木箱から立ち上がった時、その赤みがかった長い髪がふわりと揺れた。
その姿に禰豆子だけでなく、柱たちまでもが息を呑み、彼から目を離せなくなっていた。
目の前に現れた美しい鬼から……。
~どんなにうちのめされても守るものがある~
「…………お兄……ちゃん?」
その炭治郎の姿を見た禰豆子は、思わず声が漏れた。
実弥へと対峙している炭治郎からは、ハァハァと苦しそうな息が漏れ聞こえていた。
だが、それは決して目の前に流れている実弥の血の匂いに、鬼の本能に反応しているからではない。
お兄ちゃんは、別の意味で苦しんでいるのだと、この場にいる中で禰豆子だけがそれを理解出来た。
それに――――。
「…………やめ……て……お兄……ちゃん……いやがって……る……。あと……あす……が……おこ…………っ!」
「伊黒さん、強く押さえ過ぎです。少し緩めてください」
「動こうとするから押さえているのだが?」
その事を何とか伝えようと口を開く禰豆子だったが、上手く言えなかった。
口を開こうとすると、視界が暗くなりかける。
そんな禰豆子の様子に気付いたしのぶがそう言って伊黒の事を注意したが、彼は全く意に介さなず炭治郎の事をジッと見つめていた。
「……禰豆子さん。肺を圧迫されている状態で呼吸を使うと、血管が破裂しますよ」
「血管が破裂!! いいな、響き派手で!! よし行け、破裂しろ!!」
「可哀想に……何ともか弱く、哀れな子供……。南無阿弥陀仏……」
その為、しのぶは禰豆子の事を気遣うようにそう言葉をかけた。
それを聞いた宇髄は、楽しそうに逆にけしかけ、悲鳴嶼は涙を流した。
だが、そんな言葉すら、今の禰豆子の耳には届いていなかった。
止めなければ……。彼がまた暴れ出す前に全てをやめさせなければ……。
それだけを考えて、禰豆子は尚も藻掻いて縄を引き千切ろうとした。
「! 禰豆子さんっ!!」
「っ!!」
しのぶが制止する声が聞こえたのと、禰豆子を縛っていた縄が千切れたのはほぼ同時だった。
それに伊黒は心底驚き、更に禰豆子の事を押さえ込もうとしたが、出来なかった。
それは、いつの間にか後ろに回り込んでいた義勇が伊黒の腕を掴んだからだった。
「っ……お兄ちゃん! 飛鳥……ダメ!!」
禰豆子は、ふらつきながらも縁側へと向かいながら、そう叫んだ。
さっきまで全く感じなかった飛鳥の匂いが、ここにきて一気に強くなっていく。
あの時の、那田蜘蛛山で嗅ぎ取った匂いに似た怒りの匂いが……。
「あす――」
『…………それ以上、その汚らわしい血を炭治郎に……見せるなっ!!!』
「!!」
禰豆子がそう声を上げたのと、辺りに飛鳥の怒声が響き渡ったのは、ほぼ同時だった。
そして、その怒声と只ならぬ殺気に驚いた実弥は、一歩炭治郎から距離を取った。
その直後、まるで炭治郎の事を守るかのようにその場から美しい炎が燃え上がり始めた。
そして、その炎の中から一羽の鳥が姿を現し、炭治郎の事を守るように実弥と対峙した。
『……今のは、ほんの威嚇代わりに、貴様の血だけを燃やしてやっただけだ。だが……次、その血を炭治郎に見せてみろ。……その時は、貴様の身体諸共燃やしてやるっ!』
「っ!?」
「えっ? なになに? あれ!? ひっ、火の鳥!?」
「随分ド派手な鳥だなっ!!」
「よもや!」
突如、姿を現した美しい鳥にここにいる柱の殆どが何が起きたのかわからず、困惑していた。
だが、彼らにもわかる事が一つだけあった。
この鳥は、決して鬼ではないという事が……。
もっと、高貴な存在であるという事が……。
そんな存在――飛鳥に対して、禰豆子だけはその行動を非難しようと声を上げる。
「あっ、飛鳥! 今まで、何処にいたの!? それに、いきなり攻撃するなんて……」
『私は、ずっと、炭治郎の傍にいた。正確には……炭治郎の影の中にいた。……それを言うのなら、禰豆子。お前もなかなかな蹴りをお見舞いしていたように見えたが?』
「あっ、あれは……」
『安心しろ。私が燃やしたのは、あくまでも奴の血だけだ。あれ以上は……炭治郎の身体に毒だったからな。それよりも……』
その禰豆子の言葉を飛鳥は、心外とばかりにそう答えると、視線を変えた。
その先にいたのは、義勇だった。
『冨岡義勇。……お前には、心底失望した』
