自分の病室に近づくにつれて、その匂いは次第に強くなっていった。
間違いない。兄――炭治郎が目を覚ましたからだと、禰豆子は理解した。

(逢いたい。……お兄ちゃんに……逢いたいっ!!)
「お兄ちゃ――」

自分の病室の前までやって来た禰豆子は、一度呼吸を整えてから、勢いよく扉を開けた途端、思わず息を吞んでしまった。
それは、禰豆子の目に飛び込んできたのが、何故かベッドの上で正座をさせられている炭治郎の姿だったからだった。


~どんなにうちのめされても守るものがある~


『……何日だ?』

そして、その部屋から響いたのは、飛鳥の声だった。
その声からしても飛鳥がかなり怒っているという事を禰豆子は、匂いを嗅がなくてもよくわかった。

『あの日からお前は何日、ここで眠っていたと思う?』
「えっ、えーっと……その……」
『二週間だ』

その飛鳥の質問に炭治郎は、ただ戸惑っているしか出来なかった。
そんな炭治郎に対して、飛鳥はそう言い切った。

『あの裁判があった日から、お前はそれだけ長い間ここで眠っていた』
「えっ!? そっ、そんなに!?」
『それを踏まえてもう一つ質問だ、炭治郎』

飛鳥のその言葉を聞いた炭治郎は、心底驚いたような声を上げる。
だが、それは事実である。炭治郎があの日から眠りについてもう二週間は、経っていたのだ。
驚きを隠せない炭治郎に対して、飛鳥は更に問いかける。

『何日だ?』
(えっ? さっきと全く同じ質問じゃ……?)
「…………」

その飛鳥の問いを聞いた禰豆子は、戸惑いを隠せなかったが、炭治郎は違っていた。
飛鳥が何を知りたがっているのか解っているから、なかなか口が開かなかった。
だからこそ、飛鳥はその追及の手を緩めなかった。

『炭治郎。お前は、あの山に入る前、何日眠っていなかったのかと、私は訊いているのだが?』
「……みっ、三日くらい?」
『炭治郎。そんな見え透いた嘘が私に通じるとでも本気で思っているのか?』
「…………いっ、一週間です」
『…………』

その飛鳥の気迫に圧倒された炭治郎は、訂正をした。
それに対して、飛鳥は呆れてしまったのか、すぐには言葉を返す事が出来なかった。

『……炭治郎。私との約束は……ちゃんと憶えているんだろうな? 私が禰豆子を見ている間は、絶対に無茶をしない事。もしもの時は、すぐに私に助けを求めるという事を……』
「そっ、そんなに……無茶をしたつもりはなかったんだけど……」
『二週間も眠り続けておいて、お前はまだそれを言うのか?』
「…………」

飛鳥にそう言われた炭治郎は、流石に何も言い返せなかった。
飛鳥が言っている事は何一つ間違っていなかったから……。

『……本当に心配したんだぞ。また……あの日に逆戻りしてしまったんじゃないかと思ってしまったじゃないか……』
「! あっ、飛鳥……。本当に……ごめん」
『いや。今回は、許さない』

本当に申し訳なさそうに謝る炭治郎に対して、飛鳥はそう冷たく言い放った。

『今回ばかりは、私だけでは許さない。お前は……もう一人、謝るべき人物がいるだろう?』
「おっ、お兄……ちゃん……?」
「!!」

そう言うと飛鳥の視線が禰豆子へと向けられた。
それを聞いた禰豆子も漸くこの部屋に入ってから口を開くことが出来た。
それまでは、とても口を挟んでいい雰囲気でないと察したからだった。
だから、飛鳥はあの時、少しだけ自分に時間をくれと言ったに違いない。
炭治郎が叱られている姿を禰豆子に見せたくなかったからだと……。
そして、炭治郎もまだ目が覚めたばっかりだったからなのか、飛鳥の気迫が凄かったせいなのかわからないが、禰豆子がこの部屋にいた事にこの時になって漸く気付いたようで物凄く驚いたような表情を浮かべていた。

