『……で、ここ数日間ここへ来なかったのは、そういうわけ、か』
「うん。……ごめんな、飛鳥」
『いや……。炭治郎が無事だったなら、私はそれでいい』
自分に対して申し訳なさそうにする炭治郎に飛鳥はそう言葉を返した。
ここ数日間、炭治郎はここへやって来なかった。
その事に対して飛鳥は、非常に心配していた。また、あの時のように怪我をしてしまったのでは思って……。
だが、久しぶりにここへやって来た炭治郎の話を聞いて安堵した。
『…………だが、炭治郎。何故、そんな事を言った?』
「えっ? 何の事?」
『私とその男の他にお前の家族も大好きだと何故、敢えて付け足したのだ?』
そう。その一言がなければきっと、このような事にはなっていなかったのではないかと飛鳥は思ったのだった。
炭治郎の話を聞く限り、その鬼狩りの剣士は、炭治郎の事を好いているのは、明らかだったから……。
ここへの外出を控えるように言ったのも、炭治郎の事を本当に心配していた事もあっただろうが、嫉妬も含まれていたのは明らかだった。
そんな飛鳥の問いに炭治郎は、少し困ったように笑った。
「えー。だって……禰豆子たちの事が大好きなのは、本当の事だし……」
それは、事実だろう。炭治郎は、とても家族想いな子だ。
毎日、朝早くに起きて、夜遅くまで妹と弟たちの世話や家の手伝いをしているのだから……。
だからきっと、その剣士の好きと炭治郎の好きは一致はしていない。
おそらく、その剣士も私と同じ感情を炭治郎に抱いているのだろう。
若干、顔も知らぬその剣士に飛鳥は、同情した。
「…………う~ん。でも……強いて言うなら……匂いが……変わったから、かな?」
『匂いが……変わった、とは?』
「うん。おっ、俺が義勇さんの事を……大好きって言った途端……今まで嗅いだ事のない匂いがして……俺……何でかわかんないけど、その匂いにすっごくドキッとして……」
その匂いを炭治郎は今でも思い出すことが出来た。
いつもとは違う義勇さんの匂いを……。
まるで、別人じゃないかと思ってしまうような、けど決して嫌な匂いじゃなかった。
その匂いに炭治郎は、何故か胸の鼓動が抑えられなくなってしまった。
それを隠す為にわざとあんな事を言ってしまった。
その後の義勇さんの匂いは、怒っているような、いや、何処か傷付いたような匂いがした。
その理由は今でもわからないけど、義勇さんに悪い事をしてしまったような気持ちに炭治郎はなっていた。
『……そうか。……その男は、色々と苦労しそうだなぁ』
それを聞いた飛鳥は、ただ一言だけそう言った。
その男――冨岡義勇は、間違いなく苦労するだろう。
何故なら、炭治郎は気付いていないからだ。
己が義勇に対して抱いている感情が、家族に対してのものとは全く異なっているものだと炭治郎は気付いていないからだ。
とりあえず、暫くは何も言わずに二人の事を見守ることにしよう。
この時の飛鳥は、まだそう思っていたのだった。
~どんなにうちのめされても守るものがある~
飛鳥は、ずっと悩んでいた事があった。
それは、勿論、炭治郎の事だった。
飛鳥は、気付いてしまったのである。
炭治郎が自分が昔、命を助けた炭吉夫婦の子孫である事に……。
炭治郎に初めて出逢った時には、気付かなかった。
そして、それに気付いたのは、つい最近の事だった。
ある日、ここを訪ねてきた炭治郎の耳にあの耳飾りが付いていた時に……。
炭治郎に「その耳飾りは、どうした?」と尋ねてみると、炭治郎は「父さんの形見で長男である自分が受け継いだ。あと、ヒノカミ神楽というものも一緒に」と答えたのだ。
その事を炭治郎から聞いた時は、驚きのあまり息が止まりそうになった。
炭吉たちは、ちゃんと約束を守ってくれたのだ。
あれからどれだけの歳月が経ったというのに、耳飾りもヒノカミ神楽も決して途切れる事なく繋いでくれたのだ。
やはり、私は正しかった。人から人へと受け継がれる事でより強くなり、そして、いつか必ず日の呼吸を扱える者が現れると……。
だが、それと同時に飛鳥は、悩む事になったのだ。
日の呼吸を扱えるかもしれない人物が、炭治郎だったから……。
炭治郎は、飛鳥でもわかるくらい優しすぎる子供だった。
そんな子供を鬼狩りなどに巻き込む必要があるのかと?
