十二鬼月。それは、全ての鬼の起源にして遍く鬼を統べる首魁の鬼である鬼舞辻無惨直属のは以下である十二人の鬼だ。
無惨を除く鬼の中では、最も強い鬼たち。
彼らは、その強さに応じて上弦の壱から陸、下弦の壱から陸と順位付けられていると珠世さんから聞いていた。
そして、今、禰豆子の目の前にいる累の瞳には、『下伍』。
それが示す意味は、彼が十二鬼月の下弦の伍であるという真実だけだった。


~どんなにうちのめされても守るものがある~


「……僕はね、自分の役割を理解してない奴は、生きてる必要がないと思ってる」

累は、まるで聞き分けのない幼子を見つめるような目で禰豆子の事を見下ろしながら、そう口を開いた。

「父には父の役割があり、母には母の役割がある。親は子を守り、兄や姉は弟妹を守る。何があっても、命を懸けて。それが家族の絆で、役割だ。じゃぁ、お前の役割は何だ? お前は、僕に鬼である兄を渡して消える役だ。それが出来ないなら、死ぬしかないよ。勝てないからね」
「…………」

累がそんな事を言っている間にも禰豆子は、思考を巡らせていた。
必死に気配を探り、隙の糸の匂いを掴もうとしていた。

(糸は簡単には斬れない……。折れた刀身でどうしたら……。あの子の頸が糸よりも硬い場合は……)
「嫌な目つきだね。メラメラと……愚かだな。もしかして――」

そんな禰豆子に対して、累は不快そうに呟いた。

「勝つつもりなのかな!!」
「っ!!」
「お兄ちゃんっ!!」

そう言って累が右毛を振り上げた瞬間、後ろにいたはずの炭治郎の身体が宙へと舞った。
炭治郎と禰豆子の一瞬の隙を突いて、累は炭治郎の事を吊り上げたのだ。
そして、炭治郎の身体は、あっという間に累の手の中へと落ちてしまった。

「……さぁ、もう()ったよ。自分の役割を自覚した?」
「はっ、放してっ!!」
「逆らわなければ、命は助けてやるって言ってるのに……」

ぐったりと累に羽交い絞めにされている炭治郎の姿を見た禰豆子は、思わずそう叫んで累へと突っ込んでいった。
そんな禰豆子に対して、累は呆れたように息をつくと再び糸を繰り出した。
それを間一髪のところで禰豆子は、後方回転して避ける。
そして、着地したと同時に息を呑んだ。

(!? お兄ちゃんが……いない!?)
「があっ!?」
「!?」

先程まで累に羽交い絞めにあっていたはずの炭治郎の姿がそこにはなかった。
だが、それを認識した瞬間、禰豆子の頭上から炭治郎の苦痛の声とボタボタと血が落ちてきた為、禰豆子は慌てて顔を上げた。

「おっ……お兄ちゃんっ!!」

そこにいたのは、蜘蛛の糸によって遥か上空の方で逆さ吊りにされている炭治郎の姿だった。
身体に絡んだ蜘蛛の糸が食い込んでいるのか、痛々しいほど血が滴っている。
そんな炭治郎の巣タガを見た禰豆子は、思わず叫んだ。

「うるさいよ。このくらいで死にはしないだろ、鬼なんだから」
「…………ね……ねず……こ。……逃げ……ろ」
「! おっ、お兄ちゃん……?」

そんな禰豆子に対して、累はまた呆れたようにそう呟いた。
すると、上空にいる炭治郎から弱々しい声が聞こえてきた。

「……兄ちゃん……なら……大丈……夫だから。……禰豆子は……逃げ……るんだ」
「!?」

炭治郎が途切れ途切れに禰豆子に伝えようとしている内容に伝えようしている内容に禰豆子は言葉を失った。
炭治郎は、己の事をまた犠牲にして禰豆子の事を助けようとしているのだと……。
これまで炭治郎は、累の言葉に対して、一切何も口を挟んで来なかった。
それは、炭治郎なりにずっと考えていたのだろう。
炭治郎と禰豆子、二人共助かる方法を……。
そして、炭治郎が決断した答えは今の言葉だった。
そんな炭治郎の言葉を聞いた累は、何処か嬉しそうな笑みを浮かべた。

「ほら、彼もこう言ってるよ? 僕の兄になるって……。いい加減、さっさと諦めて逃げなよ」
「…………嫌よ」

だが、それでも禰豆子は、その場から動こうとはしなかった。
今、この場を離れるわけにはいかなかった。
ちゃんと、自分の想いをお兄ちゃんに伝えなければ……。

「……お兄ちゃん、ごめんね。お兄ちゃん独りに全部背負わせちゃって……」

お兄ちゃんは、何も悪くないのに……。
どうして、いつも苦しい目に遭うのは、お兄ちゃん何だろう。
お兄ちゃんは、ただ一生懸命に私たち家族と生きていただけなのに……。
お兄ちゃんは、誰よりも優しい人なはずなのに……。
どうして、そんな人ばかり、踏みつけにされるのかなぁ……。
だから、もう離れたくはなかった。お兄ちゃんの事を見つけたから……。

