どうして? どうして、私は、女の子なんだろう?
私が、男の子だったら、もっと力があったら、お兄ちゃんの事を上手く守る事ができたのかな?
そして、どうして私は、お兄ちゃんの妹なんだろう?
もし、私がお兄ちゃんと……。ううん。それだけはありえない。
だって、お兄ちゃんは誰にだって優しいから……。
私がお兄ちゃんの妹だから、お兄ちゃんはずっと私の傍にいてくれるんだ。
それに、私にはわかるの。
お兄ちゃんが、誰の事を一番に想っているのか……。
それはね――。
~どんなにうちのめされても守るものがある~
私が、それに気が付いたのは、他でもないお兄ちゃんの匂いだった。
私もお兄ちゃんほどではないけど、鼻が利いた。
そのおかげか、人の感情の匂いも微かに嗅ぎ分ける事ができた。
と言っても、お兄ちゃんに対する相手側の方は、匂いを嗅がなくても大抵見ただけでわかってしまっていた。
なので、お兄ちゃんの事を変な目で見ている奴に対しては、男女問わずお兄ちゃんに気付かれないように影で色々と対処をしていた。
お兄ちゃんは、そういうことには疎いから、私がしっかり守らないといけないという想いがあったから……。
そして、何より、私自身がお兄ちゃんの事が大好きだったから……。
けど、その人は私のその役目すら奪えるほど強い人だった。
その人の名前は、冨岡義勇さん。
お兄ちゃんが行き倒れていた偶然助けた事がきっかけでこの家に留まっている。
それは、他でもないお兄ちゃんが"鬼"という怪物に何度も襲われるからだった。
私も何度もその現場に遭遇したこともあった。
その時に感じたのは、腐臭だった。
相手の鬼が強ければ強いほど、その腐臭も強く感じた。
でも、どの鬼に対しても冨岡さんは、顔色一つ変える事なく確実に鬼の頸を斬り落として倒していった。
あの人は、ちゃんとお兄ちゃんの事を守ってくれる人だった。
その強さが正直悔しかった。
私もあんな風にお兄ちゃんの事を守れたらどんなにいいだろうか……。
そして、何より冨岡さんは、いつも何を考えているのかわからないような表情を浮かべていた。
けど、お兄ちゃんは、匂いでそれを嗅ぎ取っているのかどうかはわからないけど、あの人の感情を正確に感じ取っていた。
それは、一歩間違えれば、熟年夫婦のようなやり取りみたいだと、思ってしまうくらいだった。
実際にそれをお母さんに笑って言われた時のお兄ちゃんの表情は今でも忘れられなくらい、真っ赤だった。
いつの間にか自然とあの人の隣にはお兄ちゃんがいた。
それが、悔しいと思っていた時に私は、決定的なものを見てしまうのだった。
* * *
それが、何時だったのかは、正直あまりよく憶えていなかった。
憶えていたのは、あの人が家の縁側で珍しく居眠りをしていた事だった。
もともと顔立ちも整っているあの人の寝顔は、とても綺麗だった。
だが、あのまま寝ていたら風邪を引いてしまうかもしれないと思った。
真昼だからと言っても山の上にあるこの家は、結構冷える事もあった。
そう思った私は、あの人の事を起こそうと近づこうとしたら、誰かがそれを引き止めた。
それは、他ならぬお兄ちゃんだった。
「禰豆子……。もう少しだけ、寝かせてあげてくれ。冨岡さん……昨日も遅くまで何か仕事をしてたみたいだからさ」
「えっ? でも……」
「大丈夫! 俺がこれ掛けて来るからさ! …………な?」
そう言いながら、お兄ちゃんが薄手の毛布を手にして冨岡さんへと近づいて行った。
ここは、お兄ちゃんに任せた方がいいとそう私は判断した。
それは、以前にも同じような事があった際に茂がやろう冨岡さんに近づいたら、危うく斬られそうになった事もあったからだった。
いつも死と隣り合わせな鬼殺隊のあの人は、そういう事が鋭いのかもしれない。
でも、それがお兄ちゃんがやると何も起きなかった。
それくらいあの人は、お兄ちゃんの事を心の底から信頼しているという事なのだろう。
あんなにもお兄ちゃん好きという感情の匂いを振りまいているというのに、お兄ちゃんには一切手を出さないあの人は、ある意味凄いと思った。
「…………義勇さん。風邪引きますから、毛布掛けますね……」
冨岡さんにそう声をかけながら、お兄ちゃんは優しく毛布を掛けたその時だった。
柱に凭れ掛かって眠っていた冨岡さんの身体がお兄ちゃんの方に傾いてきたのは……。
「! ぎっ、義勇さん!? ……うわあっ!?」
「!!」
それに驚きながら冨岡さんの身体を必死に支えようとしたお兄ちゃんだったが、その甲斐もなくお兄ちゃんは、冨岡さんに押し倒される。
そして、私の目に飛び込んできたのは、二人の唇がしっかりと重なる光景だった。
それを見た瞬間、私の心臓がドクンと大きく跳ねた。
そして、気が付いた時には、その場から逃げ出すように走っていた。
一体、どれくらいは知っただろうか?
