(はぁー……。今日も上手くいかなかったなぁ……)

あの日から禰豆子は、毎日欠かさず訓練場に行っては、機能回復訓練に励んでいた。
もう凝り固まっていた身体の筋肉は、大分柔らかくなったのか、三人娘たちに解してもらっても痛くなく、寧ろ気持ちよく感じるようになっていた。
そして、遅れて訓練に参加した善逸たちに至っては、その痛みでまさかの伊之助が泣き出してしまったので、正直驚いてしまった。
善逸については、特に痛がる素振りを見せなかったが、ずっとニヤニヤしていた為、若干引いてしまった。
だが、元々瞬発力もある善逸は、アオイとの鬼ごっこや反射訓練は、意図も簡単に捕まえたり、湯飲みを鼻先で寸止めさせて勝つ事が出来てしまったりしていた。
そんな善逸に触発された伊之助も徐々にいつもの調子を取り戻していき元気になっていった。
禰豆子もまた、そんな二人に負けないように頑張り、アオイにはなんとか勝てるようになってきた。
でも、三人が順調だったのはここまでだ。
三人共、カナヲには湯飲みを押さえる事も出来なかったし、ましてや捕まえる事も出来なかったのだった。


~どんなにうちのめされても守るものがある~


(…………何故だ? 何故、お前は、まだ目を覚まさないんだ、炭治郎?)

禰豆子がここ毎日、機能回復訓練に励んでいる間も飛鳥は、炭治郎の傍で彼が目を覚ますその瞬間を待っていた。
最近の炭治郎は、漸く体力が戻って来たのか、体型は少年の姿にまで戻っていた。
だから、もう何時目を覚ましてもおかしくはない状態のはずだった。
それなのに、炭治郎は未だに死んだように眠り続けていた。
あの二年の眠りから目覚めてから、こんなにも眠りについていた事はあっただろうか……。

『……それだけ、ここが……お前にとって……安心出来る場所だという事でいいのだろうか?』

本来だったら、ここは炭治郎にとって安心出来る場所ではない。
鬼を狩る存在である鬼殺隊の許にいるのだから……。
だが、それを炭治郎と禰豆子が覆して、最も安心出来る場所に変えたのだ。
一先ずこれで、ここにいれば鬼舞辻無惨に狙われる事もないのだ。
だから、こんなにも安心して眠っているのだと、飛鳥はそう思うようにしていた。
だが――――。

『それでも……やはり、そろそろ目を覚ましてくれないと……不安になるぞ……』

また二年前に逆戻りしてしまったのではないかと、そう錯覚してしまいそうで怖いのだ。
禰豆子には、あんなことを言っておきながら、内心怖くて仕方ないのだ。
だからだったかもしれない。禰豆子に機能回復訓練へ行かせたのは……。
少しでも私が、独りになれる時間が欲しかっただけだったかもしれない。

『…………そろそろ、いつもの時間、か……』

そして、そう呟いた飛鳥は、深く溜め息をついた。
飛鳥は、とある理由から、ある一定の時間だけ、炭治郎の傍から離れていた。
正直、炭治郎が目を覚ますまで、片時も傍を離れたくはないのだが、そうしないと後々面倒な事になる気がしたからだ。

『……炭治郎。また少しだけ傍を離れる。……大人しく、待っていなさい』
「…………」

そう言いながら飛鳥は、炭治郎の頭を優しく撫でた。
だが、それに対しても、炭治郎は何の反応も示さなかった。
その事に少しだけ寂しさを感じながらも、飛鳥は、炭治郎のいる病室を後にした。
そして、向かう先は、この蝶屋敷の入り口付近だ。
そこにまた来ているであろう焔を思わせるような髪を持つ青年と輝石をあしらった額当てを装着した大男と対峙する為に……。





* * *





(ん~……どうして、勝てないのかなぁ……)

禰豆子は、今日も薬湯でずぶ濡れになったまま訓練場から入院病棟へと繋がる長い廊下を歩いていた。
訓練を開始してからもう七日は経っていた。
アオイには、勝てるようになったものの、相変わらずカナヲには手も足も出なかった。
鬼ごっこもカナヲの髪の毛一本すら、触れないのだ。
負け慣れていない伊之助は、すっかり不貞腐れてへそを曲げてしまい、善逸に至っては「自分にしては頑張った」と早々と諦めてしまった。
その為、今真面目に訓練を続けているのは、禰豆子唯一人だった。
そんな二人に対して、アオイはプンプンと怒りつつも、禰豆子の訓練には優しく付き合ってくれた。
そんなアオイの優しさが嬉しかった事もあり、禰豆子は必ず勝ち方を見つけて二人に教えてあげようと思い、頑張っているのだった。

(ん~……同じ時に隊員になったはずなのに、何が違うのかな?)

