(……ダメだ、勝てねぇ。……俺は、死ぬ)
一人で十二鬼月と思われる鬼と戦い続けていた伊之助はそう思った。
伊之助の戦いの中でその鬼は脱皮をし、巨大な身体を更に二回りもデカくなったのだ。
肩にも腕にも無数の鋭い棘が生え、顔中十数個の赤い目がギラギラと光っていた。
その怪物の姿を目で捉えた時、伊之助は生まれて初めて、恐ろしいと思った。
その恐ろしさから身体が動かなかった。
まるで、強大な肉食獣の前に放り出された小動物にでもなったような気分だった。
(殺される……)
――――死なないでくださいっ!!
伊之助が死を覚悟したその時、一つの声が頭に響くのだった。
~どんなにうちのめされても守るものがある~
それは、先程聞いた禰豆子の言葉だった。
その言葉が伊之助の事をハッと我に返した。
――――私が戻って来るまで死なないでくださいっ!!
――――……どのような時でも、誇り高く生きてくださいませ。ご武運を……。
――――じゃぁな、伊之助! また、会える日を楽しみにしてるからっ!!
それと同時にいくつもの声が蘇って来た。
傷付いた伊之助の事を優しく世話してくれた老女――ひさの声。
そして、優しい笑みを浮かべてくれた炭治郎の声が……。
それを思い出した途端、ホワホワした。
それと同時に心に火が点いた。
(……負けねぇ! 絶対に負けられねぇ!!)
ここで負けたら、もう会えない。
あいつらに会えなくなるのは、いやだ。
伊之助は、両手の日輪刀を握り直すと、父鬼を睨みつけた。
「俺は、鬼殺隊の! 嘴平伊之助だっ!! かかってきやがれっ! ゴミクソがあっ!!」
そう言って勢いをつけて伊之助は、父鬼へと突っ込んでいった。
だが、父鬼の腕の一振りで伊之助は、簡単に弾き飛ばされてしまった。
(速い! 見えねぇ!!)
それに、一撃が重い。脱皮したことによって、より大きくなった体格の重みもそこには乗っている為、伊之助の身体は近くの気に叩きつけられる。
そんな伊之助に対し、父鬼は更に襲い掛かってくる。
それをかろうじて伊之助は躱すと、渾身の力を込めて飛び上がる。
そして、上空から父鬼のうなじを狙った。
「――――獣の呼吸! 参ノ牙! ――――喰い裂き!!」
刀を交差させ、父鬼の頸の両側を挟み、外側へ向けて獣が噛みつくように振り下ろした。
その刃は、父鬼の頸筋を確かに捉えた。
だが、それは肉に食い込む出来ずに、二本とも折れ、吹き飛んでしまった。
(! 折れっ……!!)
刀が折れた事に動揺した瞬間、父鬼の右腕が伊之助を殴り飛ばしていた。
それは、呼吸で受け身を取る暇すらなく、また木に激しくぶつかってしまう。
何とか体勢を立て直そうとする伊之助だったが、それよりも速く父鬼が伊之助へと近づき、伊之助の首を掴んで吊り上げた。
「オ゛レの家族に゛近づくな゛アァア!!」
「……俺は、死なねえぇぇえ!!」
父鬼の叫びに負ける事なく、伊之助もそう叫んで力を振り絞った。
「――――獣の呼吸! 壱ノ牙! ――――穿ち抜き!!」
折れてしまった二本の刀を揃えて父鬼の喉元に突き刺した。
無事に刀は刺さったが、そこからピクリとも動かせなかった。
どう足掻いても伊之助の力だけでは、この鬼の頸は斬り落とす事は出来なかった。
(刃が動かねぇ! 畜生! 硬エェェ!!)
一瞬緩んでいた父鬼の手にまた力が籠められる。
――――……ごめんね。ごめんね、伊之助。
頸椎を父鬼に握り潰される直前のその瞬間、伊之助は走馬灯のように過去の光景が見えた。
女の人が俺の事を抱き上げて覗き込んでいる。
そして、彼女は泣いていた。
(……誰だ?)
その人物が思い出せなかった。そして、顔もよく見えなかった。
だけど、何でだ? 何でかホワホワする。
炭治郎、禰豆子、善逸。それから、藤の花の家紋の家の婆さんの顔は、はっきりと見えるのに……。
あいつらに出会うまで知らなかった不思議な気持ち。
その気持ちをこの女にも感じるのに、何でだ?
何で、あんたは、俺の事を崖の下に投げ落としたんだ?
そんな事、いくら考えてもわからなかった。
そして、徐々に意識が朦朧としていく。
もう、本当に死ぬんだと、そう思ったその時だった。
「ギャウ!!」
ドン、という衝撃が走ったかと思ったのと、父鬼の悲鳴が辺りに響いたのは……。
それによって、伊之助は地面に放り出されたが、何とか一命を取り留めた。
霞む視線で何が起こったのか、必死に確認しようとしたその時、誰かが立っているのが見えた。
(何だ……? 斬ったのか? アイツが……?)
