『小娘よ……。私の炭治郎の頸を狙ったという事は……それなりの覚悟はあるんだろうなぁ?』

そう言った火の鳥――飛鳥の声は、恐ろしく静かなものだった。


~どんなにうちのめされても守るものがある~


今、自分の目の前に広がった光景を見た飛鳥は、言葉を失った。
そこにあったのは、満身創痍で動けなくなってしまっている禰豆子と意識を失っている炭治郎の姿だった。
そして、そんな炭治郎に対して、容赦なく日輪刀を振おうとした少女の剣士の姿だった。
それを見ただけで飛鳥の理性を奪うには充分すぎるくらいだった。
だから、少女――カナヲに対して、飛鳥は何の躊躇いもなく己の炎を放った。
そして、カナヲも突如現れた飛鳥を見て、現状が呑み込めていないのか、全くその場から動けなくなっていた。
それだというのに、飛鳥の放った炎がカナヲに命中する事はなかった。
それは――――。

『…………どういうつもりだ、禰豆子よ!?』

そう、彼女が、禰豆子が邪魔したからだった。
もう動く体力何て残っていないだろう彼女が、必死に起き上がって、カナヲを飛鳥の炎から遠ざける為、引っ張ったのだった。

『何故、そんな小娘を庇う!? その小娘が、一体何をしようとしたのか、わかっているのか!?』

わからなかった。何故、禰豆子がこんな行動をとったのか……。

『その小娘は、炭治郎の頸を斬ろうとしたんだぞっ!!』
「だからと言って、これはやり過ぎですっ! あなたは今、本気でこの人の事を殺そうとしていましたよね!?」
『それの何が悪い?』

禰豆子の言葉に飛鳥は、何の躊躇いもなくそう言った。

『炭治郎の頸を狙ったのなら、私に燃やされてしまっても仕方ない事だろう?』
「それ……本気で言ってますか?」

飛鳥の言葉を聞いた禰豆子の顔色がさらに悪くなったような気がした。
そして、そう静かに禰豆子は、飛鳥に問いかけてきた。

「お兄ちゃんを守る為にこんな事までしてもいいと本気で思っているんですか!?」
『それ以外、方法がなければ……私は何だってする』

もうあの時のような思いを、間違いを犯さない為にも……。
その為だったら、私は何だってする覚悟はあるのだ。
その結果、己の手が汚れてしまっても、別に構わなかった。
それで、炭治郎の事を守れるのならば……。

「そう……ですか……。でしたら――」
『! 禰豆子! 何をしている!?』

飛鳥の言葉を聞いた禰豆子は、少し残念そうな表情を浮かべると、飛鳥が思ってもみなかった行動を取った。
もう身体を動かすのも精一杯なはずなのに、禰豆子はカナヲの事を守るように立ち上がったのだった。
何故、そのような行動を禰豆子が取ったのか、今の飛鳥にはわからなかった。

『禰豆子! 何故、まだ、その小娘を庇おうとする!? いくら、お前が炭治郎の妹だからと言っても、やっていい事と悪い事があるだろう!?』
「その言葉……今のあなたにそっくりそのままお返ししますっ!!」

飛鳥の言葉に対して、そう禰豆子は、はっきりと言った。

「あなたは……この二年、ずっとお兄ちゃんと一緒にいたんですよね? それなのに……どうして、こんな事が出来るんですかっ!?」

その時、辺りにけたたましい声が響き渡った。
それは、禰豆子の訴えるような声をも搔き消すような騒音だった。
その騒音も飛鳥の耳には、何を言っているのかよく聞き取る事は出来なかった。
飛鳥の中で渦巻いている怒りのせいで、まだ全ての判断を鈍らせている事に飛鳥自身が気付いていないからだった。
だからこそ、飛鳥は、禰豆子のその行動と言葉に意味が理解出来ずにいた。

『…………もういい……話している時間すら、無駄だ』
「っ!!」

そう思った飛鳥は、己の体温を再び上げ始めた。
それに気付いた禰豆子もカナヲを守ろうと体勢を整える。

『……禰豆子。もう一度だけ忠告してやる。私の炎で焼け死にたくなければ……今すぐ、その小娘から離れろ』
「嫌です。……絶対に退きません!!」
『っ!!』

その飛鳥の脅しに対しても禰豆子は、決して屈する事はなかった。
炭治郎によく似た強い眼差しがこちらへと向けられている。
わかっている。彼女は、やはり炭治郎によく似ていて優しいという事は……。
だが、それだけでは、救えない。
優しいだけじゃ守れないものが、この世にはあるのだから……。
だから――――。

『…………わかった。なら、このままその小娘と共に……消え失せろ』

そう言って飛鳥は、己の口から炎を放とうとした。
禰豆子だけは、決して焼き殺さぬよう炎を制御した上で……。
辺りに禰豆子以外の人の声が聞こえてきたような気がした。
だが、もうそんな事も飛鳥には、どうでもよかった。
これで、全てが終わるのだから……。
そう思っていたはずなのに……。