「お兄ちゃん……。もう独りで全部背負わないでよ……。これからは、私が傍にいるから……。お兄ちゃんが背負っている荷物は……私も一緒に背負うから……」

人が背負える荷物は、限りられている。
それ以上のものを背負おうとすれば、人は潰れてしまうのだ。
だから、その分の荷物は捨てるか、他の誰かに一緒に持ってもらわなければ、決して軽くはならないのだ。
だったら、その分の荷物は、私が一緒に持ってあげたい。
お兄ちゃんが捨てる事が出来ない背負っている荷物を……。

「だって! お兄ちゃんが私に傷付いて欲しくないように、私だってお兄ちゃんに傷付いて欲しくないからっ! だから、教えて! お兄ちゃんは……本当は、どうしたいの?」

もう嫌だった。大切な人が傷付く姿をただ見ているだけでいるのは……。
もうあんな思いはしたくなかった。
私はもう、ただお兄ちゃんに守られるだけの存在ではないのだ。
だから、絶対にここから逃げたりはしない。
お兄ちゃんの本当の気持ちを知るまでは……。

「! …………俺は……禰豆子の……兄ちゃんだから……禰豆子の事を守りたい……何があっても、どんなことをしてでも……」

そんな禰豆子の言葉を、想いを聞いた炭治郎は、驚いたように目を見開かせると戸惑いながらも口を開いた。

「だって……禰豆子は……俺にとって……たった一人の家族だから……」
「お兄ちゃん……」
「けど――」

やっぱり、お兄ちゃんの本心は、こうなのか。
そう思った禰豆子だったが、まだ炭治郎は言葉を続けていた。
その時、炭治郎は優しい眼差しを禰豆子に向けていた。

「けど……俺ももう禰豆子とは……離れたくないよ……。禰豆子の傍にいて、守りたい……。やっぱり、俺は……禰豆子の――――っ!!」
「お兄ちゃん!!」

漸く炭治郎の本心が聞き出せそうになったその直後、炭治郎の顔がまた苦痛で歪んだ。
それを見た禰豆子は、思わず叫んだ。

「余計な事喋ったら、ダメだよ。もう君は、僕の兄なんだ。僕だけの兄なんだよ」

それは、累が糸を操って炭治郎に絡む蜘蛛の糸をきつくしたからだった。
炭治郎の言葉を聞いた累は、明らかに苛立っている様子だった。

「……やっぱり、ちゃんと教えないとダメみたいだね。暫くはこのまま止血させよう。それでも、従順にならないようだったら、日の出までこのままにして、少し炙る」
「っ!?」

その累の言葉に禰豆子は頭の血が上りそうになったが、何とか落ち着かせた。
ここで、何も考えずに突っ込んでしまっても、彼には勝てない。
やっと、お兄ちゃんから、本心が聞けたのだ。
絶対にお兄ちゃんの事を助け出さなければ……。

「……ん? 君、体型まで変えられるの? 本当に面白いね、君は……」

そんな事を禰豆子が考えていると累から何とも興味深いものを見たような声が聞こえてきた。
その声に禰豆子も炭治郎の方へと視線を向けると、炭治郎の身体に変化が訪れていた。
炭治郎の身体が徐々に小さくなっていく。
以前、これについても禰豆子は、球世さんから聞いていた事だった。
彼は、血を流し過ぎるとその身体を維持させる為に自分の意志とは関係なく勝手に身体を幼児化させてしまうと……。
本来だったら、すぐにでも眠りについて体力を回復させたいのかもしれない。
だが、それをせずにこうやってまだ起きているのは、禰豆子が傍にいるからだろう。

「それに、独特な気配の鬼だ。僕たちとは何か違うような……。もしかして、君は、逃れ者の――」
「――――全集中・水の呼吸! ――――拾ノ型!!」

累が何かを考えている隙を突いて禰豆子は、呼吸を整えて、最も精度の高い技を繰り出そうと身体を捻り、折れた日輪刀振りかぶった。

「――――生生流転!!」

拾ノ型は、水の呼吸の中で最大の連撃技だ。
舞うように回転を繰り返しながら、周囲の敵を斬り払っていく。
曲がりくねりうねる龍のように一撃目より二撃目と回転が増すにつれて強い衝撃になっていくのだ。

(やった! 斬れたわっ!!)

