「――――水の呼吸! ――――壱ノ型! ――――水面斬り!!」

目の前に迫りくる蜘蛛の糸を斬ろうと、禰豆子は日輪刀を振るった。

「…………えっ?」

その瞬間、禰豆子の耳に嫌な音が入ってきた。
それは、バキンという音だった。

(嘘……。刀が…………折れた!?)

それは、禰豆子の刀が根元近くからばっきりと折れる音だった。


~どんなにうちのめされても守るものがある~


(うっ、嘘でしょ……!?)

日輪刀が折れてしまったという事実が禰豆子には受け入れられなかった。
彼の操る糸は、さっき斬る事が出来なかったあの大男の鬼の身体よりも硬いという事が……。
そして、不意に水の呼吸を教えてくれた師匠である鱗滝と、この刀を打ってくれた刀鍛冶の鋼鐵塚の顔が思い浮かんだ。

(すみません、鱗滝さん、鋼鐵塚さん! ……私が未熟なせいで刀が折れてしまいました)

いや、今はそんな事を気にしている場合ではなかった。
すぐにでも別の方法を考えなければならない。
糸が斬れないのであれば、間合いの内側に入れば……。
けど、無理だった。彼の操る糸は、まるで生きているように動いている。
その攻撃からもまだ抜きられていないのだ。
今もそれを避けて逃げ回るだけで精一杯だった。
そもそも、彼はまだ禰豆子の事を本気で殺そうとはしていなかった。
さっきの言葉通り、禰豆子の事をただ傷付けて弄ぼうとしているだけなのだ。
それなのに、これほどまでに禰豆子は追い詰められていた。
彼の掌で踊らされているのだ。
そして、禰豆子の目の前に何本もの糸が格子のように広がった。

(! ダメだわっ! 避けきれないっ!!)

この糸の網に突っ込んでしまったら、ズタズタになってしまう。
さっきのあの隊士のように……。
そう諦めて禰豆子は、目を閉じた。
だが、おかしな事にいくら待っても禰豆子の身体に痛みは襲って来なかった。
代わりに感じたものは、血の匂いと何処か懐かしい優しい匂いだった。

「!!」

それに気付いた禰豆子は、すぐさま目を開けた。
目の前に広がっていたのは、赤みがかった黒髪の少年の姿。
彼が禰豆子の事を庇うように両手を広げ、全身で蜘蛛の糸を浴びていた。
蜘蛛の糸によって彼の身体が切り裂かれて、辺りに血が飛び散る。

「があっ!!」
「おっ、お兄ちゃんーーーっ!!?」

ちゃんとその人物の顔が見えなくても禰豆子には、それが誰だったのかわかった。
苦しそうな声、そして、何よりもこの匂いが炭治郎である事を証明していた。

「…………っ!!」

彼――炭治郎は、糸の攻撃に耐えながら、禰豆子の身体を優しく抱きしめると、すぐ後ろの木立の中へと飛び込んだ。

「禰豆子! ……ねず……こ。 ……大……丈夫……か? ……何処も……怪我……してないか?」

そう禰豆子に言いながら、炭治郎は禰豆子の事を木の根元を背にして座らせようとしていた。
そう禰豆子に必死に問いかけている炭治郎の方が血塗れで酷い傷を負っているというのに……。

「ごめんな……ごめんな、禰豆子! ……兄ちゃんが……駆け付けるのが……遅くなったばっかりに……怖い思い……させて……っ!」
「……本当に……お兄ちゃん……なの?」

本当は、わかっている。今、私の目の前にいる人物が誰なのか……。
顔や匂いでそれがわかっているというのに、突然の出逢いにそれが信じられず、思わずそう訊いてしまった。
そんな禰豆子の感情を読み取ったのか、炭治郎は思わず苦笑して頷いた。
それを見ただけで禰豆子の目から涙が溢れ出す。
嬉しい気持ち、哀しい気持ち、申し訳ない気持ちがその涙に全て籠められていた。

「お兄ちゃん……っ! お兄ちゃんっ! ごめんなさいっ! 私の事を庇って……ごめんなさいっ!!」

炭治郎は、もう鬼である。それは、匂いからもわかった。
だから、身体の傷もすぐに治るはずだ。
でも、今、目の前にいる炭治郎は、血塗れで、左手首も千切れそうだった。
以前、珠世さんは、こうも言っていた。
炭治郎は、人を喰わない代わりに眠る事で体力を回復させていると……。
そのせいかもしれないが、他の鬼よりも傷の治りは遅い時もあるという事、血を流し過ぎるとその身体を小さくして、眠ってしまう事があるという事を……。
だから、禰豆子は、今の炭治郎の状態を放っておけなかった。
炭治郎と自分の位置を入れ替えて炭治郎の左手を繋げるように優しく押さえた。
早く治って、早く治ってと、祈りながら……。
そんな事をやっても気休めにしかならないかもしれないが、禰豆子はそれをやらずにはいられなかった。
それに必死だった禰豆子は、だから気付かなかった。
二人の事を少年の鬼が目を見開いて呆然と見つめていた事に……。
まるで、信じられないものを見たようにブルブルと震える指で二人の事を指さして、そして、口を開いた。

「お前たち……兄妹か?」
「だっ……だったら……何だ?」

少年の鬼のその問いに炭治郎が途切れ途切れにそう返した。
苦しいはずなのに、少年の鬼から禰豆子の事を守ろうと必死に睨みつけながら……。

「兄妹……兄妹……。兄は、鬼になっているな……。なのに、今、一緒にいる……?」
「るっ、累……?」

だが、それに対して、少年の鬼――累は、攻撃をしてこなかった。
ただ、ブツブツと何か独り言を呟いている。
そんな累の様子を少女の鬼は、不安そうに声を掛けたが、それすら聞こえていない様子だった。