『っ!?』

その次の瞬間、音もなく突然感じ取った気配に飛鳥は息を呑んだ。
そして、すぐさま己の体温を下げた。
それと同時に己の体温とは別の熱を身体に感じた。
とても温かい熱を……。

『たっ……炭治郎……?』

それは、間違いなく炭治郎の熱だった。
これは、偶に炭治郎の身に起こる現象の一つである。
深い眠りに落ちているはずなのに炭治郎は、あの黄色髪の少年――善逸みたく、眠っているまま起き上がって動く事があるのだ。
それは、まるで、夢遊病患者のように炭治郎は、その時の事は一切覚えていないのだ。

「おっ……お兄……ちゃん?」
「…………さい」

その炭治郎の様子を初めて見た禰豆子も何が起こっているのか、わからないといった様子で戸惑っていた。
そんな周囲の様子など、当の炭治郎は眠っている為、知る由もなく、飛鳥の背中を抱き続けて何かを呟いていた。

「…………ごめん……なさいっ。……ぜんぶ……俺のせいで……ごめんなさい……っ!」

そして、漸く聞き取れた炭治郎の言葉に飛鳥は絶句した。
どうして、炭治郎が謝っているのかが、よくわからなかった。
炭治郎は、何一つ悪くはないというのに……。

「……誰も……傷付けたくないのに……傷付けさせたくもないのに……俺のせいで……ごめんなさいっ!」
『っ!!』

炭治郎のその言葉と背中に伝う炭治郎の涙で飛鳥は、漸く気付いた。
自分が今やろうとしていた事は、炭治郎を哀しませるしかないのだというのに……。
炭治郎は、とても優しい子なのだ。自分が傷付くよりも他人が傷付く事の方が嫌がるくらい人の痛みには、敏感なのだ。
そんな炭治郎が自分の事を守る為に誰かを傷付けてしまったと知ったら、どう思うだろうか……。
優しい彼は、きっと、飛鳥の事を直接責めたりはしないだろう。
でも、間違いなく後悔するのだ。今みたいに炭治郎自身のせいにして、己の事を責めるのだ。

(…………あぁ、そういう事だったのか)

そして、飛鳥は唐突に理解した。
炭治郎がどういった時にこんな状態に陥ってしまう事が多いのかを……。
それは、まさにこんな状況の時だけなのだ。
飛鳥が我を忘れて怒りのまま誰かを攻撃しようとする時だけ、炭治郎はこうなってしまうのだ。
そのおかげでいつもギリギリのところで思い止まり、越えてはいけない線を越えずにいられたのだという事に飛鳥は気付かされたのだった。

『…………炭治郎……ありがとう』

そう炭治郎に向かって言った飛鳥の声は、とても優しいものだった。
ありがとう、炭治郎……。お前のおかげで、いつも間違えずに済んでいたのだな……。

「…………飛鳥」

すると、辺りに一つの声が響いた為、飛鳥はその声の方向へと視線を変えた。
そこには、男女の鬼殺に剣士が立っていた。

『…………冨岡……義勇』

飛鳥は、そのうちの一人の男の名――冨岡義勇の名を口にした。
辺りにけたたましく響いていた鎹鴉の声の内容が正気を取り戻した事で漸く飛鳥の耳にも入ってきた。

「隊士竈門禰豆子! オヨビ鬼ノ炭治郎! 両名ヲ本部ヘ連レ帰ルベシ! 連レ帰レ!!」
「えっ? 私とお兄ちゃんを!?」

その伝令の内容を禰豆子も今聞いたのか、かなり驚いている。

『……どういう事だ? 冨岡義勇?』
「お館様が……炭治郎を保護して……連れて来るようにと……」
『何? 鬼殺隊の当主が?』

その義勇の言葉に飛鳥は、困惑した。
彼が、炭治郎の事を捜していたのは何となく理解出来るのだが、何故、鬼殺隊の当主までが……?

「あの……すみません。色々と疑問点がお互いあるかと思いますが、ここは一旦、大人しく付いて来てもらえないでしょうか?」

そんな飛鳥の様子を見た蝶の羽織を着ている女剣士――しのぶがそう提案してきた。
彼女自身、飛鳥という存在などに疑問を抱きつつも、少しでもこの場を穏便に済ませる為に考えた言った発言だろう。

「大人しく従ってもらえれば、少なくとも柱合裁判が始まるまでは、竈門くんと禰豆子さんの身の保障は私の方でちゃんとしますので」
『……つまり、それ以降については、二人の身の保障は出来ないという事か?』
「それは、私からは何とも言えませんね。ですが……ここで、大人しく従っていただいた方が……後々為になるかとは思いますけど?」

飛鳥の問いにそうしのぶは、笑みを浮かべて答えた。
彼女の言葉から察して、これ以上騒ぎを起こしたら、炭治郎たちの心証が悪くするだけだという事だった。
それに、残念な事に夜明けも近づいていた。
ここは、彼女の言葉通り、一旦は大人しく従うしかないだろう。

『…………わかった。従おう』

また、あの地、鬼殺隊の本部の地に足を踏み入れる事になるとは……。
その事を少しばかり憂鬱に思いながら、飛鳥たちは那田蜘蛛山を下り、鬼殺隊の本部の土地へ向かう事になるのだった。





* * *





(…………ん…………暗い。……身体も……重い。……ここは……何処だろう?)

