「……結局、最後まで、顔を出しませんでしたね? 炭治郎さん?」

禰豆子の気配がこの屋敷から完全に無くなった事を確認してから、そう珠世は静かに呟いた。

「…………あんな風な言い方されたら、出たくても逆に出づらいじゃないですか? 珠世さん、わざとですよね?」
「あっ、バレてましたか」

その人物の言葉に珠世は楽しそうに笑ってそう言った。
それに対して、溜息をつきながら、その人物はやっと姿を現した。
髪と瞳が赤みがかった一人の少年の姿が……。


~どんなにうちのめされても守るものがある~


「それに、珠世さんが俺に行ったんじゃないですか? 禰豆子たちとの接触は、極力避けた方がいいって!」
「そうでしたね。少しからかいすぎました。ごめんなさい」

少年――炭治郎は、そう言って珠世に文句を言った。
この二年の間に炭治郎の髪は、腰あたりまで伸びており、それを鬱陶しそうに少し掻き上げた。
この屋敷に戻ってきた瞬間に妹の禰豆子がいる事に気づいた炭治郎は、普段から愛用している愈史郎のお札を使って己の存在を隠したのだ。
これを使えば、姿だけでなく、匂いも、気配も完全に隠す事が出来るからだ。
おかげで禰豆子の話を近くにいても気付かれる事なく聞く事が出来た。
でも、その分、胸が痛んだ。すぐにでも、術を解いて禰豆子の事を抱き締めたいと何度も思ったくらいだった。
そして、さっきの戦いの時もそうだった。
姿を隠しているせいで、すぐに加勢する事が出来なかった。
愈史郎が機転をきかせて、禰豆子と二手に分かれて戦ってくれなかったら、きっとそれは出来なかっただろう。
これは、俺が長男じゃなかったら、きっと、我慢できなかっただろう。
そんな炭治郎の気持ちを察したのか、珠世はそう申し訳なさそうに謝った。
なので、その事はもういい。それよりも……。

「……それよりも、愈史郎さん。さっきの言葉は……どういう意味ですか?」
「! なっ、何の事だ?」

そして、気を取り直した炭治郎は、少し息を吐いた後、そう言って愈史郎に微笑みかけた。
炭治郎は笑っていたが、それを見た愈史郎は、思わず顔を痙攣らせた。
嫌でもわかる。炭治郎は笑っているが、怒っているのだと……。
そして、その理由が何なのかも……。

「惚けないでくださいよ。禰豆子に“醜女”って言ったんですよね? 何でですか?」
「たっ、確かに言ったが、ちゃんと訂正してやったからそれでいいだろうが!」

やはり、先程の禰豆子との会話から、自分が禰豆子の事を“醜女”と言った事がバレてしまったようだ。
なので、愈史郎は、そう言って何とか誤魔化そうとした。
だが、それを炭治郎が許すはずもなかった。

「いえ! よくありませんっ!! 俺、ずっと、言ってましたよね! 禰豆子は、町でも評判な美人だって! 実際に見たらそうでしたよね? 何でですか!?」
「っ! そっ、それは……」

その炭治郎の凄い剣幕に愈史郎は、口籠った。
炭治郎に言えるはずなどなかった。彼女に対して、嫉妬してしまったから、あんな事を言ってしまったなんて……。
炭治郎は、暇さえあれば愈史郎によく家族の話をしてくれて、禰豆子の事も、もちろん聞いていた。
「禰豆子は、本当に可愛いんです♪」と嬉しそうに話す炭治郎の事をずっと見てきた。
愈史郎からしてみれば、そんな炭治郎の方が可愛く、実物の禰豆子をじっくり見てもそう思った。
だが、そんな事を当の本人である炭治郎になど、口が裂けても言えるはずなどない。

「…………もういいです! 愈史郎さんとは、暫く口を利きませんからっ!」
「なっ! 何故、そうなるんだ!? 炭治郎!? 俺が、悪かった!!」
「あっ、そう言えば、珠世さん。何で、あんな事、禰豆子に頼んだんですか?」
「炭治郎ーー!!」

だが、そんな愈史郎の気持ちなど、炭治郎が知るはずもない。
自分の大切な妹の悪口を言われた事に純粋に愈史郎に対して怒った。
理由次第では、許そうかとも思ったけど、それすら話してもらえないなら、仕方がない。
諦めた炭治郎は、そう言って愈史郎から視線をプイっと外した。
そんな炭治郎の行為に愈史郎は、心底焦ったが、もう遅かった。
炭治郎は、愈史郎の事は一切無視して、珠世と会話をしようとした。

「あっ、飛鳥! お前からも何とか言ってくれっ! お前だって、禰豆子の事は、そうでもないとか、言ってただろっ!」
『! お前! 私に変な矛先を向けるなっ!!』
「えっ? 飛鳥もそんな事、言ってたの?」
『!!』

