「今までお世話になりました。ありがとうございます」

屋敷の門の前で禰豆子は、そう言いながら、老女に頭を下げた。
約一ヶ月近くの間、禰豆子たちはこの屋敷でお世話になっていた。
老女――ひさは、いつも穏やかで禰豆子たちに毎日美味しいご飯とお風呂を用意してくれた。
そして、綺麗な部屋や洗い立ての着物まで用意してくれていつもふかふかなお布団で寝られた。
それだけでも禰豆子たちにとっては、夢のようだったが、この空間に兄――炭治郎がいない事に少しだけ心が痛んでいた。
きっと、この場にお兄ちゃんがいたら、もっと楽しかったかもしれない……。
そんな賑やかで平和な日々を過ごし、ちょうど傷が癒えてきた頃に三人の許に鎹鴉から新たな指令を持ってやって来た。

「三人トモドモ! 一刻モハヤク那田蜘蛛山ヘムカウコト!!」

那田蜘蛛山。そこが禰豆子たちの新たな任務の場所だった。


~どんなにうちのめされても守るものがある~


「では、切り火を……」

そう言ってひさは、門前に並ぶ三人に対して、火打石を取り出して切り火を打ってくれた。
火打石からは、カッカッという音と共に火花が散った。

「ありがとうございますっ!!」
「何すんだ、ババア!!」

それに対して禰豆子はお礼を言ったのだが、切り火の意味を知らない伊之助は驚いたのか、ひさに掴みかかろうとした。
そんな伊之助の事を禰豆子と善逸は慌てて止めた。

「馬鹿じゃないの!? 切り火だよ!! お清めしてくれてんの!! 俺たちが危険な仕事に行くからっ!!」
「……どのような時でも、誇り高く生きてくださいませ。ご武運を……」

伊之助の行動に善逸は𠮟りつけるが、ひさは特に気にしていない様子でそう言って三人に対して頭を下げてくれた。

「? ……誇り高く? ご武運? どういう意味だ?」

だが、この言葉についても伊之助は、さっぱり理解できていない様子だった。

「うーん……そうですね……。改めて訊かれると説明はちょっと難しいかもしれませんね……」

その伊之助の疑問に何とか答えようと、禰豆子は目的地に急ぐ為、走りながら考えた。

「……誇り高く。……自分の立場をきちんと理解して、その立場である事が恥ずかしくないように、正しく振舞ってください、って事かな? 後、ご武運っていうのは、私たちが無事でいる事を祈っていう事ですよ」
「? 正しい振舞って、具体的にどうするんだ?」

禰豆子のその言葉に伊之助は、さらなる疑問をぶつけてきた。

「何で、ババアが俺たちの無事を祈るんだよ?」
「そっ、それは……」
「何も関係ないババアなのに何でだよ? ババアは、立場を理解してねぇだろ?」
「関係は、出来たと思いますよ?」

伊之助の言葉にそう禰豆子は言った。

「ひささんは、私たちの為に美味しいご飯を用意してくれた。傷も治してくれた。人ってね、こういった小さな事の積み重ねで少しずつ関係を築いていくものなんだよ」
「……よくわかんねぇ」
「…………」

そう呟くように言った伊之助の言葉に対して、禰豆子はもうそれ以上は何も言わなかった。
そして、次の新たな任務の場所である那田蜘蛛山を目指す事に専念して走り続けるのだった。





* * *





「…………待ってくれ! ちょっと、待ってくれないか!!」

もう少しで那田蜘蛛山と呼ばれる山の登山口に着くというところで、そう言っていきなり善逸は、膝を抱えてしゃがみ込んでしまった。
その様子を見た禰豆子は、不思議そうに首を傾げた。

「どうしたんですか、善逸さん?」
「怖いんだ!! 目的地が近づいてきて、とても怖いっ!!」
「……何座り込んでんだ、こいつ? 気持ち悪い奴だなぁ……」
「お前には言われたくねぇよ! この猪頭がっ!!」

