伊之助の助力を借りて、禰豆子は空中高く飛んだ。
そして、その先で見つけたのは、女の鬼だった。
先程、少年の鬼が言っていた「母さん」とは、きっとこの鬼の事だろう。
その鬼の姿を捉えた禰豆子は、壱ノ型を繰り出そうと日輪刀を構えた。
だが、その鬼の様子がおかしい事に途中で気が付く。
母鬼は、全く逃げようとしなかったのだ。
それどころか、斬られやすいように自ら頸を差し出しているように禰豆子には見えた。
両腕を開き、まるで手招きまでしているようだった。
全く、禰豆子に対して、殺気を感じなかった。
怒りや憎しみさえ、その母鬼から匂いも感じ取れなかった。
だから、禰豆子は咄嗟に繰り出す型を変更した。

「――――水の呼吸! 伍ノ型! ――――干天の慈雨」

斬られた者には、全く苦痛を感じない、相手が自ら頸を差し出した時のみに使う、慈悲の剣技へと……。


~どんなにうちのめされても守るものがある~


優しい雨に打たれるような、そんな感覚だった。
少しも痛くない。苦しくもない。ただただ暖かかった……。
こんなにも穏やかな死が来るなんて思ってもみなかった。

(……これで……解放される……)

これで漸く解放されるのだ。この山での生活から……。
冷たく、哀しく、ただただ辛かっただけの暮らしから漸く……。
ふと、母鬼は、視線を変えた。
そこにあったのは、鬼狩りの少女の哀しそうな瞳だった。
その透き通るような、優しい瞳は、自分が人間だった頃に、誰かに向けられていたような気がした。
あれは……一体、誰だっただろうか?
思い出せなかった。だけど、わかる。
いつも、私の事を大切にしてくれていた人だったって事は……。
その人は、今……何処でどうしているのかしら……?
また、会えたらいいなぁ……。
そんな事を考えていたら、自然と涙が溢れてきた。
この鬼狩りの少女には、感謝しなければいけない。
だからこそ、あの事を伝えなければ……。
そう思った母鬼は、最期の力を振り絞って唇を動かすのだった。





* * *





自分が斬った母鬼の頸が溶けるように消えながら宙を舞った。
そんな光景を禰豆子は、少し憐れみながら見つめていた。
鬼が泣いていたから……。
涙を溜めた瞳で感謝するかのように禰豆子の事を見つめて、母鬼は唇を動かした。

「…………十二鬼月がいるわ。気を付けて……!」
「えっ!?」

その言葉を最期に母鬼は、消えてしまった。
岩に座っていた身体の方も、白い着物一枚を残して崩れ去ってしまった。

(……十二鬼月!? この山に、十二鬼月がいる……?)

十二鬼月は、鬼舞辻無惨の血もかなり濃いと珠世さんから聞いていた。
もし、上手くその鬼から血を採取できれば、鬼を人間に戻せる薬を完成に近づけるかもしれない。
そうすれば、お兄ちゃんだってきっと……。

「! そうだわ! 伊之助さんっ!!」

うっかり考え込みそうになった禰豆子は、ハッと我に返った。
そして、慌てて駆け戻ると、伊之助が元の場所で仁王立ちをしていた。

「倒したかよ!!」
「はい。倒せました。伊之助さん……大丈夫ですか?」
「俺に対して、細やかな気遣いするんじゃねぇ!!」

そう心配する禰豆子に対して、何故だか伊之助は怒っているのか、威張っているのかよくわからない感じでそう胸を張りながら言うのだった。

「いいか? わかったか? お前に出来る事は、俺にも出来るんだからなっ! もう少したら、俺もお前みたいに蹴りうまく出来るようになるし! それからな……」
「…………」

だが、そんな事より、禰豆子は伊之助の身体の事が気になって仕方なかった。
さっきまでの戦いで、伊之助の身体のあちこちから血が流れているのだ。

(……やっぱり、酷い怪我だわ……。他の仲間も……助けてあげられなかった……)

あの母鬼の頸を斬り落とすまでに出会った先輩たちを禰豆子たちは助ける事が出来なかったのだ。
何とか操られている彼らの事を助けようと木の上に投げて、操り糸を絡ませて動きを止めてはみたが、みんな首の骨を折られて殺されてしまったのだった。
私がもっと強かったら、経験があったのなら、みんな助けられたかもしれない……。
それにあの母鬼……あの人からは、恐怖と苦痛の匂いがしたのだ。
自ら死を切望するほどの……。
この山は、一体どうなっているのだろうか?
十二鬼月がいて、鬼の一族が住んでいるこの山……。
でも、鬼は、本来は群れないはずなのだ。
それは、鬼たちが束になって無惨の事を襲ってこないようにする為にそう操作されているからだと、珠世さんは言っていた。
それに今までにも鬼が複数で襲ってきたことはあったが、それも無惨に命じられて、一時的に一緒に行動していただけだった。
だから、今置かれている状況がよくわからなかった。
そんな事を考えながら、禰豆子は怪我の手当てを嫌がって逃げまくる伊之助と共に更に山の奥へと歩き出すのだった。