そんな事を考えながら、禰豆子は真っ直ぐ自分の病室へは向かわず、大浴場を目指して歩いていた。
こんな薬湯でずぶ濡れになったまま、自分の病室へと戻れば、飛鳥に何を言われるのか分かったものじゃないからだ。

(まず……反射速度が全然違うのよね……。多分、私が万全な状態でも負けると思うし……)

それに、カナヲからする匂いも違っていた。

(何だか、柱の人たちに近い感じがするのよね……。後は……目かな? 目が違う気がする……)

もっと、彼女と仲良くなれたら、その理由や方法とかを教えてもらえるかもしれないと思いつつも、それもうまく出来ていなかった。
カナヲと仲良くなりたいと思って、色々話しかけてみるもののニコニコしているだけで、カナヲは何も返事をしてくれないのだ。
困惑している事は、よく伝わってくるのだが、それでも禰豆子は全然めげていなかった。
訓練を抜きにしても、カナヲと仲良くなりたいと思っているから……。
とにかく今は頑張らなくては、とそう禰豆子が気合を入れたその時だった。

(……あれ? ……この匂いって……?)
「今日こそ、会えないだろうかっ! お義父さんっ!!」
「!?」

蝶屋敷の入り口近くから何処かで嗅いだ事のある匂いがしたかと思った瞬間、その大声が禰豆子の耳を刺すように入って来た。
それに驚きつつも、禰豆子はその声が聞こえた方向へと興味本位で足を進めた。
すると、そこにいたのは、炭治郎と一緒にいるはずの飛鳥だった。
そして、飛鳥は、誰かと対話をしているようだった。
その相手は、どうやら二人もいるようで、一人は焔を思わせるような髪の男の人と、もう一人は輝石をあしらった額当てを付けた大きな男の人だった。
それを見た禰豆子は、思わず瞠目してしまった。
禰豆子は、その二人を間違いなく知っていた。
この前の柱合裁判で出会った炎柱である煉獄杏寿郎と音柱である宇髄天元だ。

(なっ、何で、あの二人と飛鳥が!?)

ここ、蝶屋敷は、隊士たちを治療所でもあるので、二人がここにやって来ること自体は、何らおかしい事ではない。
ただ飛鳥と一緒にいる事が気になるのだ。

『…………炎柱。何度言ったらわかるのだ?』

そんな禰豆子の疑問を余所に飛鳥は、溜息をついて言った。

『私は、あの子たちの保護者ではあるが、断じて父ではない』
「いやいや! 保護者でもないでしょっ!?」

真剣に言っているのが伝わった為、思わず飛鳥たちの前に出て禰豆子はそう声を上げてしまった。
そんな禰豆子に対して、飛鳥たちは明らかに驚いた表情を浮かべていた。
だが、禰豆子はそんな事、一切気にせず言葉を続けた。

「私の保護者は、今まで面倒を見てくれた鱗滝さんですっ! 勝手な事、言わないでくださいっ!!」
『……禰豆子。その格好……どうしたのだ?』
「…………あっ」

その明らかに静かな飛鳥の声を聞いて、禰豆子は漸く今の自分の状態を思い出した。
薬湯でずぶ濡れになっている今の自分の姿を……。

『一体、誰にやられた? まさか……あの小娘か?』
「ちっ、違わない事もないけど……こっ、これは……くっ、訓練の一環だから、死かなない事でしょ?」
『だとしても、禰豆子をここまでにするとは……やはり、一度――――』
「それだけは、絶対にダメだからねっ!!」

飛鳥が何を言わんとしているのかが、すぐにわかった禰豆子はそう言って飛鳥の言葉を遮った。
カナヲは、私と友達になる予定の子なのだ。
変に飛鳥のせいでそれが出来なくなってしまったら、こっちが困るのだ。

「竈門少女! 君は、もう機能回復訓練に入っているのか!」
「あっ、はい!」

その煉獄の問いに禰豆子は、思わずそう言って姿勢を正した。
「まだ、万全ではないせいか、なかなか上手く動けなくて、薬湯を被ってばかりですが……」
「そうか! だが、あんな状態だった君が、こんなにも早い段階でこの訓練に入れる事は、凄いぞっ!!」

謙遜する禰豆子に対して、そう煉獄はニッコリと笑って言った。
とても、あの柱合裁判で「斬首する!」と言っていた人と同じ人物とは思えなかった。
それだけ、禰豆子の事を認めてくれているという事だろうか?

