「いいか。俺がいない間は、なるべく夜遅くまで外を出歩くな」
「はいはい。言われなくてもわかってますよ」

そして、どうしても外せない用事があるからという事で冨岡はこの家から空ける事になった。
それが終われば、すぐに戻ってくると言うのだが、正直のところ、禰豆子は不安だった。
彼と出会う前の自分だったら、兄の事を独りでも守れる自信があった。
けど、今は……。

「それから、禰豆子……」
「なっ、なんですか?」
「……炭治郎の事……頼むな」
「!!」

そう言った冨岡の言葉に禰豆子は、心底驚いた。
この人が、自分の事を頼りにしているとは、夢にも思わなかったから……。
それがわかった瞬間、禰豆子の口元は自然と緩んでいた。

「? 禰豆子? どうした?」
「! なっ、何でもないです! ……あと! そんな事、冨岡さんに言われなくても、大丈夫ですからっ!!」
「そう……だったのか?」
「そうですよ。本当に、冨岡さんは一言多いです」
「う゛っ……すまない……」

そう言った禰豆子に対して、冨岡は申し訳なさそうに謝った。
実際のところは、素直に喜べなかったからそう言ったのだが、ちょっと言い過ぎたかもしれない。
なので、冨岡の様子を見た禰豆子は、クスッと笑みを浮かべた。

「冗談です。なので、冨岡さんは、安心してさっさと用事を済ませて戻って来てくださいね!」
「あ、あぁ……」

こうして、禰豆子は、冨岡の事を見送るのだった。


~どんなにうちのめされても守るものがある~


「……ね……禰豆子。……やっぱり、兄ちゃんも……一緒に――」
「ダメ!」

そう言った炭治郎が言い終わるより早く禰豆子は、バッサリとそう言った。
だが、それでも炭治郎はまだ諦めていないのか、言葉を紡ごうとする。

「けど……」
「お兄ちゃん、自分の今の身体の状態、わかっている? そんな身体で、本当に山を下りられると思ってるの?」
「う゛っ……」

その禰豆子の言葉に炭治郎も流石に言葉に詰まった。
そう、炭治郎は、冨岡がこの家を離れた日からずっと風邪気味で、そして、つい昨日熱で倒れてしまったのだった。
そんな身体の状態で山を下りるなんて無茶にも程がある。

「私の事を心配してくれるのは嬉しいけど、まずは自分の体調を治してよね?」
「は……はい……」

禰豆子の言葉は、まさに正論そのものだった為、炭治郎はそう言うしかなかった。

「ごめんね、禰豆子。お母さんが一緒に付いて行ってあげられたらよかったんだけど……」
「ううん、いいよ。お母さんは、お兄ちゃんの事、診ていてあげて」

そんな禰豆子に対して、母――葵枝は申し訳なさそうにそう言った。
今日は、雪も降っている為、荷車を引いて山を下りる事は難しかった。
だから、炭治郎の代わりに禰豆子が籠に炭を積めるだけ積んで町に売りに行く事にしたのだ。

「今日は、無理して町に行かなくていいんだよ」
「ううん、行ってくる。もう正月も近いから、みんなに美味しいもの食べさせたいし!」
「ごめんなぁ、禰豆子。……兄ちゃんが風邪なんか引いたばっかりに……俺、長男なのに……」
「謝るくらいなら、今日はちゃんとゆっくり休んで治してね。薬もちゃんと買って帰ってくるから」
「えっ? そんなのいいよ。薬なんて、勿体ないから……」
「勿体なくない! それでお兄ちゃんの体調が良くなるなら、全然!」

炭治郎にそう言いながら、禰豆子は山を下りる為の準備を着々と進めていく。

「…………それじゃあ、行ってくるね!」
「ねっ、禰豆子! ちょっと……待ってくれっ!」

そして、家を出ようとしたところで、禰豆子は炭治郎に呼び止められた。

「これ……持って行ってくれないか?」
「えっ? でも、これは……」

そう言って炭治郎が禰豆子に手渡してきた物を見て、禰豆子は戸惑いが隠せなかった。
それが、藤の花の香り袋だったから……。
冨岡が炭治郎のことを想い、鬼除けのお守りとして炭治郎に託した物だ。
冨岡から受け取った日から炭治郎は、冨岡の言いつけを守って、それを肌身離さず持ち歩いていた。
まるで、宝物のように、大切な物のように……。
だから、これを自分が受け取る事に禰豆子は正直気が引けた。