* * *





(……これは……まずい事になったかもしれない……)

そんな禰豆子たちの様子をかなり遠くの方から見守っていた飛鳥は、そう思った。
まさか、こんなにも早く禰豆子の方が十二鬼月と出くわす事になるとは思ってもみなかった。
今の禰豆子の実力からして、十二鬼月と対峙するのは、あまりにも危険すぎる。
かと言って、私がまた助力するのもどうかと思う。
そして、何よりも私が今一番気にしている事は――――。

「……あれ? 飛鳥? 何でこんなところにいるんだ?」

そう。この那田蜘蛛山でまさかの炭治郎と出くわしてしまった事であった。

『おっ、お前こそ……何でこの山にいるんだ?』
「えっ? 俺は……最近、この山で人が続々消えてるって近くの町で噂を聞いたからだけど?」
『そっ、そうか……』
「……もしかして、ここに……禰豆子がいるのか?」
『! 何故そう思う!?』
「何故って……。俺が飛鳥にお願いしたんじゃないか? 禰豆子の傍についていて欲しいって……?」
『あっ、あぁ……。そう……だったなぁ……』

炭治郎の言葉に飛鳥は、そう言って頷いた。
すっかり忘れてしまっていた。そもそも私が何故、禰豆子の傍にいたのかという理由を……。
なら、これを利用して、炭治郎をここから遠ざける事が出来るかもしれない。
もし、ここで炭治郎が十二鬼月がいると知ってしまったらかと思うと……。

「? 飛鳥? ……どうかしたのか?」
『なっ、何でもないっ! そうだ! ここには、禰豆子がいる! だから、炭治郎は、早くここから離れろ』
「…………飛鳥。俺に他に隠してる事ないか?」
『何も隠してなどいない』
「じゃぁ、どうして、お前からそんなにも焦ったような匂いがするんだよ?」

そう言った飛鳥に対して、炭治郎は明らかに怪訝そうな表情を浮かべた。
それを見た飛鳥は、流石にマズいと思った。

『そっ、それは……! 禰豆子の他にも隊士がたくさんいるからであって……』
「えっ? そうなのか!?」

それを聞いた炭治郎は、辺りの匂いを確認し始める。

「…………確かに、たくさんの人の匂いがする。……それに血の匂いも……。やっぱり、禰豆子の事が心配だ。ちょっとだけでも――」
『駄目だぁっ!!』

妹の事を心配して、更に山の奥へと進もうとする炭治郎の事を必死で飛鳥は止めた。
行かせるわけにはいかない。ここで、炭治郎が行ってしまったら……。

『ねっ、禰豆子なら、大丈夫だ! 他にも隊士が大勢いるし、私も傍についているからっ!!』
「…………ねぇ、飛鳥。今、この山にいる鬼ってそんなに強いのか?」

そんな必死な飛鳥な様子を見た炭治郎は、そう静かに尋ねた。

「……この山からは、凄い刺激臭がするんだ。今までに嗅いだ事のないような。それに、そんなにも大勢の鬼殺隊がこの山に送り込まれているって事は、それだけ強い鬼がいるって事じゃないのか?」
『そっ、それは――』
「もしかして、ここにいる鬼って……十二鬼月なのか?」
『!?』

今までに鬼と対峙してきた経験や鬼殺隊の数から炭治郎は、そう結論付けた。
そして、それを聞いた飛鳥が言葉を失ってしまった事でそれは炭治郎の中で確信へと変わってしまった。
例え、ここで違うと肯定しても炭治郎には、匂いでウソがバレてしまうだろう。

「……やっぱり、そうなんだ。だったら……」
『! 駄目だっ! 炭治郎っ!!』

炭治郎が次に取る行動が手に取るように分かった飛鳥の方が行動が速かった。
その場から離れようとする炭治郎の両肩を己の鉤爪でしっかりと捕まえ、炭治郎をその場に押し倒して動けないようにした。
決して、炭治郎の身体を傷付けないように気を付けながら、力加減に気を付けながら押さえ込む。