そんな自分の状況を少しでもよくしようと愈史郎は、その矛先を飛鳥に向けようと、そう話を振った。
愈史郎のその行為に今度は、飛鳥が焦り出す。
そんな飛鳥の様子に炭治郎は、笑みを浮かべてそう問いかけた。
だが、先程と同じように目は笑っていなかった。

「どうなの? 飛鳥?」
『……炭治郎。私が本当にそんな事、言うと思うのか? お前が命より大切に思っている家族の悪口など言うはずないだろ? 炭治郎にそんな風に疑われるとは……』
「ごっ、ごめん! そうだよな! 飛鳥が、そんな事、言うはずないよな! ごめんな!!」

だが、幼い頃から炭治郎と過ごしてきた飛鳥は、炭治郎の扱いに慣れていた。
炭治郎は、素直でいい子なので、匂いを嗅ぎ取られるより先にこちらが哀しめば、こうやって謝ってくれるのだ。
本当に炭治郎は、いい子である。

『いや……。わかってもらえたら、それでいい。愈史郎も、禰豆子に嫉妬してあんな事を言っただけ、本心で言ったわけではないだろう』
「! おっ、お前! 何、余計な事を!!?」
『何か言えと言ったのは、お前の方だろうが?』
「!!」

そして、さらりと飛鳥に自分の気持ちを暴露された愈史郎は、恥ずかしさからか赤面した。
そんな愈史郎に対して、炭治郎はキョトンとした。

「えっ? そうだったんですか?」
『そうだぞ。炭治郎があまりにも禰豆子の事が可愛いと言うから、ヤキモチを焼いたのだろう。だから、許してやれ』
「なんだ、そうだったんですね。大丈夫ですよ、愈史郎さん。俺、愈史郎さんの事も大好きですからっ!!」
「っ!! べっ、べつに、俺は……っ!!」

そう炭治郎に笑って言われたら、もう愈史郎はそれ以上何も言えなくなってしまった。
炭治郎のその笑みは、反則である。
そして、そんな炭治郎たちのやり取りをずっと見ていた珠世は、優しく微笑んだ。

「本当……三人が仲良くなってくれて、嬉しいです」
「珠世様、これが仲良しに見えますか? 少なくとも、俺は、こいつが嫌いです……」
「あっ! 珠世さん! だから、どうしてあんな事を禰豆子にお願いしたんですか! あんな、危険な事……」

そして、珠世の声を聞いて炭治郎は、思い出したかのように、そう彼女に尋ねた。
ただでさえ、鬼狩りの仕事は危険と隣り合わせなのだ。
いつ命を落としてしまってもおかしくはない。
それなのに、禰豆子に鬼の血を採ってくる事をお願いするだなんて……。

「薬を作る為には、より強い鬼の血を調べる必要があります。ですが、私たちだけでは、それは出来ない。その為には、鬼狩りの協力は不可欠なのです」
「でっ、ですが、鬼狩りなら、他にだって――」
「鬼に協力的な鬼狩りなど、ほぼいないに等しいのですよ、炭治郎さん」
「!!」

確かに、彼女の言う通りだ。鬼狩りにとって鬼は、討伐対象でしかない。
それは、他でもない、冨岡の仕事をずっと傍で見ていた炭治郎だからわかる事でもあった。
そして、炭治郎自身も協力者を得られないか、数人の鬼狩りと接触したが、ダメだった。
鬼の話など、鬼狩りが聞いてくれるはずなどない。ましてや、協力など……。
もしかしたら、あの人だったら、協力してくれたかもしれない。
でも、それはダメだ。あの人に、これ以上、迷惑はかけられない。

(あっ、でも……一人だけ、協力してくれそうな人、見つけたんだけどなぁ……)

ここに来る前に最後に出会った鬼狩りの事を炭治郎は少しだけ思い出した。
彼なら、ちゃんと話せば、協力してくれそうな気がしたのに……。

「だからって……それを禰豆子にお願いしなくても……」
「ですが、そうでもしなければ、炭治郎さんはいつ迄経っても無茶をしますよね?」
「えっ……?」
「炭治郎さん、私たちがいくらお願いしても、ちゃんと休んではくれないでしょ? だから、少しやり方を変えさせてもらいました。禰豆子さんがいたら、無茶はできないですよね? 彼女の事を泣かせたくないのなら……」
「…………珠世さんは、ズルイですね」

本当に、それは、ズルイと思った。
さっきの禰豆子の泣き顔を思い出しただけでも、この胸は痛むのだ。
俺のせいで禰豆子に泣いて欲しくはない。
そして、多少の無茶をしてでも強い鬼を狩りに行く事も躊躇ってしまう。
例え、それが、彼女が仕組んだ作戦であったとして、やっぱり禰豆子に泣かれるのは、嫌だ。
だから、今回ばかりは、こちらが折れるしかない。
もっと、早く、協力者を見つけていればよかったと、少しばかり後悔した。

「わかりました。出来るだけ無茶はしないように、これからは気をつけます」
「……炭治郎さん。……そこは、出来れば、言い切って欲しかったのですが……」
「すみません、それだけは出来ませんっ! 困っている人がいたら、身体が勝手に動いてしまうのでっ!!」
「…………わかりました。あまり、無茶はしないでくだいね。これは、禰豆子さんからのお願いでもありますから」
「はいっ!!」