それがわからないくらい走った後、私はその場で蹲った。
見たくなかった。お兄ちゃんが誰かと口づけを交わすところなんて……。
お兄ちゃんが、驚いたような表情をしたように見えたけど、そこには何処か嬉しそうな感情も匂いも感じ取れた。
やっぱり、お兄ちゃんは――。
「…………こんなところに……いたのか?」
「!!」
その声が聞こえるまで、一体どれくらいその場にいただろうか?
その声を聞いて私が顔を上げた時には、辺りはもうすっかり真っ暗になっていた。
そして、そこにあったのは、心配そうにこちらを見つめているあの人の顔だった。
お兄ちゃんではなく、あの人の……。
「……急に姿が見えなくなったから……探した。炭治郎も……心配してたぞ」
「…………」
「もう夜だ。いつ鬼が出てきてもおかしくない。……帰ろう」
「…………冨岡さんは……お兄ちゃんが何が好きだが……知ってますか?」
「? どうした、いきなり?」
突然の私の質問に冨岡さんは、少しだけ不思議そうな表情を浮かべた。
「答えられないんですか?」
「いや……そういう――」
「答えてくれるまで私、ここから一歩も動く気はありませんから」
「…………」
そう言った私に対して、冨岡さんは明らかに困ったような表情を見せた。
こういう時、大抵冨岡さんはお兄ちゃんに助けを求めるのだったが、残念な事に今は近くにお兄ちゃんはいなかった。
もう夜だから鬼の活動時間である。
もし、自分がこの場を離れて私が襲われたら大変だという思いもあってか、冨岡さんはお兄ちゃんを呼びに行く事も出来なかったに違いない。
そうまでしてでも、私はどうしても知りたかったのだ。
この人が、本当にお兄ちゃんの事をわかっているのかを……。
「答えてください。お兄ちゃんは……何が好きだと思いますか?」
「…………」
私がそう言葉を促しても、冨岡さんはなかなか答えてくれなかった。
その沈黙が逆に怖かった。知りたいと思っていたはずの事をする事が……。
それを知ってしまってから、私はどうしたらいいのかを……。
「……………………タラの芽」
「…………えっ?」
そして、その長い沈黙が突如呟くようにそう言った冨岡さんの言葉で壊され、その内容に私は目を丸くした。
冨岡さんが、一体何を言ったのかすぐに理解できなかったから……。
「……ちっ、違っていたか? 炭治郎は……タラの芽の天ぷらが……好物だったかと……思ったんだが……?」
そんな私の反応を見た冨岡さんは、かなり戸惑ったような表情を浮かべてそう言った。
そんな彼の表情を見て、私は思わず笑ってしまった。
冨岡さんの答えは、私が想像していたものとは、全然違っていたから……。
そして、その答えは、本当に訊きたかった内容とは少しズレていたから……。
この人は、私の質問を訊いて『お兄ちゃんの好きな食べ物は何か?』を真剣に考えて答えたのだ。
私としては、『お兄ちゃんが誰の事が好きなのか?』を訊いたつもりでいたのに……。
本当にこの人は、真面目なんだと改めて思い知った。
「……? ね、禰豆子?」
「あ、ごめんなさい。……冨岡さんの答えがあまりにも真面目だったから、つい……」
「?」
私の言葉を聞いても冨岡さんは、まだ困ったような表情を浮かべたままだった。
それを見た私は、漸くその場から立ち上がると彼へと近づいて行った。
「…………さあ、早く家に戻りましょう。あまり遅いと、お兄ちゃんたちが心配するし」
「あ、あぁ……?」
そして、私を迎えに来たはずの冨岡さんに私はそう言葉をかけるとさっさと家に向かって歩き始めた。
少し納得していない様子ではいたが、冨岡さんもそれに倣って歩き始める。
今回の件で私は、確信したのだ。
お兄ちゃんも冨岡さんも好き同士なのに、当の本人たちはそれに気付いていない事に……。
そして、色んな意味で私は、この人に敵わないのだという事に……。
「…………冨岡さん」
「なっ……何だ?」
一度足を止めて、冨岡さんへと振り返って私がそう言ったら、冨岡さんは明らかにまだ困惑した表情を浮かべてこっちを見ていた。
それが妙に可笑しく思えて仕方なかった。
「……お兄ちゃんの事……これからもよろしくお願いしますね!」
「!!」
この人だったら、お兄ちゃんの事を安心して任せられる。
この人だったら、お兄ちゃんの事をちゃんと守ってくれる。
幸せにしてくれるとそう思った。
私のその言葉に冨岡さんは驚いたような表情を浮かべたが、何も言わなかった。
そして、私たちは、その後特に言葉を交わす事なく、家に帰ったのだった。
* * *
その日の夜、私は夢を見た。
――――……おとうさん。……おきてても、だいじょうぶなの?