そう言った伊之助に対して、猛抗議するかのように善逸は、腕をグルグルと降り、伊之助を指さした。

「気持ち悪くなんかないっ! 普通だっ!! 俺は普通で、お前が異常なんだよっ!!」

善逸は、ほぼ無理矢理訓練を受けて鬼殺隊に入った為か、禰豆子や伊之助に比べると、未だに覚悟が決まっていないようだった。
彼は、本当は強いはずなのだが、彼自身はそれをわかっていないのか、どうしても及び腰になってしまうようだった。
その事を一体どう言って励ましたらいいのか、禰豆子が悩んでいるその時だった。
突如、禰豆子の鼻が血の匂いを嗅ぎ取ったのだ。
その方向に禰豆子は振り返ると、道の先の方で若い男の人が倒れていた。
そして、その男の人は、禰豆子たちと同じ隊服を着ていた。

「たす……助けて……」
「! 隊服を着ているわ!! 鬼殺隊員だわ!!」

それを見た禰豆子と伊之助は、すぐさまその隊員に駆け寄った。

「大丈夫ですか! 何があったんですか!!」

そう禰豆子が隊員に問いかけたその時だった。
何やらキリキリと奇妙な音が聞こえたかと思うと、隊員は不自然に跳ね上がった。
そして、そのまま、グンッと一気に宙に浮いた。

「……!!」
「!?」
「あああああぁぁっ! 繋がっていた……俺にも!! 助けてくれぇぇっ!!」

そう隊員は、謎の言葉を残して、山の中へと吸い込まれていった。
後に残ったのは、静寂だけだった。
間違いなく、この山の中では、大変な事が起こっている事はわかった。
その恐ろしさがわかったのか、善逸も絶句している。
でも――――。

「…………私、行ってくる!」

行かなければ……。他の隊員を助けなければ……。
少し怖いけど、禰豆子は覚悟を決めた。

「俺が先に行く!!」

すると、そんな禰豆子に触発されたのか、そう伊之助が声を上げた。

「お前は、ガクガク震えながら、後ろをついて来な!! 腹が鳴るぜっ!!」

そして、そう叫びとそのままの勢いで伊之助は、山へと駆け込んでいった。

「……それを言うなら、『腕が鳴る』だろ;」

そんな伊之助に対して、善逸はそう呟いた。
彼は、まだ、腰を抜かしたままだった。

「……善逸さん。私も行っていきますね。善逸さんは、もし、動けるようになったら、来てください。無理強いは、しませんので……」
「! ねっ、禰豆子ちゃん! まっ、待ってーーーーっ!!」

そんな善逸に対して、禰豆子はそう声を掛けた後、伊之助の後を追いかけた。
善逸が自分の事を必死に呼び止める声が聞こえたのが、それは無視した。
ここで、逃げるわけには、いかないのだ。
こんなところで逃げていたら、お兄ちゃんには、いつまで経っても逢う事は出来ないと思ったから……。





* * *





「チッ! 蜘蛛の巣だらけじゃねぇか。邪魔くせぇ!!」
「うん。そうだね……」

そう言いながら、伊之助は刃毀れしている両手の日輪刀で辺りにある蜘蛛の巣を払い除けていく。
伊之助の言う通り、木々の間や藪の上、ありとあらゆるところに蜘蛛の巣があった。
この山の名前が那田蜘蛛山という由縁は、ここから来ているのだろうか?

「あの……伊之助さん」
「何だ!!」
「……さっきは、ありがとうございました。伊之助さんも一緒に来てくれるって言ってくれて、とても心強かったです!」

勢いよく禰豆子の方に振り返った伊之助に対して、そう禰豆子は笑ってお礼を言った。

「山の中から来た捩れたような……禍々しい匂いに、私は少し身体が竦んでました。ありがとうございますっ!!」
「っ!!」

そう笑顔で禰豆子にお礼を言われた伊之助は、ただただ困惑した。
そして、何かあたたかい、ホワホワしたものが胸の奥から湧き上がってくるのを感じた。
まただ。また、こんな感じになった。
それは、ここ暫く滞在していた藤の花の家紋の家の老女――ひさに話しかけられた時にも感じたものだった。

――――お召し物が随分と汚れてらっしゃいますね。洗ってお返しいたしますから、こちらを着てみてくださいませ。肌触りも気持ちがいいですよ。

わからない。このホワホワしたものが一体何なのか?
そして、何時からこんなものを感じるようになったのか……。

――――君って、本当に面白い奴だなぁ! あっ、そうだ! 俺、おにぎり持ってるけど……食べるか?