そして、義勇の事を睨みつけてそう飛鳥は言葉を続ける。
『禰豆子は、こんな身体の状態でも、必死に炭治郎の事を守ろうと身体を張っていた。しかし、お前はどうだ? 何も動こうとしなかった。ただ、見てるしかしなかった』
「…………」
そう飛鳥に言われても義勇は、何も言葉を返さなかった。
そんな義勇の様子を見て、飛鳥は、呆れたように息をついた。
『……所詮、お前にとっては、炭治郎はその程度のものだという事だなぁ。……柱と言う立場の方が――』
「それは違うよ、飛鳥」
『っ!?』
だが、そんな飛鳥の言葉を遮ったのは、義勇でも、禰豆子でもなかった。
驚いた飛鳥は、その人物――炭治郎へと目を向けた。
「……冨岡さんは、動かなかったんじゃないよ。……俺の事を信じてくれていたから……敢えて何もしなかったんだよ、飛鳥」
「! たっ、炭治――」
『たっ、炭治郎!? たっ、体調は大丈夫か? さっきの品のない血で吐き気とか起こしていないか? 本当なら、まだ寝ていないといけないというのにっ!!』
「大丈夫だよ、飛鳥。……ちょっと気持ち悪かったけど……もう平気だから」
『本当か? お前は、すぐ痩せ我慢をするだろうが』
炭治郎の言葉を聞いて、驚いたように義勇は口を開いたが、それを遮るかの如く、飛鳥が心配そうに声を上げて炭治郎の事を確認した。
事実、炭治郎の顔色は、この暗がりの中でもよくわかるくらい悪かった。
「本当に大丈夫だって。飛鳥がさっき血を燃やしてくれたから、もう吐き気は治まったよ。ありがとう、飛鳥!」
『そっ、そんな事……別に大した事は――』
「あっ、でも! これ以上は、何も燃やしたらダメだからな! 優しい飛鳥なら、そんな事、本気でするとは、思ってないけど」
『! …………炭治郎。私がお前が嫌がる事をするわけないだろう?』
(何だろう? さっきの変な間は?)
それに対して、炭治郎がそう言うと、飛鳥は翼を器用に動かして、炭治郎の手を包むとそう答えた。
その時の微妙な間と飛鳥の切り替えの早さに禰豆子は、若干驚いた。
だが、それを向けられている炭治郎に至っては、その事に慣れているのか、全く気にしていない様子でニッコリと微笑んだ。
「ありがとう、飛鳥! ……じゃぁ、少しの間だけ、この人と話をさせて」
『! まっ、待って、炭治郎! それは、きけ――』
「ご挨拶が遅くなってしまい、すみませんでしたっ! 俺は、竈門炭治郎と言いますっ!」
そして、周囲が困惑しているのを余所に炭治郎は、飛鳥の翼から手を放すと、再び実弥に向けて優しい笑みを浮かべながらそう挨拶をした。
「鬼殺隊の皆さんには、いつも禰豆子の事を面倒を見て頂いていたのに、なかなかお礼を言いに行けずにすみませんでしたっ! あと、もう一つすみません。……あなたのお名前を聞いてもいいですか?」
「あっ、アァン!? だっ、誰がテメェみたいな鬼に名前なんか――」
「竈門くーん。そこにいる彼は、風柱の不死川実弥といいます」
「! こっ、胡蝶! お前、何勝手に人の名前教えてやがるんだァ!?」
「別にいいじゃないですか? 名前くらい教えたって? あっ、ちなみにですが、私は蟲柱をしています胡蝶しのぶと申します。よろしくお願いします♪」
「しのぶさん。こちらこそ、よろしくお願いしますっ!!」
明らかにこの場の雰囲気に合っていないような優しい笑みを浮かべてそう尋ねる炭治郎に対して、実弥は動揺した。
そんな彼の様子が面白いと思ったしのぶは、自分の事もちゃっかり自己紹介しつつ、勝手に実弥の名前を炭治郎に教えた。
それを聞いた炭治郎は、しのぶに対して、律儀にお辞儀をしてお礼を言った。
そして、実弥の名前を知った炭治郎は、それに少し驚いたように目を丸くさせた。
その瞳は、鬼特有の猫目のようなものではなく、人間と全く変わらない赤みがかった美しい瞳だった。
「えっっと……あなたが…………不死川さん?」
「だっ、だったら、何だよォ! 文句あるんのかァ!!」
「いえ。ないですよ。……匂いから何となくは、わかっていたんですが……ただ、冨岡さんから話を聞いていた通りの人だなぁっと思いましてっ!!」
「はっ、はあァ!!? あいつからだとォ!!?」
「はいっ! 柱の皆さんたちについては、冨岡さんから色々とお話を聞かせてくれましたからっ!!」
「!?」