「……ねっ……禰豆子……?」
「っ! おっ、お兄ちゃんっ!!」

そして、炭治郎のその声を聞いた途端、禰豆子は目頭が熱くなるのを感じ、気が付いた時には炭治郎の胸の中に飛び込んでしまっていた。

「お兄ちゃんっ! 本当に……本当に……よかったよぉっ!!」
「ねっ、禰豆子……。ごめんな……兄ちゃんが不甲斐ないばっかりに……心配かけて……」
「ううん。そんな事ないよ。飛鳥がずっと、私の事を気にかけて励ましてくれてたから……」

嘘だ。本当は、とても心配していた。
いくら、飛鳥が励ましてくれても、死んだように眠り続けているお兄ちゃんの姿を見る度に……。
偶にその事が気になり過ぎて、機能回復訓練に集中できない事もあったくらいだった。
でも、今はそんな事はもうどうでもよかった。
お兄ちゃんがちゃんと目を覚ましてくれて、本当に嬉しかったから……。

「禰豆子……。本当にごめんな……」
『……これで、よくわかっただろう?』

そんな今にも泣きだしそうな禰豆子の様子を見た炭治郎は、本当に申し訳なさそうに謝った。
それに対して、飛鳥は深く息を吐きながら、炭治郎にそう言った。

『本当に申し訳ないと思うのなら、私との約束を破った罰として、私と禰豆子に毎日おにぎりを作ってやる事。それをすれば、私は今回の事を許してやる。禰豆子もそれでいいだろう?』
「えっ? うっ、うん……」
「……わかったよ。俺、頑張るなっ!」

飛鳥の言葉に禰豆子は少しだけ疑問を感じつつも、そう頷いた。
それで少しでも、お兄ちゃんの気が紛れるのだったら、いいと思ったから……。
飛鳥と禰豆子の言葉を聞いた炭治郎は、それに対して嬉しそうに笑って答えた。

「うむっ! 漸く追いついた! ここが、君たちの部屋だったのだなっ!!」
「なーんだよ、この部屋。窓一つねぇじゃんかよ;」

すると、部屋の入口の方から二つの声が聞こえてきた為、禰豆子はそちらへと視線を変えた。
そこには、煉獄と宇髄の姿があった。

「……ったく、柱に対して、こんな扱いをすんのは、多分お前らくらいだぞ;」
「すっ、すみません……。お兄ちゃんが起きたとわかったら、居ても立っても居られなくなってしまって……」

宇髄のその言葉に禰豆子は、素直に謝った。
確かに彼の言う通り、いくら炭治郎が目を覚ましたからだと言っても、あの扱いは酷かったと今頃になって思った。

「まぁ、宇髄! 余りそう言う事は言うなっ! 俺も弟の千寿郎が同じような状態になってしまえば、間違いなく竈門少女と同じ行動をしていただろう! 君も、嫁たちに対しては、同じ事をしていただろう?」
「……まぁ……そうかもしれないけどさぁ……」
「なら、この話はこれでお終いだっ!!」

そんな宇髄に対して、煉獄は優しく禰豆子に対しての援護へと回り、その話を強引に終わらせた。
そして、そのまま炭治郎の事を煉獄は見つめた。

「改めて自己紹介をしようっ! 俺は、炎柱の煉獄杏寿郎だっ! そして、彼は、音柱の宇髄天元というっ!!」
「あっ、初めまして! 俺は、竈門炭治郎と言いますっ! いつも、妹の禰豆子がお世話になっていますっ!!」
(愛い!!)

煉獄の言葉を聞いた炭治郎は、そう言って軽く会釈をした後、にっこりと笑ってそう言った。
それを見た煉獄の顔が若干赤くなったような気がした。
そして、この時になって、禰豆子は、彼らの名前を正確に知った事に漸く気付かされた。

「あっ、あれ? そう言えば……冨岡さんは、一緒じゃなかったんですか?」

すると、禰豆子は今この場にいるのが、煉獄と宇髄の二人だけだった事に漸く気付いた。
ここに来るまでには、間違いなく義勇も一緒にいたはずだったのに……。

「あ~……。冨岡なら、常備薬を取りに行くって聞かなくて……」
「ええっ!?」

それを聞いた宇髄は、何処か呆れたようにそう言った。
そんな義勇の行動に禰豆子は、驚きが隠せなかった。

(しっ、信じられない……。せっかく、お兄ちゃんが……目を覚ましたのにっ!? それも、冨岡さんがここにやって来た日にっ!!)