「っ! あっ、飛鳥! 放せよっ!!」
『駄目だ! お前をこれ以上、先へは行かせないっ!!』
「けどっ!!」
『わかっているのかっ! 今、お前が動けば、その分、禰豆子の身に危険が及ぶという事がぁっ!!』
「!!」

必死にそれに抵抗する炭治郎だったが、飛鳥のその言葉を聞いた途端、その動きが止まる。
炭治郎自身、その事はわかっていたはずだ。
わかっていたから、今までずっと禰豆子とは、接触を避けていたのだ。
それに、飛鳥には、禰豆子よりもはやり炭治郎の方が大事なのだ。
炭治郎の事を犠牲にするくらいだったら、私は彼女の方を犠牲にする。

『禰豆子の事なら、私に任せろっ! だから、お前は耐えろっ! 長男のお前なら、出来るだろ?』
「! ……ズルいよ、飛鳥」

そう言った飛鳥の言葉に炭治郎は、悔しそうにそう呟いた。
そして、飛鳥に抵抗する力も弱くなる。
そんな炭治郎の様子に飛鳥は安堵して、力を緩めてしまった。
それを炭治郎が狙っていたとは知らずに……。
その一瞬の隙を突いて、炭治郎は一気に力を込めると飛鳥の拘束から逃れ、飛鳥から一気に距離を取って立ち上がった。
その思ってもみなかった炭治郎の行動に飛鳥は瞠目した。

『たっ、炭治郎!? お前、何を!?』
「……ごめん、飛鳥。俺、長男だから……我慢できないんだよ。禰豆子だけは……俺が絶対に守らないといけないんだよっ!!」
『たっ、炭治郎! ま――』

飛鳥に対して、本当に申し訳なさそうにそう言った炭治郎は、物凄い速さで山の中へと消えていった。
飛鳥の制止の声も一切聞かなかった。
この時になって飛鳥は、己が失言をしてしまった事に漸く気が付いた。
あの時に〝長男〟という言葉を口にしてはいけなかったのだ。
炭治郎は、禰豆子以外の家族を無惨によって殺されてしまったのだ。
だから、禰豆子が炭治郎にとって、唯一の家族なのだ。
他の家族を自分のせいで死なせてしまった炭治郎にとっては、彼女は己の命に代えてでも守りたい存在なのだ。

(マズい。このままだと……炭治郎はっ!!)

このままだと炭治郎は、間違いなく禰豆子と再会するだろう。
そして、最悪の場合、十二鬼月とも遭遇して、無惨の許に連れていかれるかもしれない。
それだけは、何としてでも避けなければならなかった。
だが、一体どうすれば……?

(! ……この気配は……!?)

その時、飛鳥はこの山から新たな人の気配を感じ取った。
その気配を飛鳥は知っていた。
彼には、直接会った事は、一度もなかったが、炭治郎の話や炭治郎から仄かに残った気配からその人物の事を認知していた。

(…………あの男に……頼るしかないのか?)

だが、彼がそれに素直に応じてくれる保証など何処にもなかった。
彼は、鬼狩りの剣士であり、柱なのだ。
鬼となってしまった炭治郎の事など、助けるはずなどない。
そして、何よりも炭治郎が今でも想っている人物の力など……。

(……だが、背に腹は代えられない)

このまま何もせず、炭治郎の事を失ってしまうより、まだマシなはずだ。
もし、ダメだった場合は、最終手段を使うまでだ。
そう思い直した飛鳥は、その人物の気配がする方向へと翼を羽搏かせた。
炭治郎の想い人であり、鬼殺隊水柱でもある冨岡義勇の許へと……。









守るものシリーズの第31話でした!
今回は、母鬼を倒した直後のお話となります。
ファンブック弐の内容を読んで禰豆子ちゃんがいい子過ぎて、泣きそうなりました。。
飛鳥は、炭治郎くんに対しての発言を間違えた結果、ああなってしまいました!!「長男」ワードの使い方は、難しいですね!!
そして、そろそろあの人の影がちらつきだします!!

【大正コソコソ噂話】
その一
炭治郎くんは、風風の噂那田蜘蛛山で大勢の人が失踪しているという事を耳にした為、那田蜘蛛山にやって来ました。
その為、那田蜘蛛山で飛鳥の姿を見かけたときは、本当に驚いています。

その二
飛鳥さんにとって、自分が縁壱の姿になって炭治郎くんの事を助けるのは、最終手段だと思っています。
それは、炭治郎くんには、あの姿をなるべく見られたくないと思っているからです。


R.3 2/8