屈託のないその炭治郎の笑顔を見た途端、柱たちは一斉に義勇へと視線を向けた。
そして、皆が義勇に対して同じ事を思った。
義勇は、この無垢そうな少年――炭治郎に一体どんな話をしたのだろうか?と……。
「…………怪我をさせてしまいましたね。……俺のせいで」
そんな柱たちの事など特に気にする事なく、炭治郎は哀しそうに実弥の腕を見つめながらそう呟いた。
炭治郎自身がそれをやったわけでもないのに、酷く申し訳なさそうだった。
そして、何を思ったのか、炭治郎は両手をギュッと握り締めると、己の鋭い爪を食い込ませて、その手から血を流し出す。
「……血鬼術――――」
『! たっ、炭治郎!? そんな身体でアレを――』
「――――紅光柱」
「!!」
その事にいち早く気付いたのは、飛鳥だったが、既に遅かった。
炭治郎の両手から二つの美しい紅い光芒が現れだした。
その光芒は、まるで点を目指すかのように、見る見るうちに昇っていき、紅い光の柱となる。
その幻想的な光を見た禰豆子は、思わず息を呑んだ。
だが、その直後、禰豆子は己の身体に異変を感じ始めた。
(……なっ、何だろう? さっきより……息苦しくない?)
それは、伊黒からの拘束から解放されたからだと思っていたが、どうも違った。
呼吸する事も楽になり、身体が徐々に軽くなっていく。
そして、その光の柱から漏れ出たように辺りに漂う光が禰豆子の顔に触れると、そこにあったはずの傷が消えていった。
(まさか……これって……お兄ちゃんの血鬼術の力!?)
『炭治郎っ!!』
こんなにも優しく暖かな血鬼術があるという事を禰豆子は知らなかった。
いや。それは、禰豆子だけではなかった。
この場にいる全員が同じ気持ちを抱いていた。
だが、その光の柱を飛鳥が、炭治郎の両手を掴んで強制的に消させた。
『そんな身体の状態でその血鬼術を使うなと、何度言えばわかるんだっ!!』
「えっ? だって、不死川さんは、俺の為に負う必要のない傷を付けちゃって、痛そうだったし……」
必死にそう言う飛鳥に対して、炭治郎は不思議そうに首を傾げてそう言った。
『だっ、だからと言って、何故、光柱を二つも出す必要がある!? あの程度の傷なら、私の涙でも充分治せただろうにっ!!』
「それは、禰豆子も酷い怪我をしたままだったから、一緒に治そうと思って……。それに、飛鳥がやったら、俺の証明にならないだろ? 俺が人を襲わないって事の」
『! そっ、それは……』
そして、炭治郎のその言葉を聞いた飛鳥は、言葉に詰まってしまった。
炭治郎の言う通り、飛鳥が治療してしまったら、何も意味がなかった。
そして、炭治郎のこの行為は、とても重大な事だった。
炭治郎は、血の誘惑に負けるどころか、逆にその傷を癒してしまうという、普通の鬼ではありえない行動を取ったのだから……。
「……あっ、あのぅ。これで、少しは、証明に……?」
その事を再確認しようと炭治郎が口を開いたが、途中で途切れてしまった。
いつの間にか炭治郎の傍にまでやって来ていた産屋敷の姿を見たから……。
「あっ、あの……どうかしましたか? どこか体調がよくないですか?」
「…………いや。君のおかげでとても良くなったよ。そして、また、こうやって……光を捉える事も出来た」
「えっ? じゃぁ……なんで……?」
炭治郎の問いにそう産屋敷が答えた為、炭治郎は更に困惑した。
「なんで……あなたは、そんな風に涙を流しているんですか?」
この暗がりだと少しわかりづらかったが、確かに産屋敷の瞳からは静かに涙が零れ落ちていた。
また、彼の瞳は、白く濁っておらず、確実に炭治郎の事をその瞳で捉えていたのだ。
「…………すまない。私にも、よくわからないんだ。君の姿が目に入った途端……自然と止まらなくなってしまった」
もう随分と前にこの瞳は、光を失ってしまったというのに……。
私には、もう暗闇しか広がらない世界しか見えないとわかっていたはずなのに……。
それなのに、気が付いたら、君という光をこの瞳は捉えてしまっていた。
それと同時に何とも言えない感情が込み上げてきた。
この感情を言葉にするとしたら――――。
「……私は…………ずっと、君に事を……捜していた」
捜していたんだ。義勇が私に全てを打ち明けてくれる前から……。
君が生まれてくる前から、ずっと……。