そう笑顔で言った炭治郎に対して、珠世はもう苦笑するしかなかったのだった。





* * *





「…………なぁ、飛鳥」
『嫌だ』

炭治郎が、そう口を開いた途端、飛鳥は即答した。
それを聞いた炭治郎は、怪訝そうに眉を顰めた。

「俺……まだ、何も言ってないんだけど……?」
『炭治郎が私に頼む事など、聞かなくてもわかる』
「だったら――」
『私は、子守をする趣味などはない』

そう飛鳥は、はっきりと言い切った。

『それに、そんなに彼女の事が心配なら、自分で直接会いに行けば、いいだけの事だろう?』
「……それ、俺が出来ないって事、わかって言ってるよね?」
『…………』

そうだ。わかっていて、敢えて言っている。
本当は、炭治郎は彼女に逢いたくて仕方ないことくらい……。
炭治郎が目を覚ました時もそうだった。
彼女の安否を確かめようと飛鳥たちの静止を振り切って飛び出してしまった事があるくらいだ。
だが、現実には、炭治郎が彼女に会う事は叶わなかった。
その前に炭治郎は、知ってしまったからだ。己がまだ、無惨に狙われている事に……。
だから、この日を境に炭治郎は、自ら逢いに行く事を諦めたのだ。
今、自分が彼女に逢いに行ったら、彼女の身に危険が及ぶかも知らないと考えて……。
実際に今回の件でそれを改めて実感しているのだ。
無惨は、彼女を使って炭治郎の事を誘き出そうとしているのだと……。
だから、どんなに逢いたいと思っても、炭治郎は自分からは決して彼女に逢いには行かない。
それが、彼女の事を守る一番の方法だと信じているから……。
そんな炭治郎の気持ちが痛い程、伝わってくる為、飛鳥は溜息をついた。

『…………わかった。暫くの間は、私が禰豆子の傍についていよう』
「! ほっ、本当にいいのか! 飛鳥!!」

そして、飛鳥がそう言った途端、炭治郎の表情がパッと輝いた。
炭治郎のこんな表情を見てしまった以上、もう後に引く事は出来なくなってしまっていた。

『ただし、条件がある。私がいない間は、絶対に無茶をしない事。あと、もしもの時は、すぐに私に助けを求める事。これが、出来ないと言うのなら、今の話はなしだ。いいか?』
「うんうん! わかったよ、飛鳥! だから……お願いしだよっ!!」
『…………わかった。だが、約束を破った時は、それなりの事をしてもらうぞ』
「? それなりの……事?」

炭治郎は、飛鳥の言葉の意味がよくわからなかったのか。不思議そうに首を傾げた。
その仕草が、飛鳥にとっては、また愛おしいくて仕方なかった。
なので、ちょっとだけわざと近づいて、耳元で囁いた。

『それなりの事は、それなりの事だ。楽しみにしてるぞ、炭治郎♪』
「っ!!」

その瞬間、炭治郎の耳がバッと真っ赤になった。
その反応も初々しく、可愛らしい。それが見れただけでも、飛鳥は満足だったが、約束を破ったときには、炭治郎におにぎりを沢山握ってもらおう。
相変わらず、炭治郎が握るおにぎりは、美味しくて仕方ないから……。
そう思いながら、飛鳥は、翼を羽ばたかせて飛び立った。
目指すは、彼女の許。炭治郎の妹――竈門禰豆子の許だ。
そして、次いでに彼女の覚悟を見極めよう。
彼女は、どれだけの覚悟を持っているのかを……。
それ次第では、鬼狩りをやめさせなければ……。
そう秘かに思いつつ、飛鳥は禰豆子の許へと向かうのだった。









守るものシリーズの第26話でした!
今回で漸く浅草編を完結出来ましたっ!次回からは、善逸くんたちも登場しますっ!!

【大正コソコソ噂話】
その一
愈史郎くんが何故あんなにも焦っていたかというと、以前にも同じような事をやらかしてしまい、その際炭治郎くんから約一週間ほど口をきいてもらえないという事があった為です。 そのトラウマにより、めっちゃ必死になってます。

その二
珠世さんは、炭治郎くん・愈史郎くん・飛鳥のやりとりを微笑ましく見てました。
愈史郎くんが炭治郎くんたち(飛鳥については?ですが)と仲良くなってもらえたことが本当に嬉しいようです。

その三
《愈史郎くん的高感度》
珠世さん:いつ見ても美しい。そして、今日も美しい!!
炭治郎くん:妹より可愛いし、好き
禰豆子ちゃん:実際は醜女ではなかったし、珠世様について協力してくれると言ってもらえて嬉しい。
       けど、炭治郎の方が可愛いし、おかげで炭治郎に嫌われそうになったので微妙
飛鳥:炭治郎に余計な事を言う嫌な奴


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