(…………あれ? 何だろう……?)

いくつもの角を曲がり、何処をどう歩いたかわからなくなったところで禰豆子の前に現れたのは、大きな木造の西洋風の屋敷だった。
その玄関の扉の上には、奇妙な目の模様が描かれたお札が貼られていた。
どうやら、このお札が先程、青年が言っていた目くらましの術と関係しているようだ。

「戻りました」

そう言って青年が扉を開けて中へと入っていくのに禰豆子も続いた。
その瞬間、禰豆子は何とも言えない不思議な感覚に陥った。
広い板間の壁には、人体解剖図が貼られており、戸棚には薬品や骨格標本なども並んでいた。
その光景を見る限り、間違いなくここは、病院のようだった。
ここには初めて訪れたはずなのに、禰豆子は何故かこんな感じがしなかった。
この屋敷には、何処か懐かしい匂いが漂っていたのだ。
一体、この匂いは……?

「おかえりなさい」

だが、そんな禰豆子の思考を遮るかのように一つの声が辺りに響いた。
その声が聞こえた方に禰豆子は視線を向けると、奥のベッドの脇にさっきの婦人が立っていた。
そして、彼女は、着物の上から白い割烹着を着ていたのだった。


~どんなにうちのめされても守るものがある~


「あっ…………」

その彼女の姿を見て、禰豆子は思わず声が漏れてしまった。
その姿が遠い日の母の姿によく似ていて、彼女と重なって見えてしまったからだった。

「あの……どうかしましたか?」
「あっ……いえ! 何でもないです!」

そんな禰豆子に対して、彼女が不思議そうに声をかけてきた為、禰豆子は慌てて首を振ってそう応えた。
そして、その時に彼女のすぐ近くにあるベッドに、無惨によって鬼にされてしまった男性の奥さんが眠っていることに禰豆子は気付いた。

「……さっきは、お任せしてしまい、すみませんでした。あの……その人は、大丈夫ですか?」
「この方は、大丈夫ですよ。傷は浅いです。ご主人は……気の毒ですが、拘束して地下牢に」

禰豆子の質問に対して彼女は、頷いてそう言った。
その言葉に禰豆子は、何気ない疑問を抱いてしまった。
眠っている奥さんの着物には、少しだけ血が染み付いていた。
この人は、鬼なのに辛くはないのだろうか?

「あの……人の怪我を手当てをして……辛くはなかったのですか? ……いた!」

その疑問を素直にそのまま口にしてしまった途端、禰豆子はいきなり隣にいた青年に胸元辺りをど突かれたので、思わず声を上げてしまった。

「鬼の俺たちが血肉の匂いに涎を垂らして耐えながら、人間の治療をしているとでも?」
「よしなさい。何故、暴力を振るうの」

彼女はそう言って立ち上がると青年のその行為を咎めた。
青年は、そのれに対しては素直に引き下がったのだが、それでもまだ、禰豆子のことを睨みつけている。

「まだ、名乗っていませんでしたね。私は、珠世と申します。この子は、愈史郎。仲良くしてやってくださいね」
(そっ、それは……ちょっと……無理そうな気が……)

彼女――珠世の言葉を受けて、禰豆子は青年――愈史郎の顔をチラッと見たが、こちらの事を物凄い顔でまだ睨んでいるのを見て、そう思った。
それにしても、何故、彼はこんなにも私に対して敵視を向けているのだろうか?
やっぱり、私が、鬼殺の剣士だからだろうか?

「辛くはないですよ。普通の鬼よりかなり楽かと思います。私は……私の身体を随分弄っていますから。鬼舞辻の呪いも外れています」

鬼舞辻の呪いとは、一体何の事だろうか?
それに――――。

「かっ、身体を……弄った、というのは?」
「人を喰らう事なく暮らしていけるようにしました。人の血を少量飲むだけで事足りる」
「人の血を? それは……」

珠世に促されながら、禰豆子は部屋の奥の方へと進んでいくと、そこは和室になっていた。
そして、禰豆子との会話を続けながら、珠世はそこに座るように促す動作をした。

「不快に思われるかもしれませんが、金銭に余裕の無い方から輸血を称して血を貰っています。勿論、彼らの身体に支障が出ない量です」

その珠世の言葉を聞いて禰豆子は、漸く納得する事ができた。
何故、彼女たちから鬼特有の異臭を感じなかったのかを……。
珠世たちは、決して人を喰っていないからだ。
それでも、やっぱり、鬼として生きていく為には、人の血が必要なんだという事に禰豆子は、考えさせられた。

(もし、お兄ちゃんにも同じような事が出来たら、どんなにいいだろうか……)