炭治郎には、幸せになってもらいたい。
このまま、静かに暮らして欲しいのだ。
そして、最近炭治郎の話によると、炭治郎はよく鬼に遭遇し、襲われるようになったと……。
それを冨岡義勇という剣士にいつも助けられているらしい。
炭治郎の話からその男の剣術はかなり腕がたつらしく、水の呼吸を使っているらしい。
それから推測してその男は、水柱の可能性が高い。
そして、炭治郎に対して好意を持っている事も飛鳥には理解できた。
そうでなければ、柱でもある男がこんな田舎にずっと留まって一人の子供を守っている事などあり得ない事だろう。
また、炭治郎もその男に懐いている。いや、好いているのだ。
炭治郎自身は、それにまだ気付いていないようだが……。
だからこそ、飛鳥は徐々に焦りだしていた。
その男に炭治郎が奪われてしまうのではないかと思って……。
『…………おい、炭治郎。私が何で怒っているのか、わかっているのか?』
「…………風邪気味なのに……ここに来た、こと?」
『気味じゃないだろ! 完全にこじらせた状態ではないかっ!!』
「こっ、これくらい、大丈夫……だよ。俺、長男だし!」
そう言った直後に思いっきり咳き込む炭治郎を見て、飛鳥は溜め息しか出なかった。
つい数日前に炭治郎の事を守っていた剣士がどうしても外せない任務があると言ってこの地から離れたのだ。
そして、その日から炭治郎は風邪気味となり、ついにはこじらせてしまったのだ。
本当だったら、安静にしてないといけない状態だと思うのだが、相変わらず炭治郎はこうして飛鳥の許へとやって来るので、もう呆れるしかない。
「…………それに……今日は……飛鳥に……どうしても話しておきたいことがあったから」
『何だ? 話してみろ?』
その話を聞いたら、今日はさっさと炭治郎を家に帰らせよう。
そう思い、飛鳥は炭治郎の事を見つめた。
「…………俺……ずっと考えていたんだ。……義勇さんが家からいなくなったあの日からずっと……。俺は……あの人の重しになっていたんじゃないかなって……」
『何故だ?』
「義勇さんがのところには、毎日鎹鴉がやってきて指令を運んでいるんだ。……それを義勇さんは、毎日欠かさず確認して……そして、それを誰かにお願いをしていた。……俺が……ここにいるから」
『それは……その冨岡という男が好きでそうやっている事だ。炭治郎が思い悩む事ではないと思うが?』
炭治郎が好きでここに来ているようにその男もまた、同じように炭治郎の傍にいたかったのだろう。
まぁ、だからと言って、他人に少し迷惑を掛けていそうだが……。
「でも……俺がここにいなかったら、義勇さんは普通に指令を受けて……もっと多くの人の命を救っていたかもしれない。……俺なんかが……義勇さんを独り占めしちゃいけないのに……」
(……いや、寧ろ、逆では……?)
飛鳥からしてみれば、逆に思えた。
彼の方が炭治郎の事を独占しようとしている気がしてならなかった。
そして、さっきから、炭治郎の話を聞いていると何とも言えない感情が込み上げてくる。
この感情は、一体……?