禰豆子からしてみれば、これは単なる偶然とは思えなかった。
お兄ちゃんは、きっと一番最初に顔を見たかったのは、彼だったにちがいない。
だから、義勇が蝶屋敷に訪れた瞬間、目を覚ましたのではないかと思ったのに……。
それに、彼は間違いなく、勘違いをしているのだ。
そして――――。

「……大丈夫だよ、禰豆子。冨岡さんは、忙しい人だから、俺なんかに時間を割く必要なんてないし」

そう。そう言って笑っているお兄ちゃんも何かしら義勇に対して、思い違いをしているように感じたのだ。
そうでなければ、こんなにも哀しそうな匂いがお兄ちゃんからするわけがない。

(どうにかして、二人の誤解を解いてあげないと……)

わかっている。これは、余計なお世話だって言う事は……。
それに、本心から、それを願っていないという事も……。
それでも、お兄ちゃんの為に何かをしてあげたいと思ってしまった。
その為には、まずは二人っきりで話す機会を設けてあげるのが一番手っ取り早いと思っているのだが――――。

「竈門少年! 早速で申し訳ないのだが、俺の継子にならないか? それが嫌なら、俺の嫁になって欲しいっ!!」
「えっ? えっ? ええええっ!?」
「おいおい! 煉獄! 俺様を差し置いて、勝手に話進めんなよっ!!」
「…………」

だが、まずは、この状況を収める事が先であるという事を禰豆子は、そう判断するのだった。





* * *





「…………そうか。炭治郎は、やっと目を覚ましたんだね。わざわざ教えてくれてありがとう」

禰豆子が炭治郎について、煉獄たちと色々と揉めていた丁度その頃、産屋敷邸の庭に一羽の鎹鴉がそこに降り立った。
そして、産屋敷の姿を見つけると、鎹鴉は先程蝶屋敷で起こった出来事を彼に伝えた。
それを聞いた産屋敷は、嬉しそうに微笑んでそう言った。
炭治郎の血鬼術によって、視力が回復した産屋敷だったが、それでも一族の呪いを完全に解く事は出来なかったようで、日に日にまた視力が失われていた。
そして、今では、光と色がぼんやりと分かる程度にまでなっていた。

「……それじゃぁ、明日当たりにでも、しのぶの屋敷にでも行ってみようかな? ……あまね。すまないが、補助をお願いできるかな?」
「はい。私でよろしければ、お供します」
「ありがとう、あまね。では、しのぶに明日、屋敷に行く事を伝えておくれ」

あまねの返事を聞いた産屋敷は、嬉しそうに笑うと、そう鎹鴉にお願いをした。
産屋敷のお願いに鎹鴉は頷くと、翼を広げて再び蝶屋敷を目指して飛んでいった。
そして、この事により、明日の夜、しのぶの屋敷に産屋敷自らが赴く事も柱たちに自然と伝わってしまい、柱全員が蝶屋敷にて再び集結する事態へと発展するのだった。









守るものシリーズの第50話でした!
今回で漸く炭治郎くんが目を覚ましました。
が、その途端、飛鳥によるお説教タイムが始まりました!(まぁ、仕方ないですがww)
そして、義勇さんは、禰豆子ちゃんが目を離してしまった為、帰ってしまったよ。。

【大正コソコソ噂話】
その一
飛鳥が禰豆子に煉獄さんたちの事を足止めするように頼んだのは、誰よりも早く炭治郎くんに会って、説教をする為でした。
炭治郎くんが飛鳥に叱られているところを禰豆子ちゃんに見せたくもないし、炭治郎くんも見られたくないだろうという飛鳥なりの配慮でした。

その二
炭治郎くんは、放っておくと平気で三日くらい寝ないでいる時があります。
これが、飛鳥が、禰豆子の事を見守る事で炭治郎くんの傍から離れる事を嫌がった理由も一つでもありました。
そして、炭治郎くん自身もその事でよく飛鳥に叱られるので、起きて飛鳥の姿を確認した途端、すぐにベッドの上に正座したのでした。

その三
この時点で禰豆子ちゃんはすでに炭治郎くんと義勇さんが何かしら擦れ違っている事を感じています。
炭治郎くんの為にそれを解消してあげたいとは思いつつも、どうやったらいいのか悩んでいる最中です。


R.3 11/4