「愈史郎は、もっと少量の血で足ります。この子は、私が鬼にしました」
「えっ!? あなたがですか!? でっ、でも……えっ?」

珠世の言葉に禰豆子は、驚きの声を上げたと同時に困惑した。
その様子に珠世も気づいたのだろうか、彼女は頷くとさらに言葉を続けた。

「そうですね。鬼舞辻以外は、鬼を増やす事はできないとされている。それは概ね、正しいです。二百年以上かかって、鬼にできたのは、愈史郎ただ一人ですから」
「にっ、二百年!?」

それを聞いた禰豆子は、驚きのあまりに声が裏返ってしまった。
彼女は、一体何歳なんだろうか?という疑問が頭に浮かんだが、それについて禰豆子は口にはしなかった。
彼女たちは、鬼なのだから、人より長命であってもおかしくはない。
そして、何よりも、女性に年齢を訊く事自体、失礼だからだ。

「……一つ……誤解しないで欲しいのですが、私は鬼を増やそうとはしません」

そう静かに言った珠世の言葉が禰豆子には、何処か哀しげに聞こえた。

「不治の病や怪我などを負って、余命も幾ばくもない、そんな人にしかその処置はしません。その時は、必ず本人に鬼になっても生き永らえたいかと訊ねてからしています」
「…………」

禰豆子は、咄嗟に鼻を効かせた。
そこから嗅ぎ取った珠世の匂いは、嘘偽りのない、清らかなものだった。
その為、禰豆子は確信できた。
この人は、信用しても大丈夫だという事を……。
鬼でもあり、医者でもあり、尚かつ、己の身体の仕組みさえ変える事ができた彼女なら……。

「…………珠世さん。鬼になってしまった人を……人に戻す方法は、ありますか?」

禰豆子は、これまで自分や自分の家族の身に起こった事を全て話す覚悟を決め、そう珠代に対して話を切り出すのだった。





* * *





「…………見えるかぇ?」

その頃、そう問いかけながら、少女の鬼――朱紗丸は、鞠をつきながら歩いていた。
朱紗丸が鞠をつく度に辺りには、チリン、チリンと鈴の音が鳴り響いた。
その鈴の音など特に気にする事もなく、隣にいる首から数珠を下げた青年の鬼――矢琶羽は、地面に這いつくばっていた。
矢琶羽のその両手には、目があり、瞳には矢印が刻まれていた。
矢琶羽の目は、失明していてものを見る事は、もうできないのだが、この手がその代わりをしているのだ。
今、こうやって地面に這いつくばっているものその為だ。

「……見える。見えるぞ、足跡が……。これじゃ。これじゃ」

すると、矢琶羽の両手の目には、ポッポっと地面に矢印が現れるのが視えた。
矢琶羽は、こうやって人の動きを矢印にして視る事ができるのだ。

「あちらをぐるりと大回りして二人になっておる」
「そうかぇ、そうかぇ! ……それにしても、どうやって鬼狩りを捕まえるかのぅ? 今しがた、あの御方に血を分けて戴いたから、力は漲っておるのじゃが……」
「あの御方は、生かして連れてこいと言っておった。だから、それを守れば何も問題ないだろう」

そう。相手の鬼狩りさえ、ちゃんと生かしてあの御方の許に連れて行けば、何も問題ないのだ。
ちゃんと息さえしていれば、それで……。
朱紗丸の言葉にそう言った矢琶羽は、ゆっくりと立ち上がった。

「だから、俺たちに逆らえなくなるくらい、たっぷり痛めつけてやればいいだろう」
「キャハハハ! それは、楽しみじゃ! どうやって、遊んでやろうかのぅ!!」

矢琶羽の言葉を聞いた朱紗丸はそう言いながら、まるで子供のように笑うのだった。









守るものシリーズの第20話でした!
今回は、禰豆子ちゃんと珠代さん達の会話がメインになります。
禰豆子ちゃんは、自分が女の子なので、珠世さんに歳を聞くようなことはしませんでしたwww
それにしても、禰豆子ちゃんが感じた匂いの正体は?

【大正コソコソ噂話】
珠世さんは、ここで禰豆子ちゃんと話をするまで禰豆子ちゃんが炭治郎くんの妹だという事には気づいていません。
※まだ、この時点で禰豆子ちゃんは、珠世さんに名前を名乗っていなかった為
その為、禰豆子ちゃんから過去の話を聞かされた時は、内心驚いているのでした。

(こっ、この子が、炭治郎さんが言っていた禰豆子さんだったなんて)
「あっ、あの? 珠世さん? 大丈夫ですか?」
「だっ、大丈夫ですよ。話を続けてください」
「はっ、はい……?」


R.3 1/13