それは、若い男だった。鬼殺隊の隊服を着ていて、左右で柄が異なる変わった羽織を着ていた。
父鬼は、斬られた腕を一瞬のうちに再生させると、物凄い速さでその男に突進していく。
だが、そんな父鬼の行動に男は、顔色一つ変えなかった。
「……水の呼吸・肆ノ型――――打ち潮!」
大きな波を打ち付けるかの如く、打たれたその一撃が父鬼を絡め取ったかと思うと、次の瞬間、その父鬼はバラバラになっていた。
あの巨大な身体が、あっという間に灰となって崩れていった。
(すげぇ……)
その光景を伊之助は、その場でへたり込んだまま見つめていた。
格が違う。一太刀の威力が違う。天地との差がある。
あの硬い化け物を豆腐みたいに斬っちまった。
(すげぇ、すげぇ、すげぇ!! なんだ、コイツ!! ワクワクが止まらねぇぞ、オイ!!)
興奮が抑えられない伊之助に対し、男はゆっくりと刀を鞘へと納めると振り返った。
整った顔立ちだが、その表情は無表情で長い黒髪を無造作に一つに纏めた男だった。
もし、この場に禰豆子がいたのなら、彼の名を呼んでいただろう。
彼は、禰豆子の事を鬼殺隊に導いた兄弟子であり、鬼殺隊で最もくらいの高い剣士の柱の一人でもある男――冨岡義勇だった。
だが、残念ながら、伊之助はそんな事は知らない。
ただ、やたら強い奴がやって来たとしか認識していなかった。
「俺と戦え半々羽織!!」
「…………」
なので、伊之助はふらふらとしながらも何とか立ち上がると、そう言って義勇に指を突き付けた。
そんな伊之助に対して、義勇は僅かに眉を顰めただけで何も言わなかった。
「あの十二鬼月にお前は勝った! そのお前に俺が勝つ! そういう計算だっ! そうすれば、一番強いのは、俺っていう寸法だっ!!」
「…………修行しなおせ、戯け者!!」
そうドヤ顔で言った伊之助の言葉に流石の義勇も呆れて溜息をついてそう言った。
「なにィィィ!!」
「今のは、十二鬼月でも何でもない。そんな事もわからないのか?」
「わっ、わかってるわ!! 十二鬼月とか言ってたのは、禰豆子だからな!! 俺は、それをそのまま言っただけだから――――!」
そう喚き散らした後で伊之助は、漸く気が付いた。
いつの間にか自分が縄で縛り上げられている事に……。
全然、見えなかった。速ぇ……速ぇ、コイツ!!
「って……オイ! 待て、コラ!!」
「……己の怪我の程度もわからない奴は、戦いに関わるな」
「聞こえねぇよ! 速ぇんだよ、歩くの!!」
そう言って喚き散らしながらバタつく伊之助の事など義勇は、振り返る事もせずにさっさと歩き出した。
そして、そう言い捨てた義勇の声は、残念ながら、伊之助の耳には届く事はなかった。
その為、そう叫ぶ伊之助の声だけが辺りに響く事になるのだった。
* * *
(…………それにしても、あの猪頭。……何か、妙な事を言っていたような……)
早々に伊之助の許を離れた義勇は歩きながら、そんな事を考えていた。
彼が何処かで聞いた事のあるような事を言っていたような気がする。
――――わっ、わかってるわ!! 十二鬼月とか言ってたのは、禰豆子だからな!!
「…………あっ」
思い出した。彼は、禰豆子の名前を口にしていたのだ。
数ヶ月前に師である鱗滝からも禰豆子が無事に最終戦別に生き残り、鬼殺隊に入隊できた事を手紙で報せてくれていた。
(……禰豆子もこの山に来ているのか?)
この山には、十二鬼月がいるかもしれないのだ。
その事を考えると、少しだけ禰豆子の事が心配になった。
だが、禰豆子は、先程の彼とは違って、無茶をするような性格ではないはず。
とある人物が絡まなければの話ではあるが――――。
「!!」
義勇がそんな事を考えていたその時だった。
辺りの木々が不自然に揺れ、風が吹く。
そして、その風と共に義勇の目の前に何かが降り立った。
(…………とっ、鳥?)
それは、鳥だった。だが、ただの鳥ではなかった。
その鳥は美しい炎を身に纏っていた。
その美しく、威厳のある火の鳥を見た義勇は、思わず息を呑んだ。
『…………お前が水柱の……冨岡義勇だな?』
「!?」
そんな義勇に対して、火の鳥はそう静かに問いかけた。
それを聞いた義勇は、瞠目した。
何故、この火の鳥は俺の名前を知っている? そして、何故、鳥が人の言葉を喋る?