「兄は妹を庇った……身を挺して……」

そして、その声と表情は、徐々に感動したようなものへと変わっていく。

「……本物の〝絆〟だ!! 欲しい……!!」
「! ちょっ、ちょっと待って!!」

累のその言葉を聞いた途端、少女の鬼が慌てだす。
そして、累に縋りつくようにして叫んだ。

「待ってよ、お願い! 私が姉さんよ! 姉さんを捨てないでっ!!」
「うるさい、黙れっ!!」
「!!」

累は、振り向き様に糸を放った。
すると、少女の鬼の頸や辺りの木々があっという間に切り飛ばされた。

「……結局、お前たちは自分の役割もこなせなかった。いつも……どんな時も……」
「まっ、待って……。ちゃんと私は、姉さんだったでしょ? 挽回させてよ……」

地面に転がった少女の頸が涙を浮かべながら、そう累に訴えた。
そんな少女の鬼に累は、冷たい視線で見下した。

「…………だったら、今、山の中をチョロチョロする奴を殺して来い。そしたら、さっきの事も許してやる」
「わっ、わかった……。殺して来るわ……」

そう冷ややかに言った累の言葉に少女の鬼は、素直に応じた。
そして、少女の鬼の身体がフラフラと立ち上がると、自分の頸を拾い上げて森の奥へと消えていった。
累は、そんな彼女の事など見ずに禰豆子たちから――いや、炭治郎からずっと目を離さず見つめていた。

「…………坊や。話をしよう」
(はっ、話……?)

そして、そう言った累の言葉に禰豆子は、思わず顔を顰めた。
そんな禰豆子の様子などは一切気にする事なく、累は炭治郎を見つめて話し続ける。

「僕はね、感動したんだよ。君たちの〝絆〟を見て。……身体が震えた。この感動を表す言葉は、きっとこの世にないと思う。でも、君たちは、僕に殺されるしかない」
「…………」
「悲しいよね。そんな事になったら。……だけど、回避する方法が一つだけある」
「……その方法は?」

そう炭治郎が口を開くのを待っていたかのような笑みを浮かべて、累は右手を差し出した。

「君は、僕と一緒に来てよ。そしたら、命だけは助けてあげる」
「! なっ、何をいきなり言ってるの!?」
「うるさいなぁ。君の兄には、僕の兄になってもらう。今日から」
「!?」

その累の言葉に禰豆子は瞠目した。
彼が一体何を言っているのか、理解できなかった。

「そんな事、お兄ちゃんが承知するわけないでしょっ! それに、お兄ちゃんは、物なんかじゃないわっ!! ちゃんと、自分の想いも意思もあるんだから! あんたのお兄ちゃんなんかになるわけないじゃないっ!!」
「…………」

実際に炭治郎が禰豆子の事を庇ってくれたのが、何よりもその証拠だった。
炭治郎には、炭治郎の想いや意思がある。
ずっと、禰豆子の事を想って逢う事を避けていたのに、こうして助けに来てくれた優しい兄。
それを全部無視して自分の兄にしようだなんて、彼はどうかしている。
そもそも、炭治郎と禰豆子は、血の繋がった実の兄妹なのだ。
その事実だけは、絶対に変える事など、出来はしない。

「大丈夫だよ。心配はいらない。ちゃんと〝絆〟を繋ぐから」

そんな禰豆子に対して、累は淡々と言葉を紡ぐ。

「僕の方が強いんだ。恐怖の〝絆〟だよ。逆らうとどうなるか、ちゃんと教えるから」
「ふざけるのもいい加減にしなさいよっ!!」

空かさず禰豆子が、大声でそう言った。

「恐怖で雁字搦めに縛りつけるなんて、そんなものは家族の〝絆〟とは言わないわ! その根本的な考え方を正さないんだったら、あんたの欲しいものなんて、絶対に手に入らないんだからっ!!」
「……鬱陶しい。そもそも、君とは話してないんだから、そんなに大声出さないでくれる? 本当、君とは合わないね」
「…………お兄ちゃんは、まだ休んでいて」
「ねっ、禰豆子……」

そんな禰豆子の言葉を累は、そう言いながら顔を顰める。
禰豆子は、漸く傷が塞がってきた炭治郎から、離れると累へと向き合った。
傷が塞がってきた炭治郎だったが、まだ身体を上手く動かすことが出来ないのか、心配そうに禰豆子の事を見つめるしかできなかった。

「……お兄ちゃんをあんたなんかに渡さないわっ!!」
「いいよ、別に。君を殺してから、()るから」
「その前に私が先にあんたの頸を斬るっ!!」
「威勢がいいなぁ。……出来るなら、やってごらん」

禰豆子の言葉を聞いた累は、薄笑いを浮かべながら自分の顔にかかっていた前髪を掻き揚げた。
そこから隠れていた左眼が露わになる。
その瞳には、『下伍』という文字が刻まれていた。

「十二鬼月である僕に……勝てるならね」

そう言った累の笑みは、酷く不気味であった。









守るものシリーズの第34話でした!
遂に炭治郎くんと禰豆子ちゃんが再会しました!
ですが、再会早々原作同様、大変な状況になっています!!?( ゚Д゚)
でも、再会するとしたら、このタイミングしか思いつかなかった。。。

【大正コソコソ噂話】
原作と違って鬼になってしまっても炭治郎くんは、ちゃんと会話ができる為、累くんは炭治郎くんと直接交渉しようと話しかけています。
ですが、内容が内容だった為、口を挟まずにいられなかった禰豆子ちゃんでした。


R.3 3/2