それから、どれくらいの時間が経っただろうか?
炭治郎は、何やら身体に痛みを感じた為、ゆっくりと目を覚ました。
だが、炭治郎の目の前に広がっていたのは、暗闇だけだった。
まだ、夢でも見ているのだろうか?
少し痛みを感じた身体も自由には動かせなかった。

(でも……何だろう? 微かにだけど……木の匂いがする……)

だが、仄かに香る木の匂いから、これは夢ではないという事を炭治郎は理解した。
だとしたら、一体ここは、何処なのだろうか?

(! そう言えば……禰豆子は!? 禰豆子は……無事なのか!?)

炭治郎が憶えているのは、自分が禰豆子の事を助ける為に血鬼術の爆血を使ったところまでだった。
それ以降については、全然記憶がなかった。
だから、不安になった。あの少年の鬼――累をちゃんと倒せただろうか?
身動きが上手く取れない為、炭治郎は辺りの匂いを嗅いで状況を確認しようとした。
すると、微かにだが、禰豆子の匂いがした。
その事に一先ず安堵した炭治郎は、更に匂いを確認すると、禰豆子の他にも複数の人の匂いがする事に気付く。

(……えっ? こっ、この……匂いは!?)

そして、その中の一つの匂いに炭治郎は、思わず瞠目した。
懐かしい彼の匂いがしたから……。

(ぎっ、義勇……さん? どっ、どうして……?)

それは、間違いなく、冨岡義勇の匂いだった。
ここにいるはずのない彼の匂いがした事で炭治郎は困惑した。
それと同時に思ってしまった。
逢いたいと……。彼の顔を一目でもいいから見てみたいと……。
ずっと、我慢していた気持ちのせいか、何とかそれが出来ないものか炭治郎は試みよう身を動かそうとしたが、途中で思い止まった。

(ダメだ……。やっぱり……逢っちゃ……ダメだ)

逢いたいけど、それはしてはいけない。
逢ってしまえば、哀しい想いをさせてしまう。
だって、俺は鬼になってしまったから……。彼は、鬼殺の剣士なのだから……。

(それに……何だろう? ……この……雰囲気は……?)

今、匂いから嗅ぎ取れる雰囲気は、決して穏やかなものではなかった。
それに微かにだが、何かを言い合うような声も聞こえてくる。

(……もしかして……俺の事で揉めて――――っ!!)

そう炭治郎が思った瞬間、声にならない悲鳴を上げた。
それは、突然漂ってきた血の匂いのせいだった。
鬼になった炭治郎だったが、人を喰った事は今までに一度もないし、喰いたいとも思わなかった。
普通の鬼とは違い、炭治郎にとって血の匂いは、嫌いなものだった。
そして、今、漂っている血の匂いを嗅いだだけでも吐き気がして気持ち悪かった。

「っ!!」

その血の匂いを何とか耐えようとした炭治郎だったが、更なる衝撃が走った。
この暗闇の中から突然、右肩を刀のようなものが貫いたのだった。

「出て来い、鬼ィィ! お前の大好きな人間の血だァ!!」

その声と共に辺りにバキッという音がしたかと思うと視界が明るくなった。
この声が聞こえた方へと炭治郎は視線を向けた。
そこには、全身傷だらけの凶悪そうな面相の青年の姿があるのだった。









守るものシリーズの第40話でした!
今回は、主に飛鳥目線のお話となっています。
炭治郎くんを殺そうとしたため、めちゃくた頭に血が昇った飛鳥さん。
その結果、炭治郎くんが動くまで全然人の話を冷静に聞くことが出来てませんでした。
次回から、本格的に柱合裁判のお話となります!

【大正コソコソ噂話】
その一
今までにも飛鳥がキレて、同じように鬼殺隊の隊士を殺しかけた事は何度もありました。
だが、その度に炭治郎くんが無意識のうちに飛鳥の身体の動きを止めていた為でした。

その二
炭治郎くんが最初に感じた身体の痛みは、実弥さんが最初に刺した時です。
この時は、まだ炭治郎くんは寝ぼけている為、そんなに痛みは感じてませんでした。

その三
人を喰えない上、鼻がいい炭治郎くんにとっては、血の匂いは決して食欲をそそる匂いではありません。
その為、稀血の中の稀血である実弥さんの血の匂いは、かなりきつい匂いだったかと思います。


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