そんな事が出来る鳥は、鎹鴉くらいしか義勇は知らなかった。
――――義勇さんの連れている鴉って本当に頭がいいですよねっ!
――――……そうか?
――――はい! だって、人の言葉を喋れる鳥なんてそうそういないですよっ!
その瞬間、義勇の脳裏には、在りし日の炭治郎との会話が頭に浮かんだ。
炭治郎と鎹鴉について話をしていたあの時の事を……。
そして、思い出す。鎹鴉の他にも人語が話せる鳥が存在している事を……。
そして、その鳥の名は――――。
「………………飛鳥?」
その名を義勇は、ポツリと呟いた。炭治郎から聞いていたその名を……。
炭治郎からは、名前しか聞いていなかった為、それがまさか火の鳥だったとは夢にも思わなかった。
だが、当の本人である火の鳥こと飛鳥は、そんな義勇の様子など特に気にしていない感じでただこちらを見つめていた。
義勇が名前を呼んだというのに、それすら知っていて当然だと言わんばかりの感じだった。
『冨岡義勇。お前に訊く。お前は……竈門炭治郎に……まだ、会いたいか?』
「!!」
突然、飛鳥から炭治郎の名前が出てきた為、義勇はさらに驚いた。
そして、ふとここに来る前に交わした産屋敷との会話を思い出した。
「…………炭治郎は……この山に…………いるのか?」
『あぁ、残念ながら…………ここにいる』
「……じゃぁ、炭治郎は……十二鬼月、なのか?」
『違う』
義勇は、最悪の事を想定した上でそう飛鳥に問いかけたが、それに対して飛鳥は、間髪を入れずに否定した。
『炭治郎は、十二鬼月などではない。お前たち同様、鬼を狩っている。炭治郎がここにやって来たのも、お前たち鬼殺隊が無能だからだ』
「! なら、炭治郎は――」
『残念ながら、炭治郎は鬼舞辻無惨によって、鬼にされてしまった』
「!!」
その飛鳥の言葉に義勇は、言葉を失った。
もうその事は、とっくの昔にわかりきっていた事だったというのに……。
だが、それと同時に疑問が湧いてくる。
あの噂の人物は、やはり炭治郎だったという事はわかったが、何故、鬼である炭治郎がそんな事をしている?
鬼である炭治郎が、同族である鬼を狩る必要が一体どこにあるのだろうか?
だが、そんな義勇の思考を遮るかのように飛鳥が更に言葉を続ける。
『炭治郎は、未だに奴に狙われ続けている。……今、ここにいる十二鬼月と遭遇してしまえば、炭治郎は確実に捕らえられ、奴の許に連れていかれるだろう。そんな事になってしまえば、もう二度と炭治郎の事を……助ける事が出来なくなる』
「! なっ、何だと……?」
『そして、炭治郎と遭遇できる機会もこれを逃せば、もう二度とやってこないだろう。……どうする? 冨岡義勇よ』
その飛鳥の鋭い眼差しが義勇に向けられる。
そして、義勇の答えを静かに待っている。
だが、そんなものは義勇には必要なかった。
初めから、義勇の答えは決まっていたのだから……。
「…………炭治郎は……何処にいる?」
答えは一つだ。炭治郎に逢いたい。
例え、炭治郎が鬼になってしまったとしても……。
あの可愛らしい顔が人の血で染まってしまっていたとしても……。
もう二度と逢えなくなるのは、嫌だった。
『…………こっちだ。時間がない。……急ぐぞ』
義勇の言葉を聞いた飛鳥は、その身を翻すと、とある方向を目指して飛び始めた。
それに義勇もついて走り出す。
(……炭治郎。……待っていてくれ)
今度こそ、お前の事を守ってみせる。今度こそ、間に合ってみせるっ!
そう思いながら、義勇は、ただひたすら森の中を飛鳥の姿を追って走り続けるのだった。
守るものシリーズの第33話でした!
今回は、伊之助と冨岡さんのお話となっています。
正直、伊之助の部分はここまで詳しく書くか悩みましたが、過去に炭治郎くんとちゃんと出会っているという事が描きたかったので、その為に長くなりましたww
冨岡さんが遂に飛鳥と邂逅しました!そして、冨岡さんは、今度こそ、炭治郎くんと危機に間に合うのか!?
【大正コソコソ噂話】
その一
飛鳥は、炭治郎くんと禰豆子ちゃん以外は、自分の背中に乗せて空を飛ぶ気はありません。
その為、冨岡さんは、炭治郎くんの許まで全速力で走る事になります。
その二
飛鳥は、炭治郎くんを助ける事を優先している為、冨岡さんに対しての説明が足りていません。
その為、鬼になってしまったと飛鳥から聞いた冨岡さんは、この時点ではまだ、炭治郎くんは人を喰って今まで生きてきたと思っています。
R.3 3/2