「……だから、俺……決めたんだ。俺も鬼殺隊に入りたいって。入って……誰かの事を助けられるようになりたいって! そして、いつか……義勇さんに背中を預けてもらえるような……そんな、剣士になりたいって!!」
『!!』
そして、炭治郎のその言葉を聞いた飛鳥は、瞠目した。
炭治郎の赤みがかったその瞳には、何の迷いもなかった。
本気だ。炭治郎は、本気で鬼殺隊に入隊したいと思っている。
鬼への対抗策を持っている鬼殺隊に身を預けたほうが、ここにいるよりかは幾分か安全かもしれない。
だが――――。
『…………無理だ。お前は、鬼殺隊には……入れない』
「なっ、何でだよ!?」
『お前に鬼の頸を斬り落とす覚悟があるのか?』
「そっ、それは――」
『お前には無理だ』
戸惑う炭治郎に対して、飛鳥はそうはっきりと言い切った。
『お前は、優しすぎる。鬼殺隊の剣士には向いていない』
「…………」
『第一、禰豆子たちはどうする気だ? このままここに置いていく気か? 彼女たちをお前は説得できるのか?』
「……禰豆子たちだって……話せば、きっとわかってくれるよ!」
その言葉を聞いた炭治郎は、そう声を上げた。
「……確かに……俺は……鬼の頸を斬り落とす勇気は……まだ、ないよ。……鬼の正体が何なのか……知っているから。鬼は……哀しい生き物だって……」
『…………』
「でも……殺された人たちの無念を晴らす為、これ以上被害者を出さない為なら、俺は……鬼の頸に刃を振るう覚悟は、出来ているんだ。……ただ、守られているだけなんて……もう嫌なんだ!」
『っ! なら……お前は……』
炭治郎の言葉にその感情がどんどん大きくなっていくのがわかる。
そのせいで、飛鳥は言うつもりなどなかった言葉を口走ろうとしていた。
『なら……お前は……私を置いて行ってしまうという事なのか?』
「!?」
そして、その言葉に炭治郎は、瞠目した。
飛鳥のその言葉を聞いた炭治郎は、今までにないくらい動揺した表情を見せた。
『鬼殺隊に入るという事は、そういう事だろう? お前が、この山を下りれば、私はまた独りになる』
「…………だったら、飛鳥も一緒に行こうよ」
『……一緒に、だと?』
「うん。俺は、その事をずっと考えていたんだ。俺は……飛鳥には、みんなとも仲良くして欲しいから」
『その必要は……ない』
「何でだよ?」
『私は……お前以外に興味がないからだ』
私は、炭治郎が傍にいてさえしてくれれば、それだけでいいのだ。
それ以上の事は、望まないのだ。
だから、ここにいて欲しい。
あの男のところには、いかないで欲しい……。
「……飛鳥。義勇さんも禰豆子もみんな、本当に優しい人たちばかりだよ。だから……人と関わる事を怖がらないでよ。……一緒に変わろうよ」
『…………』
その炭治郎の言葉に飛鳥は、頷く事は出来なかった。
「……返事は今すぐじゃなくてもいいからさ。……義勇さんがこっちに戻ってくるまでには、まだ時間もかかるだろうし……じゃあ、俺はそろそろ帰るね」
『…………炭治郎』
「えっ? 何? ……っ!?」
『炭治郎!?』
その事に少しだけ残念そうな表情を浮かべた炭治郎はそう言うと、洞窟を後にしようとした。
それを飛鳥は、呼び止めたので、炭治郎は振り返って尋ねた。
その途端、炭治郎は体勢を崩して倒れそうになった為、それを飛鳥が慌てて支えてやった。
『大丈夫か!?』
「あっ……う、うん。……ちょっと、ふらついただけだよ」
『炭治郎。お前……やはり、顔色がよくない。今晩は、ここで休んで、早朝に帰れ』
炭治郎の状態を改めて近くで確認した飛鳥は、そう言った。
このまま炭治郎を独りで帰らせるのは、危険だと思った。
そして、何かが私に警告する。このまま炭治郎を返らせてはダメだと……。