拾ノ型を使った事で禰豆子は、漸く纏わりつく蜘蛛の糸を斬る事に成功した。

(このまま距離を詰めていけば、きっと勝てるわ!!)
「……ねぇ、糸の強度は、これが限界だと思ってるの?」

回転を増しながら累へと間合いを詰めて行く禰豆子に対して、そう累は呆れたように言った。
そして、赤黒い累の指先からは、彼の血で強化された糸が無数に繰り出された。
それは、蜘蛛の巣の形の牢獄となって、瞬きする間もなく禰豆子の事を閉じ込めた。

「――――血鬼術――――刻糸牢」

そして、一瞬のうちに理解してしまった。
この糸は、さっきまでのものとは、まるえ違うと……。
この糸は、斬れない。まだ、回転が足りていない。

「もういいよ、お前は。……さよなら」
「っ!!」

禰豆子に対して、面倒くさそうにそう累は言い放った。
もう絶対に負けるわけにはいかないのに、このままだと死ぬ。
負けてしまう。お兄ちゃんの目の前で……。
結局、私は、口先だけだった。
この糸に触れた時、私は刻まれて死ぬ。
ごめんね、お兄ちゃん……。

「…………らめちゃ……ダメだ……禰豆子……っ!!」
「!!」

そう思ったその時だった。
禰豆子の耳に届いたのは、幼い子供の声。
それは、兄――炭治郎の声だった。

「……禰豆子……お前なら……斬れる……。俺と……同じように……神楽を……舞える…………から……っ!」
(舞える? 神楽?)

炭治郎のその言葉の意味を考えた瞬間、禰豆子の脳裏に走馬灯が見えるのだった。





* * *





死の直前、人が走馬灯を見る理由は、一説によると今までの経験や記憶の中から迫りくる死を回避する方法を捜しているのだという。
そんな禰豆子の根の前に、かつての家族と過ごした日々が流れた。
洗濯物を干しながら笑っている母。庭で遊んでいる弟妹たち。
鈴をつけた木の枝を振りながら私と一緒に踊る兄の姿があった。
そして、それらを縁側から優しく微笑んで見下ろしている瘦せ細った男――父の姿もあった。

――――炭治郎、禰豆子。呼吸だ。息を整えて、ヒノカミ様になりきるんだ。

そうだ。これは、私がお兄ちゃんと一緒にお父さんに神楽を教えてもらった時の記憶だ。

――――炭治郎、ほら。……お父さんの神楽よ。

雪の中、お兄ちゃんとお母さんが一緒に山の中に立っていた。
それは、まざ小さい子供の頃の思い出で、私はお母さんにおんぶされていた。
炭焼き小屋の裏手の広場にいくつもの篝火を焚いて、その中でお父さんが舞っていた。

――――うちは火の仕事をするから、怪我や災いが起きないよう、年の初めは〝ヒノカミ様〟に舞を捧げてお祈りするのよ。

この時にしか着ない炎を織り出した着物だ。
顔は、『炎』と書いた白い布で隠して、右手に枝分かれした木のような形をした不思議な剣を持っている。
その剣を構え、振り上げ、回転しながら、お父さんは踊り続けていた。
お父さんが躍っている箇所だけ積もっていた雪は溶けて、黒い土が剝き出しになっている。
赤い着物と剣に結び付けられている布が、お父さんの動きに併せて靡き、ひらめき、まるでお父さん自身が炎になったように見えた。
その光景がとても綺麗で眠たかったはずなのに、お母さんの背中からずっとお父さんの事を見つめていた事をよく憶えていた。
あんな風に私も踊れるようになりたいと……。
だけど、それは決して願ってはいけない事だとわかっていた。
この舞は、代々竈門家の長男だけに、日輪の耳飾りと共に継承されるものだという事を知っていたからだ。
だけど、お父さんは、私にもお兄ちゃん同様にあの舞を教えてくれたのだ。

――――お父さんは、身体が弱いのにどうしてあんな雪の中で長い間、舞を踊れるの? 私は、肺が凍るかと思ったのに?
――――息の仕方があるんだよ。どれだけ動いても疲れない息の仕方が。

小さいながらに思った疑問に対して、そう言ってお父さんは答えてくれた。
布団の上に身を起こし、瘦せ細った手で私の事を優しく撫でながら……。

――――正しい呼吸が出来るようになれば、禰豆子もずっと舞えるようになるよ。寒さも平気になる。
――――……お父さん。私なんかが、あの舞を踊ってもいいのかな? 私……女の子だよ?

自分からあの舞を踊れるようになりたいとお父さんに我儘を言っておきながら、ずっとその事を気にしていた。
お兄ちゃんとほぼ同じタイミングで教えてもらったのに、まだ上手く踊れない。
それはやっぱり、私が女の子だからなのかもしれないと……。

――――大丈夫だよ。舞を踊りたいと思う気持ちに性別は関係ないからね。……禰豆子は、ゆっくりと時間をかけて踊れるようになればいいさ。

そんな私に対して、お父さんは優しくそう言ってくれた。

――――……禰豆子。前にお父さんと約束したことを憶えているかい?
――――? 禰豆子がお兄ちゃんの事を守るってやつ?

