 何をしているっ! 決して、炭治郎を逃がすなあっ!!」

無惨のその声に無惨の側近の役目を務めている鬼――鳴女は、何度も琵琶を鳴らして、部屋の造りを変化させていく。
だが、そんな鳴女の妨害など諸共もせずに炭治郎は、ある一点を目指して飛んでいく。
そして、炭治郎がそこに近づいた途端、まるで獣が引っ掻いたような爪痕が現れ、そこから空間の歪みが生じた。

「炭治郎! 行くなっ!!」

無惨は、それを見た途端、血鬼術を使い、己の血を有刺鉄線状に変化させ、炭治郎を捕えようとそれを伸ばした。
だが、それが炭治郎に触れる事は決してなかった。
炭治郎は、それよりも速く、空間の歪みの中に入っていった。
そして、その瞬間、爪痕のような空間の歪みは綺麗に消滅し、無惨の手は唯空中を彷徨うだけとなった。

(……逃げられた……だと!?)

この異空間から抜け出す事など、ほぼ不可能なはずだった。
だが、炭治郎は、それをあっさりとやってのけ、私から逃げていった。
私は、一体どれだけ太陽に嫌われているのだろうか……。

「……何をしている。早く、炭治郎を連れ戻せっ!!」

もう夜明けまでそう時間はない。
完全に鬼化していなくとも、炭治郎も既に鬼なのだ。
早く連れ戻さなければ、危ない。

「誰でもいい! 早く、炭治郎を連れ戻せっ!!」

もう自分が行動するには、あまりにもリスキーな時間帯だ。
その為、無惨は、捨て駒である鬼たちに己の意志を伝え、炭治郎の捕獲を命じた。

「…………炭治郎。……私から逃げ切れると思うなよっ!!」

私は決して、お前の事を諦めない。
どんな手を使ってでも、必ずお前を手に入れてみせる!
そう新たに無惨は、決意するのだった。









守るものシリーズの第8話でした!
今回のお話は、前回に引き続き飛鳥視線がメインと若干、無惨様の目線になっています。
飛鳥から炭治郎が無惨に襲われたところの視点のお話と無惨様が無限城に戻ってからの話を書いています。
鬼滅本誌がまさかの縁壱さんのお話を展開しだしたので、正直この後どうかこうか迷っているところです(ノ)・ω・(ヾ)
次の鬼滅本誌の内容を読んで、ちょっと考えたいと思いますので、続きをアップするのに少し時間がかかるかもしれませんので、気長に待ってもらえるとありがたいです。

【大正コソコソ噂話】
無惨様が炭治郎くんの左眼に刻もうとした文字は自分の名前である『無惨』でした。
番号ではなく、自分の名前を炭治郎くんに刻む事で炭治郎くんを自分の所有物であることを主張しようとしました。
ですが、実際は、それを刻む前に炭治郎くんから逃げられてしまう無惨様でした。


R.3 1/13