そうだ。あの時からだ。
あの鬼に出会った時に初めて感じたんだ。
あいつが、笑みを浮かべながら、俺におにぎりを差し出してくれた時から……。
あいつは、鬼だったはずなのに、めちゃくちゃ美味いおにぎりを俺にくれた。
俺の事も襲ってこなかった。
そうだ。だから、俺は、あいつにもう一度会いたいと……。
会ったら、このホワホワが何なのか、わかるような気がしたから……。
その事を今の禰豆子とのやり取りで伊之助は再認識させられた。

「! 伊之助さん、待ってください!」

その禰豆子の声に伊之助は、考える事を一旦やめて、禰豆子の視線の先を追った。
すると、森の中に誰かが座り込んでいるのが見えた。
その男も鬼殺隊の隊服を着ていた。

「応援に来ました。階級・癸の竈門禰豆子です」
「!!」

禰豆子がそっと男に近づき、そう後ろから声を掛けると、男はそれに驚いたのか肩をビクッとさせながら、こちらへと振り向いた。
その時、男の長めの前髪が揺れ、先程出会った男とは、別人である事がわかった。

「癸……癸……!?」

そして、禰豆子が言った階級に顔を引き攣らせた。
癸は、鬼殺隊では、一番下の階級であり、ほぼ新人の印とも言えた。

「何で柱じゃないんだ……! 癸なんて何人来ても同じだ! 意味がないっ!!」

男の言葉を聞いた途端、伊之助がいきなり、男の顔を殴ったので、禰豆子が慌てて止めに入る。

「ちょっと、伊之助さんっ!!」
「うるせぇ!!」

そんな禰豆子の制止など伊之助は聞かず、男の髪の毛をつかんで覗き込んだ。

「意味のあるなしで言ったら、お前の存在自体意味がねぇんだよ! さっさと、状況を説明しやがれ、弱味噌がっ!!」
「!!」
「ちょっと! 伊之助さんっ! 先輩に向かって、なんて口の訊き方するのよっ!!」
「があっ!!」

その伊之助の態度に堪らず、禰豆子は一発蹴りを喰らわした。
それを喰らった伊之助は、痛みから思わず膝をついた。

「すみません。同期の伊之助さんが失礼な事を言いました。……すみませんが、教えてもらえないでしょうか?」
「…………かっ、鴉から……!! 指令が入って、十人の隊員がここに来た」

気を取り直して、禰豆子がそう訊くと、男は悲鳴に近い様な声でそう言葉を続けた。

「山に入って暫くしたら、隊員が……隊員同士で斬り合いになって……!!」

そう男が言った途端、ハッと息を呑んだ。
藪の向こうから音がしたのだ。
そして、ゆらゆらと人影らしきものが動き出す。
それは、全部で四つあり、皆が鬼殺隊の隊服を着ていた。
手にも日輪刀が握られている。
だが、動きはあまりにもぎこちなかった。
中には、口から血を流している者や腕がおかしな方向に曲がっている者もいた。
そして、明らかに首が折れている者もいて、目は虚ろで光を宿していなかった。
彼らが死んでいるのか、気を失っているのか、禰豆子にはすぐには判別出来なかった。
それを判別するより早く、四人の隊員たちは、禰豆子たちに襲い掛かって来たから……。









守るものシリーズの第29話でした!
いよいよ那田蜘蛛山編に突入しましたっ!禰豆子ちゃんは、ちゃんと善逸くんにも気遣いが出来る優しい子です!
伊之助の初めてのほわほわした相手は、炭治郎くんだったらいいなぁ、と思いつつ、書いてました。

【大正コソコソ噂話】
その一
禰豆子ちゃんと出会った鬼殺隊の隊員の男の人(村田さん)の声が悲鳴に近い声になったのは、禰豆子ちゃんが伊之助に喰らわした蹴りを見たせいであったりもします。
容赦なく、伊之助に蹴りを入れる禰豆子ちゃんを見て、村田さんは若干引いてましたwww

その二
禰豆子ちゃんと善逸くんたちは別室ですが、二人は毎日のように禰豆子ちゃんの部屋に遊びに来てました。
※主に伊之助が、禰豆子ちゃんの部屋に突入して、「勝負しろっ!」と言っているのを善逸くんが止める流れですwww


R.3 1/13