「だから……君と出逢えた事が嬉しくて、泣いてしまったのかもしれないね」
心の中で誰かが言ったんだ。
〝やった、出逢えた〟と……。
「! ……お館様」
「おっ、お兄ちゃん……?」
そうニッコリと微笑んで言った産屋敷の言葉に少し驚きつつも、炭治郎は他の柱たちがしているように片膝を付いて、深く頭を垂れた。
その突然の炭治郎の行動に禰豆子は、困惑した。
「…………今回、俺が鬼になってしまった事は……ここにいる誰のせいでもありません。……俺が未熟だった……それだけです」
そして、ゆっくりと産屋敷に対してそう言葉を続けた。
「ですから……禰豆子は、何も悪くないんです。……こんな不甲斐ない俺の事をずっと心配して、鬼殺隊に入って……俺の事を捜そうとしてくれていた優しい妹なんです。冨岡さんもそうです。……俺の事を心配して、香り袋を渡してくれたのに……。ですから……罰を受けるなら、俺独りで充分なんですっ!」
「! たっ、炭治郎――」
『炭治郎! お前、何を馬鹿な事を言っているんだ!?』
「そうよ、お兄ちゃん! これは、お兄ちゃん独りの問題なんかじゃ――」
「飛鳥も禰豆子も気持ちはわかったから、もう少しだけ黙っててくれ」
「…………」
炭治郎の言葉を聞いて流石の義勇も口を開いた。
だが、それよりも飛鳥と禰豆子の声の方が大きかった為、炭治郎の耳にはそれは届かず、炭治郎は二人に対してそうあっさりと返した。
その為、禰豆子と飛鳥もだが、義勇もそれ以上口を挟む事が出来なかった。
「……お館様……失礼しました」
「……炭治郎。私は、今の君を見て、罰したいとは思ってはいないよ。寧ろ、私たち鬼殺隊の一員として加わって欲しいと思っている」
「はい、だからこそです。俺は……禰豆子たちとこれから一緒にいたいからこそ……ちゃんと決めておきたい事があるのです」
「決めておきたい事? それは何だい?」
「…………俺は、鬼ですが、この先も人を襲う事は絶対にしません。ですが、もし……その日が仮に来てしまったら……」
その事を一気に口にするこのが怖かったのか、炭治郎は一度言葉を区切ると、今度は産屋敷の瞳を真っ直ぐ見つめて言った。
「……もし、そんな日が仮に来てしまった時は……彼に――風柱である、不死川実弥さんの手で俺の事を斬首していただきたいと思います」
そして、その言葉を聞いた誰もがその内容に耳を疑うのだった。
守るものシリーズの第43話でした!
今日が炭治郎くんの誕生日なので頑張ってここまで書きました!!炭治郎くん、誕生日、おめでとう!!
今回で漸く、炭治郎くんを本格的に柱合裁判に参戦しました!
それにしても、飛鳥は気持ちいくらい炭治郎くんとそれ以外の人たちの態度が違いますねwww(禰豆子ちゃんに対しては、若干マイルドですが)
そして、この炭治郎くんは、原作の禰豆子ちゃんの血鬼術とは別に癒しの血鬼術も使えますっ!(そして、それを多用して飛鳥にいつも怒られてます)
【大正コソコソ噂話】
その一
炭治郎は、鬼になる前は、義勇さんのことを『義勇さん』と呼んでしましたが、この柱合裁判の場では『冨岡さん』と言って、敢えて彼から距離を取る行動をしています。
その理由については、今後のお話を進めていくうちにわかります。
※決して、作者の書き間違いではありません!!
その二
柱の人たちと何とか仲良くなりたいとは、思っていた義勇さんは、それを相談するついでに炭治郎くんに柱たちの事を話しています。
その内容は、ほぼFBで書いている内容に近いものだったりしますが、それを聞いても炭治郎くんからしては、「柱の人たちはみんな優しそうな人たちだなぁ」という印象を持ってました。
※義勇さんが明らかに言葉足らずなので、話に加えて匂いから推測してました。
その三
炭治郎くんが使える血気術「紅光柱」は、人の傷を癒すことが出来る血気術です。
また、その光を見た・触れた人の傷は、完全に治す事も可能です。
産屋敷さんは、炭治郎くんの近くにいてその光が届く位置にいた為、一時的ではありますが、視力が回復しました。
なお、悲鳴嶼さんのところまでは、光が届かなかったため、視力は回復していません。
光柱は、発生させる数に応じて、その力も変わってきますし、その分炭治郎くんの体力の消耗も激しくなります。
R.3 7/14