「竈門少女! 俺でよかったら、君のその訓練に付き合うぞっ!!」
「えっ!? いいんですか!?」

そして、そのまさかの煉獄の提案に禰豆子は、心底驚いた。
柱に見てもらえれば、自分の足りない部分が何なのか、すぐにわかるかもしれない。
けど、私みたいな階級が下位な隊士に時間を割いてもらっても、本当にいいものなのだろうか?

「もちろんだ! 君は、とても見込みがあるからなっ!!」
「……とか言って、妹から手懐ける作戦だろ? お前?」

優しい笑みを浮かべる煉獄に対して、宇髄はそう水を差すように鼻で笑った。
だが、それを聞いた煉獄は、心底不思議そうに首を傾げた。

「ん? 何の事だ? 今、俺が言った事に、噓偽りはないのだが?」
「はい。この人から、嘘をついている匂いはしませんでしたけど?」
「う゛っ、けっ、けどさぁ……あの鬼に興味はあるんだよなぁ?」
「それは、もちろんだ! 彼は、俺の継子にするし、嫁にもするぞっ!!」
「えっ!?」
『だから、炭治郎は、嫁にやらんと何度も言っているだろうがぁっ!!』
「そこは、本人の気持ち次第では、ないだろうか! お義父さん!!」
『だから、私は、炭治郎のお義父さんではないっ!!』
(あー……そういう事、だったんだ……)

今までのやり取りをすべて見た禰豆子は、何となく理解してしまった。
どうして、飛鳥が定期的に炭治郎の傍から離れる必要があったのかを……。
まだ、目を覚ましていない炭治郎と彼らを会わせないようにする為だったのだ。
彼らがここへ訪れる度にこうやって追い払っていたのだろう。
それならそうと、初めからそう言ってくれてもよかったのに……。

「!!」

そんな事を禰豆子が考えていると、突如、禰豆子の視界は真っ暗になった。
そして、それと同時にとても懐かしい匂いが香って来た。

「…………風邪を引く。それを使って……身体が冷えないように……拭くといい」
「とっ、冨岡さん!?」
「「!?」」

その声の主は、義勇だった。
音もなく、この場にやって来た義勇が、ずぶ濡れとなっていた禰豆子に対して、頭から手ぬぐいを被せてきたのだった。
そんな義勇の行動に煉獄と宇髄は、少しだけ驚いたような表情を浮かべた。

「よもや! 俺とした事が! 気が利かなくて、すまなかった! 竈門少女!!」
「……ってか、お前って……そういう気遣い、出来たんだなぁ」
「…………禰豆子は……妹、だから……な」
(えっ!? ちょっ、冨岡さん!? それって、どういう意味で言ってますか!?)

宇髄の言葉に対して、明らかに言葉が足りていない義勇の言葉を聞いて、禰豆子は思わず困惑してしまった。
彼の言う妹とは、〝炭治郎の意味とだから〟なのか、〝妹弟子だから〟なのか、一体、どちらを指しているのだろうか?
義勇の事だから、多分、前者の可能性の方が高い気もしたが、それにしても紛らわしい事には変わりないのだ。
手ぬぐいを貸してくれた事には、内心感謝しつつも、薬湯で濡れた髪を拭きながら、禰豆子は義勇の事を見つめた。

「……そう言う割には、全然私たちに会いに来てくれませんでしたよね、冨岡さん?」
「! そっ、それは……その……」
「今日も偶々会っただけですよね? 本当は、何しにここに来たんですか?」
「…………常備薬が切れてしまったから……胡蝶にもらいに来た」
(あっ、やっぱりね)

