(……そうだ……俺は……人間だった頃の俺は……)

あの二人の姿を目にした瞬間、今まで思い出す事が出来なかった記憶が鮮明に蘇ってきた。
俺が人間だった頃の記憶が……。


~どんなにうちのめされても守るものがある~


俺は、生まれつき身体の弱い子供だった。
走った事もなければ、歩くだけで苦しくなって、ずっと家の中で寝てばかりいた。
外で楽しそうに遊んでいる子供たちの声が羨ましくて、綾取りをしながらそれを聞く事しか出来なかった。

――――可哀想に……。私が救ってあげよう。
(そう……。あの日……無惨様が現れるまでは……)

そして、俺は、無惨様に血を分け与えられて鬼になった。
そのおかげで俺は、強い身体を手に入れた。
だけど、両親は何故だか、それを喜んではくれなかった。
それは、鬼になった代わりに、俺は日の光に当たる事が出来なくなり、人を喰わなければ生きていけなくなったからだった。

――――なんて事をしたんだ……累!!

昔、俺は、素晴らしい話を聞いた。
川で溺れた我が子を助ける為、死んだ親がいたそうだ。
その話を聞いた俺は、感動した。何という親の愛。そして、絆。
川で死んだその親は、見事に〝親の役割〟を果たしたのだ。
それなのに、何故か俺の親は、俺が人を喰ったところを見てしまったある日の夜に俺の事を殺そうとしたのだ。
母は、泣くばかりで、殺されそうな俺の事を庇ってもくれなかった。
きっと、偽物だったんだ。この家族の絆は、本物ではなかったのだ。
そう思った俺は、俺の事を殺そうとした父を、庇ってくれなかった母をその怒りのまま殺した。
その日の夜の月は、とても綺麗だった。

――――…………っ。
(何か言ってる。……まだ、生きているのか……)

今にも死にそうな母が小さな声で何かを言っていた。

――――…………丈夫な身体に産んであげられなくて……ごめんね……。
――――っ!!

その言葉を最期に母は、事切れて死んだ。
そして、この時になって俺は、俺に向かって包丁を振り下ろした父の言葉を思い出した。

――――大丈夫だ、累。……一緒に死んでやるから。

泣きながらそう叫んでいた父の言葉の意味を殺されそうになった怒りのせいで、その直後は理解する事が出来なかった。
だが、今になってその意味を理解してしまった。
父は、俺が人を殺した罪を共に背負って一緒に死のうとしていてくれていたのだと……。
俺は、あの夜、俺自身の手で本物の絆を断ち切ってしまったのだ。

――――全ては、お前を受け入れられなかった親が悪いのだ。己の強さを誇れ。

そう言って無惨様は俺の事を励ましてくださった。
俺自身も、そう思うより他、どうしようもなかった。
そうしないと、自分のしてしまった事に耐え切れなかったんだ。
例え、自分が悪いのだと、わかっていても……。
毎日、毎日、父と母が恋しくて堪らなかった。
いくら偽りの家族を作っても、その虚しさは止まらなかった。
結局、俺が一番強いから、誰も俺の事を守れないし、庇えないから……。
そして、俺が強くなればなるほど、人間だった頃の記憶も消えていって、自分が本当に何をしたいのかもわからなくなっていったんだ。

(……俺は……何がしたかった?)

どうやっても、もう手に入らないその絆を求めて、必死にこの手を伸ばしてみたところで、決して届く事はないというのに……。
累の身体だけが、最期の力を振り絞って立ち上がり、フラフラと禰豆子たちへと近づいていく。
そこにあるのは、ずっと欲しかった本物の絆。本物の家族の絆だ。
累が長年ずっと憧れて仕方なかったものだ。
身体が幼くなった兄の事を必死に抱き締めて守る妹にまで、やっぱりその手は届かなかった。
累の身体は、遂に力尽きて倒れ込んでしまった。
兄妹に伸ばした手も灰となって崩れていく。
そんな累の手を禰豆子が痛ましそうに見つめていた。

(…………小さな身体から……抱えきれないほどの大きな哀しみの匂いがしてくる……)

どうして、今までその事に気付かなかったのだろうか?
改めて見た累の身体は、本当に子供のそれだった。
だから、禰豆子はそっと、その小さな背中に手を置いた。
きっと、意識があった兄なら同じことをするだろうと思いながら……。





* * *





(温かい……陽の光のような……優しい手だ……)

その禰豆子の手の温もりは、もう死んでしまう累にもはっきりと感じられるものだった。
そして、その瞬間、累は、はっきりと思い出した。

(そうだ……僕は……謝りたかったんだ。……父さんと……母さんに……)