「頼むよ。兄ちゃんは、一緒に行ってやれないから、せめてこれだけでも……。きっと、義勇さんが禰豆子の事を守ってくれるからさ。……な?」
「…………わかったわ」

炭治郎にそこまで言われたら、禰豆子はもう断りようがなかった。
なので、禰豆子は、藤の花の香り袋をちゃんと受け取り、それを無くさないように懐へとしまった。
これが終わったら、すぐに兄に返そうと思いつつ……。

「じゃあ、行ってくるね!」
「行ってらっしゃい。気を付けてね!」

こうして、禰豆子は、山を下りて町へと向かった。
このやり取りが、家族たちとの最期のやり取りになるなど、この時の禰豆子には知る由もなかった。





* * *





「……まぁ、禰豆子ちゃん! こんな日に独りで山を下りてきたのかい? 炭治郎ちゃんは、一緒じゃないの?」
「うん。お兄ちゃんは、風邪をこじらせちゃって、今日は家で寝ています」
「まぁ! それは、大変じゃないかい! あんた! 今日は、禰豆子ちゃんから炭を買うからね!!」
「当り前じゃないか! 禰豆子ちゃんのところには、いつも世話になっているからな!」
「おじさん、おばさん、ありがとうございます! あと、お兄ちゃんの薬も買って帰りたいから、どんな事でもいいのでお手伝いさせてください!」

禰豆子が町に来た途端、何時もよくしてくれている町の人達がすぐに集まってきてくれて、禰豆子の話を聞くや否や、炭が次々と売れていく。
それは、禰豆子の家が作っている炭の品質がいいのも理由の一つではあるが、やはり一番の理由は、兄――炭治郎である。
人柄の良い炭治郎は、禰豆子以上に町の人達に人気があるからだ。
そんな炭治郎が風邪をこじらせて寝ていると知れば、早く元気になれるようにと協力してくれる。
本当に町の人達の優しさが禰豆子にはありがたかった。

「あ~~~~っ! 禰豆子ぉ! ちょうど、よかったぁ!!」
「どうかしたんですか?」

背後の方から情けない声が聞こえてきたので、禰豆子はその方向に振り返った。
すると、炭治郎より少し年上だと思われる少年が店から飛び出してきたのが見えた。
若干殴られたのか、口元は少し血が滲んでいた。

「皿を割った犯人にされてんだよ、俺~~っ! 助けてくれよぉ! 禰豆子も炭治郎みたいに鼻が利くんだろぉ!」
「ん~……。まぁ、そうですけど……」
「頼むから、これ嗅いでくれっ!!」
「……もう。仕方ないですね……」

彼から嘘の匂いはしていなかった。
なので、禰豆子は彼が抱えていた風呂敷の中に入っていた割れた赤い赤い皿の匂いを嗅ぎ始めた。
すると、そこから嗅ぎ取ったのは、人の匂いではなかった。

「んー……これは……猫の匂いだと思います」
「あら? 猫だったの?」
「ほらああぁぁ! 俺じゃないって言っただろっ!!」

禰豆子の言葉を聞いた女店主は、あっさりとそう言うのに対して、少年はもう抗議をした。

「…………じゃぁ、無罪も証明してあげた事ですし……はい。お金♪」
「えっ? 金取るの!?」
「当り前じゃないですか? 誰もタダでやってあげるとは言ってませんよ?」
「さすが、禰豆子ちゃん! しっかりしてるわね!」

その禰豆子の態度に思わず、町の人達も関心の声を上げた。

「……お兄ちゃんの薬代を少しでも稼ぎたいんです。だから……少しでいいから協力してください」
「うう……。そこで、炭治郎の名前を出されたら、断れないじゃん……。わかったよ、ほら!」
「ありがとうございますっ!」

そして、少年からわずかだがお金を受け取った禰豆子は、嬉しそうに笑った。

「禰豆子ちゃん! こっちにも炭を売っておくれ!」
「俺にも!!」
「禰豆子ちゃん! ちょっと、お店の手伝いをお願いできるかしら?」
「はい! 喜んで!!」

こうして、禰豆子は、次々と炭を売り、そして町の人達のお手伝いをしてお金を稼いでいくのだった。





* * *





(はぁ……。予定より、すっかり遅くなっちゃったなぁ……)

炭売りや町の人達の手伝いを終え、禰豆子は炭治郎の薬を買う為に薬屋へと向かった。
だが、残念な事に薬屋には禰豆子が欲しかった薬は売り切れてしまっていた。
禰豆子の話を聞いた薬屋のおじさんは、特別に急いで薬を調合してくれたが、それでもやはり時間は掛かってしまった。
薬屋を出た時には、もう日が暮れてしまいそうな時間になっていた。

(早く、家に帰らなくちゃ……)