私のその言葉を聞いたお父さんがゆっくりと頷いた。

――――そうだよ。……きっと、この舞は、その手助けをしてくれるはずだよ。だから、自分自身を信じなさい。そしたら、ヒノカミ様は、ちゃんと禰豆子に応えてくれるよ。
――――うん! わかった!!

お父さんのその言葉を信じて、私はお兄ちゃんと一緒に舞を練習し続けた。
そのおかげか、私はその呼吸と、ヒノカミ神楽の舞の型を全てその身体に覚えさせる事が出来た。
型の精度は、やっぱりお兄ちゃんの方が高くて綺麗だったけど、それはお兄ちゃんが私以上に努力していたからだった。

――――よく頑張ったな、禰豆子! あっ、そうだ! 来年は、俺と二人で舞を踊ろう! きっと、ヒノカミ様も喜んでくれるぞっ!!
――――本当! うん! わかった! 約束だよ、お兄ちゃん!!

だが、その約束が果たせる事はなかった。
その日が来る前に鬼舞辻無惨が家にやって来て、家族を殺し、お兄ちゃんを鬼にして連れ去ってしまったから……。





* * *





「…………ヒノカミ神楽!」

それからは、正直、無我夢中だった。
禰豆子は気が付くと父――炭十郎から教わったあの神楽の呼吸をしていた。
腕が、足が、身体が勝手に動いていた。
あのお父さんが舞っていた舞の形通りに……。

「――――円舞!!」
「!!」

日輪刀の軌跡が炎ように燃え上がった。
そして、熱を放つ折れた刀身が累の糸を断ち斬った。
それに驚いた累が飛び退くと、再び糸を繰り出した。
生きているように動く糸が禰豆子の頬を、髪を、羽織を切り裂く。
けど、もう後には退けなかった。
もう立ち止まる事は出来なかった。
今、止まってしまったら、水の呼吸からヒノカミ神楽の呼吸に無理矢理切り替えた跳ね返りが来てしまう。
もし、そうなってしまったら、暫くは動けなくなってしまうだろう。

(! 見えたわ! 隙の糸!!)

そして、禰豆子は今まで見ることが出来なかった累の隙の糸を漸く捉えた。
それは、腕だけなら、届く距離にあった。そう、腕だけなら……。
例え、身体がバラバラになったとしても腕だけなら届くのだ。

(…………ごめんね、お兄ちゃん)

そう心の中で謝りつつも、禰豆子は覚悟を決めていた。
今、ここで私がやらなければいけない。
そうしなければ、お兄ちゃんは守れないのだ。
例え、相討ちになったとしても……。

「――――血鬼術……」

禰豆子が死を覚悟して累へと挑もうとしたその時、再び声が響いた。
兄――炭治郎の声が……。

「――――爆血!!」

その声が響いたのと、辺りに張り巡らされていた蜘蛛の糸が一気に燃え上がったのは、ほぼ同時だった。
炭治郎の血を吸っていた蜘蛛の糸がすべて焼き切れる。
そして、炭治郎が禰豆子の事を庇った時に禰豆子の日輪刀に付着した炭治郎の血も爆ぜ、禰豆子の日輪刀が加速した。
灼熱の刀が遂に累の頸を捉えた。

「私たちの絆は、誰にも引き裂けないわっ!!」

その言葉と共に兄妹二人の祈りが帯びた炎の刃が累の頸を跳ね飛ばすのだった。









守るものシリーズの第35話でした!
今回は、累くんとの本格的に戦闘シーンを書いてみました。
炭治郎くんは、禰豆子ちゃんと兄弟なので、同じ血鬼術を使えます。
それにしても、やっぱり、戦闘シーンを書くのは難しいですね(ノ)・ω・(ヾ)

【大正コソコソ噂話】
その一
ヒノカミ神楽は、竈門家の嫡男へと代々受け継がせ厄払いの神楽とそれを舞う為の呼吸法でしたが、炭十郎は、炭治郎だけでなく、禰豆子にも教えています。
それは、禰豆子自身がヒノカミ神楽を舞ってみたいという想いと炭治郎が「禰豆子と一緒に舞いたい」と炭十郎にお願いしたからでした。

その二
神楽は、もともと神座に神々を降ろし、巫・巫女が人々の穢れを祓ったり、神懸かりして人々と交流するなど神人一体の宴の場であり、そこでの歌舞が神楽と呼ばれるようになったとされています。
なので、ヒノカミ神楽自体を禰豆子が舞っておかしくないかと思い、禰豆子ちゃんも舞える設定にしてみました。


R.3 3/29