その予想通りの義勇の言葉を聞いて禰豆子は少し呆れてしまった。
禰豆子は、わかっていたのだ。あの日以来、義勇が禰豆子たち、いや、炭治郎に会う事を避けているという事を……。
そして、どうしてそんな行動を取っているのかという理由も何となくだが、わかっていた。
多分だが、それに気が付いたのは、禰豆子と飛鳥くらいだろう。
その事について、飛鳥は、炭治郎をまだ誰にも会わせる気がなかったから、特に気にしてはいなかったかもしれないが……。

「……もう! せっかく、ここまで足を運んだんですから、一目でもお兄ちゃんを見たらいいじゃないんですか?」
「しっ、しかし……」
「ねぇ? 飛鳥? 一目くらいだったら、いいでしょ?」
『…………禰豆子がそう言うのなら、一目くらいなら許す』

禰豆子の言葉に対して、明らかに戸惑う義勇を見た禰豆子は、今度はそう飛鳥に問いかけた。
これまでのやり取りを見ていた事もあり、義勇が遠慮しているのが、よくわかったからだ。
禰豆子にそんな事を言われたら、飛鳥が嫌だと言いづらい事もよくわかっていた。
そんな禰豆子の思惑通り、飛鳥は諦めたように息を吐くとそう言って折れた。

「ほら! 飛鳥もいいって! みんなで、お兄ちゃんに会いに行きましょ! そしたら、お兄ちゃんもきっと――――っ!」

それを聞いた禰豆子は、義勇の手を取って自分の病室に行く事を促そうとしたその時だった。
遠くの方から酷く優しく、懐かしい匂いが香って来たのは……。
間違いない。この匂いは――――。

『…………禰豆子』

そして、それを感じ取ったのは、禰豆子だけではなかった。
飛鳥も感じ取ったのか、静かにそう言うと禰豆子たちに背を向けた。

『……十分。いや、五分でもいい。その時間だけ、私にくれ。そして、彼らの足止めを……頼む』
「えっ? ちょっ、飛鳥!?」

禰豆子の返事など一切聞かずに飛鳥は、物凄い速さで蝶屋敷の中を飛んでいった。
それを見ただけで禰豆子は、すべてを確信した。
兄――炭治郎が目を覚ましたという事を……。
その事に対して、禰豆子は嬉しさを感じると同時に飛鳥に対して、怒りも感じていた。
今すぐ禰豆子も炭治郎に逢いたいのに、どうしてこんな無理難題を押し付けて来たのかと……。
こんな癖のある柱三人を私一人で足止め白だなんて……。

「ねっ、禰豆子? ……どうかしたのか?」
「…………すみません、冨岡さん。やっぱり、私一人で自分の部屋に戻りますっ!! お兄ちゃんが目を覚ましたみたいなのでっ!!」

その為、禰豆子はその無理難題の対応をする事をすぐさま諦めて、自分もさっさと炭治郎に逢いに行くべく、踵を返して自分の病室へと向かって走り出した。

(逢いたい。……お兄ちゃんに……早く逢いたいっ!!)

ただそれだけを思って禰豆子は、走っていた。
そして、自分の病室の前に着いた頃には、息が上がっていた。
その息をちゃんと整えてから、禰豆子は勢いよく、自分の病室の扉を開けるのだった。









守るものシリーズの第49話でした!
今回は、機能回復訓練開始に向けてのお話と実際に訓練に入ったところのお話となります。
随分と前に書いた義勇さんとのあのやり取りをここで回収できて満足してます♪
そして、アオイちゃんも優しい!!
【大正コソコソ噂話】
その一
飛鳥の縁壱になった姿を見たせいで、煉獄さんは「やはり、竈門少年の父親は彼なのでは?」という認識が頭から離れなくなりました。
その為、暫くの間は、飛鳥の事を「お義父さん!」と呼んでしまいます。

「お義父さん! 竈門少年は、もう起きただろうか?」
『炭治郎は、まだ寝ている。それと、私は君のお父さんではないが?』
「失礼した! 竈門少年のお義父さん!!」
『だから、それも違う!!』


その二
初日以外は、ちゃんと手ぬぐいを持って訓練に参加している禰豆子ちゃんでしたが、この日に限って手ぬぐいを忘れてしまったので、びしょ濡れのまま大浴場に向かおうとしてました。
それにより、いつもとは違うルートを通った為、飛鳥たちと遭遇する事になりました。

その三
あの場では、それどころじゃなかったので、禰豆子に「保護者ではない」と言われても気にしていませんが、後々思い出した後にかなり気にする飛鳥でした。


R.3 11/4