だが、それに反して炭治郎は、首を振った。
「いや……今日は、もう帰るよ。朝、起きた時に俺がいなかったら……六太たちが心配するし」
『だが――』
「本当に大丈夫だから……な?」
『…………わかった』
炭治郎にそう言われたら、自分が言っている事が我儘に聞こえてきてしまい、飛鳥はそれ以上何も言えなくなってしまった。
『だが、明日は無理してここへは来るなよ』
「うん。わかったよ……。じゃあ、また明日」
(だから、明日は来なくていいと言っているだろうが;)
飛鳥の言葉に炭治郎はそう答えると、トボトボと歩いて洞窟を後にした。
その時の炭治郎の言葉に飛鳥は若干呆れつつも、炭治郎の着物に己の羽根がくっついてしまっている事に気付いた。
さっき、炭治郎の身体を支えた時についてしまったのだろう。
だが、その羽根を炭治郎の着物から取ろうとは思わなかった。
それは、己の羽根が付いていても何も問題がないと判断したからだ。
何故なら、炭治郎以外の人間には、私の姿を捉える事がまだ出来ないからだった。
実は、炭治郎がいない昼間などに何度がこの洞窟内に人間が訪れた事があったのだが、飛鳥が目の前に現れても誰も驚きもしなかったし、気付きもしなかった。
そう。飛鳥は、まだ未完全な存在なのだ。
中途半端にこの世に存在している状態だという事は、何となく気付いていた。
そして、その理由が何なのかも、飛鳥は自覚していた。
それは、覚悟だ。飛鳥にはまだ、覚悟が足りないのだ。
この洞窟から出て人間と関わっていくという覚悟が……。
(……私は……何であんな事を……)
本当だったら、炭治郎の決意を素直に喜び、応援してやるべきだったはずなのに、飛鳥にはそれが出来なかった。
その理由も今なら漸くわかってきた。これは、嫉妬だ。
炭治郎が、剣士になりたいと、強くなりたいと思ったのは、一人に人物に大きく影響を受けたからだ。
その人物の名は、冨岡義勇。
炭治郎が好いているその人物に私は、嫉妬したのだ。
本当に情けない。もう人でない私の事など、炭治郎は鼻からそういう対象としては見ていないとわかっているというのに……。
だが、こういう感情は、私が人だった時より、人らしく感じてしまっている。
それも、すべては炭治郎のおかげかもしれない。
――――……飛鳥。義勇さんも禰豆子もみんな、本当に優しい人たちばかりだよ。だから……人と関わる事を怖がらないでよ。……一緒に変わろうよ。
先程の炭治郎の言葉が頭の中で何度も繰り返し響く。
そうだ。私は、今度こそ変わらなければならないのだ。
そうしなければ、守れない。炭治郎のあの陽だまりのような笑顔を……。
『…………明日……もし、来たら、言うか』
明日、もし炭治郎がここへやって来たら、しっかり小言を言った上で伝えよう。
私も共に行くという事を……。
どうせ、私の姿は炭治郎にしか見えないのだから、この際開き直ってしまえばいい。
だが、その言葉を飛鳥が実際に炭治郎に伝える日は、訪れなかった。
何故なら、炭治郎がこの日以来、この洞窟を訪れる事はなかったから……。
そして、炭治郎と別れた数十分後に声にならない悲鳴が飛鳥に耳に届いたからだった。
守るものシリーズの第7話でした!
今回のお話は、序章ぶりに飛鳥が登場します。
そして、こちらはこちらで義勇さんに対して嫉妬しています。あの時、飛鳥が無理にでも引き止めていたら、どうなっていたかな……。
【大正コソコソ噂話】
冨岡さんの言われて暫く夜の外出を禁止された炭治郎くん。
それが解除された直後に飛鳥に会いに行ったら物凄く心配そうな匂いを嗅ぎ取ったため、炭治郎くんは顔を出すようにしようと思うようになったのでした。
R.3 1/13