せっかく、薬屋のおじさんが炭治郎の為に調合してくれた薬だ。
一刻も早く帰って飲ませてあげたい。
そして、早くお兄ちゃんに元気になって欲しい……。
その想いから禰豆子は、独りで山へ帰ろうとしていた。

「こら、禰豆子! お前、山に帰るつもりか!!」
「!!」

だが、その時、近くの民家から一つの声が響いたので、思わず禰豆子は足を止めた。
その民家にいたのは、三郎爺さんだった。

「危ねぇから、やめろ」
「大丈夫です。私もお兄ちゃんと同じで鼻が利くから……」
「うちに泊めてやるから、こっち来い」
「えっ? でっ、でも――」
「いいから来い!! お前は、炭治郎と違って、女じゃないか! 女の子がこんな夜に独りで出歩くのはよくないっ!!」
「っ!!」

そう言いながら民家から出てきた三郎爺さんの言葉に禰豆子は、返す言葉が見つからなかった。
それと同時にその言葉が禰豆子の心を大きく揺さぶり、その場から動けなくした。

「それに……鬼が出るぞ」
「……おっ、鬼?」

そして、いつの間にか三郎爺さんに手を引かれて家の中へと入っていく時にそう彼は言った。
その言葉に禰豆子も漸く反応する。
"鬼"という言葉を、炭治郎や冨岡以外の人からほぼ聞いたのは、これが初めてだった。

「昔から人喰い鬼は、日が暮れるとうろつき出す。だから、夜、歩き回るもんじゃねぇ。食ったら寝ろ。明日、早起きして帰りゃいい。慌てて帰って怪我でもしたら、どうするんだ」
「…………」

禰豆子の言葉に三郎爺さんは、そう言いながら禰豆子の食事の準備をしてくれた。
確かに、そうかもしれない。
慌てて帰って、それで私が怪我でもしたら、それこそお兄ちゃん達が心配することになるかもしれない。
三郎お爺さんの言う通り、明日早起きして山に帰ればいいと思ったからだ。
そう考えた禰豆子は、用意された食事に対して、文句を言うことなく、いただく事にした。
そして、禰豆子はご飯を食べ終わると、三郎爺さんと一緒に布団を敷き、眠りにつく準備をした。

「……ねぇ、三郎お爺さん。鬼は……家の中には、入って来ないの?」
「いや……入ってくる」
「えっ?」

寝床についた禰豆子のその問いに三郎爺さんは、パイプ煙草をを吸いながらそう答えた。
そして、何やらお香らしきものも焚き始めた。
その香りは、何処か藤の花の香りに似ていた。
その香りのせいか、今までの疲れが溜まっていたせいか、禰豆子は徐々に眠くなっていった。
まだ、三郎爺さんにちゃんと訊きたいことがあるのに……。

「……じゃ、じゃぁ……みんな……鬼に……食べられちゃうの?」
「鬼狩り様が鬼を斬ってくれるんだよ。昔から……」
「……鬼狩り……様……」

三郎爺さんのその言葉を聞いて禰豆子は、一人の人物の顔をぼんやりと思い出した。
兄――炭治郎の事を守ってくれる鬼狩りの剣士である冨岡義勇の顔を……。
彼は、今何処にいるのだろうか?
何をしているのだろうか?
早く戻って来てくれたら、お兄ちゃんもきっと喜ぶし、ゆっくり身体を休める事だってできるだろう。
そうだ。お兄ちゃんが元気になって、冨岡さんがまた戻って来たら、みんなでここに遊びに来よう。
三郎お爺さんは、もう家族が死んじゃって独りで寂しいから、私の事をここに泊めたかったかもしれない。
みんなで遊びに来たら寂しくないし、冨岡さんさんが鬼狩りだって知ったら、喜んでくれるかもしれない。
そう考えながら、禰豆子は、そのまま眠りにつくのだった。









守るものシリーズの第11話でした!
今回も引き続き、禰豆子ちゃんサイドのお話となります!
風邪をこじらせて寝込んでしまった炭治郎くんの代わりに禰豆子ちゃんが町に炭を売りに山を下ります。
これがあった為、炭治郎くんは、義勇さんからもらった藤の花の香り袋を禰豆子ちゃんに渡してしまいます。
その為、無残様は炭治郎くんに近づくことが出来たのでした。

【大正コソコソ噂話】
商売に関しては、炭治郎くんより禰豆子ちゃんの方がしっかりしています。
炭治郎くんは、人が好過ぎる為、お手伝いをタダで手伝ってしまう事が多いのですが、禰豆子ちゃんは、時と場合によってちゃんとお金をもらって手伝いをするをしています



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