――――ああ、少しなら大丈夫だよ、禰豆子。
それは、遠い日のお父さんと交わした会話の夢だった。
お父さんは、身体が弱く、いつも床に就いていたのが幼かった私にも印象として残っていた。
でも、私たちが傍に行くと、お父さんは身体を起こしていつも優しく微笑んでくれた。
その笑顔は、本当にお兄ちゃんとそっくりだった。
――――…………禰豆子。……お父さんのお願いを一つ、聞いてくれないかい?
――――? おねがい?
――――そう……お兄ちゃんの事、でね……。
お父さんはそう言うと、庭先へと視線を向けた。
そこには、お母さんの手伝いをするお兄ちゃんの姿があった。
――――……お兄ちゃんはね、私やこの竈門家の意志を継いでもらわないといけないんだ。それは、とても大切な事なんだけど……お兄ちゃんは……私が背負ってきたもの以上のものを背負わないといけないかもしれないんだ。
――――? おもいもの? せおう?
――――そうだよ。お兄ちゃんはね……"太陽の子"だから。
お父さんのその言葉の意味がよくわからず、私は首を傾げた。
――――おにいちゃんは……おとうさんとおかあさんのこだよ?
――――ああ、そうだね。ごめん、ごめん。ちょっと……変な事、言っちゃったね。
そう言った私に対して、お父さんは、思わず苦笑した。
――――そうだね……。お兄ちゃんは、私たちの大切な子供だよ。そして……誰に対しても優しくて……どんな人でも引き寄せてしまう……そんな魅力を持っている子なんだよ。その中には……お兄ちゃんの事を傷付けようと思う人だっているんだ。
――――おにいちゃんのことを……きずつけようとするひと……。
そのお父さんの言葉に私は酷く反応し、言葉を繰り返した。
――――人は……光を求める生き物なんだよ。優しい光があれば、みんなそこに自然と集まってくる。そこが居心地がいいから。そして、光は優しいからどんな人であっても手を差し伸ばしてしまう。……お兄ちゃんはね、そんな子なんだよ。
――――…………いやだ。……おにいちゃんに……きずついてほしくない! そんなことするひとがいるなら、わたしがおにいちゃんのことをまもるっ!!
お父さんの言っている事は、よくわからなかったけど、これだけはよくわかった。
誰かがお兄ちゃんの事を傷付けようとする事は……。
そんな人がいるのなら、その人からお兄ちゃんの事を守りたい。
どんな事があってもお兄ちゃんを傷付ける人は、許せないから……。
――――おやおや。それをお願いするつもりだったけど……頼まなくてもやる気満々だね。
そんな私の姿を見たお父さんは、さらに苦笑すると私の頭を優しく撫で始めた。
それは、お兄ちゃんが私の事を撫でてくれる手つきにとてもよく似ていて優しいものだったが、お兄ちゃんのものよりさらに大きく優しく包み込んでくれた。
――――……禰豆子。頼んだよ。いつか、お兄ちゃんの事を守ってくれる誰かが現れてくれるまで……傍にいて、お兄ちゃんの事を支えてやっておくれ。
どうして、今になってこんな昔の夢を見たのだろうか?
それは、やっぱり、お父さんが言っていたお兄ちゃんの事を守ってくれる人が、冨岡さんだったからだろうか?
もし、そうなら、私はお父さんとの約束を果たした事になる。
私は、この約束を守ってお兄ちゃんの事を守ってきたのだから……。
この時の私は、この夢に関して、そう結論付ける以外、他に思いつかなかった。
守るものシリーズの第10話でした!
と、いうことで今回からお話は、禰豆子ちゃんサイドとなります!
今回は、本当に禰豆子ちゃん視点で書いてみたので、ちょっといつもより文章が書きづらかったです。。。
禰豆子ちゃんと冨岡さんの絡みがあるので、ちょっとでも癒されたらいいなぁとか思いつつ書いてます。
【大正コソコソ噂話】
その一
毛布は、明治時代初頭に寝具というよりも防寒具として導入されたようです。
その為、竈門家では、主にお客さんが来た際に使用していたようです。
茂が何度か冨岡さんに毛布を掛けようと試みますが、その度に寝ぼけた冨岡さんに斬られそうになっています。
炭治郎くんがやった場合は、熟睡したままです。
その二
本作の禰豆子ちゃんは、炭治郎くんほどではないですが、鼻が利きます。
そうでないと、炭治郎くんがいない禰豆子ちゃんが無惨様の元に辿り着くのは不可能な為です。
R.3 1/13