ごめんなさい……。全部、全部。僕が悪かったんだ。
どうか……許してほしい、と……。

「…………でも……山ほど人を殺した僕は……地獄に行くよね。……父さんと母さんと……同じ所へは……行けないよね……」

もう顔も身体も、遂に灰になった。
その灰も徐々に風に乗って散っていく。
視界も、もう暗くなっていく。
そして、累に残るものは、やはり、後悔だけだった。

『……一緒に行くよ。地獄でも』
「!!」

だが、何処からか優しい声が聞こえてきた瞬間、辺りが真っ白になった。
その声に思わず累は、顔を上げると、懐かしい人の顔があった。
ずっと、逢いたくて、忘れてしまっていた優しい笑顔がそこにあった。

『父さんと母さんは、累と同じ所へ行くよ』

そう言いながら、父が背中を擦り、母が膝に優しく手を置いてくれた。
それを聞いた途端、累の身体は自然と二人の胸の中に飛び込んでいた。
それと同時に累の姿は、鬼の姿ではなく、人間だった頃の幼い子供の姿へと戻ったのだった。

「全部、僕が悪かったよぅ。ごめんなさい」

泣きながら、そう言って謝る累に対して、累の父も母もただ優しく累の事を抱き締め返すのだった。

「ごめんなさい、ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……!」

優しい両親の胸の中で累は、泣きながら何度も謝り続けた。
そんな親子の事を地獄の業火は逆巻きながらも燃え続け、やがて全てを焼き尽くした。
その業火は、間違いなく地獄のものであったはずなのに、累にはそれすら温かく感じたのだった。





* * *





「……人を喰った鬼に情けをかけるな」

累の身体が灰となって、はらはらと散っていくのを禰豆子は、静かに見守っていた。
そして、最終的に彼が着ていた蜘蛛柄の着物だけが禰豆子の手の中に残された。
そこに歩み寄ってきた義勇がその着物を踏み付けて、禰豆子の事を見下ろしながらそう言った。

「子供の姿をしていても関係ない。何十年何百年生きている醜い化け物だ」
「…………私は……そうは、思いません」

そんな義勇に対して、禰豆子はそう口を開いた。

「私は……殺された人たちの無念を晴らす為、これ以上被害者を出さない為にも、鬼の頸に刃を振う覚悟でいるつもりです。けど……だからと言って、鬼である事に苦しみ、自らの行いを悔いている者を踏み付けようとは、思いませんっ!」

私たちの事を助けてくれた彼に対して、本当はこんな事など言いたくはない。
けど、これだけは、言っておかなくてはいけないと、禰豆子は思った。

「鬼は、私たちと同じ人間だったから……。決して、醜い化け物なんかじゃありません。鬼は……虚しく、哀しい生き物です。それに……冨岡さん。今の言葉を……お兄ちゃんに向かっても言えますか?」

――――……やっぱり、鬼は悲しい生き物ですね、義勇さん。
「っ!?」

禰豆子の言葉を聞いた瞬間、義勇の頭の中に在りし日の炭治郎の姿と声が蘇った。
自分の事を襲ってきた鬼が灰となって消えゆく姿を哀しそうに見つめた炭治郎の姿を……。

「そっ、それは…………っ!!」

禰豆子の言葉に対して義勇は、何かを言いかけたが、それを最後まで聞く事は出来なかった。
その途中でいきなり邪魔が入ったからだった。
何かが物凄い速さで禰豆子たち目掛けて、飛んできた。
義勇が二人の事を庇うように体勢を取り、刃で何かを弾いた。
それは、まさに一瞬の出来事だった為、禰豆子の目では追う事は出来なかったが、その直後に誰かが地面へと降り立った。

「あら? どうして、邪魔をするんです、冨岡さん?」

その姿を、その声をちゃんと確認するまでは、新手の鬼の攻撃だと禰豆子は思っていたが、それは間違いだった。
そこに立っていたのは、蝶の羽織を着た女性の鬼殺隊士――胡蝶しのぶであった。









守るものシリーズの第37話でした!
今回で累くんとの絡みは終了となります。
累くんの過去も切ないので、ちゃんと地獄での償いが終わったら、また人間に転生できたらいいなぁとか思っています。
そして、次回からは柱合会議に向けて動き出します!

【大正コソコソ噂話】
禰豆子ちゃんも本来はとっても優しい子なので、炭治郎くんと同じように累くんの背中に手を置いてくれたと思います。


R.3 4/20