(うう……。目眩がする……)

翌々日に浅草へと辿り着いた禰豆子は、非常に戸惑っていた。
もう夜だというのに外はとても明るく、道路も広かった。
そこを行き交う人々もとても着飾っている。
こんな光景は、禰豆子が暮らしていた山や近くの街では決してあり得ないものだった。
そして、建ち並ぶ建物は、どれもレンガ造りでとても高かった。
都会の方はこんなにも発展している事に禰豆子は、驚くしかなかった。
そして、人の多さと様々な匂いのせいか頭がクラクラしてきた。
軽く人混みに酔ってしまったのだろうと思った禰豆子は、一度任務の事を忘れ、人気の少ない路地の方へと避難する。
すると、そこから美味しそうな出汁の香りが漂ってきた。
その匂いに誘われるように禰豆子は足を進めると、そこには一つの屋台があった。
その屋台は、どうやらうどん屋のようで、屋台にははっきりとうどんの文字が書かれていた。

「……すっ、すみません。……山かけうどんを一つください」
「あいよ。……お嬢ちゃん、大丈夫かい?」
「あっ、はい。……なんとか」

そのゲッソリとした禰豆子の様子を見た人の良さそうなうどん屋の亭主は、そう禰豆子に声をかけてくれた。
それに対して禰豆子はなんとかそう答えると、近くに設置されていた長椅子に座って山かけうどんが出来上がるまで大人しくそこで待つ事にした。
そして、店主が出してくれたお茶を飲んで心を落ち着かせようとしたその時だった。

(! この……匂いはっ!!?)

お茶の香りに混じって禰豆子の鼻が感じたのは、微かな腐臭の匂いだった。
そして、その匂いは、一度嗅いだ事のある匂いだった。
家に残っていたあいつの、鬼舞辻無惨の匂いだ。
それに気づいた禰豆子は、疲れなど忘れてその匂いがする方向へと一目散に走り出した。
先ほどまであんなにも酔っていた人混みを禰豆子は、勢いよくかき分けて進んでいった。
そして、進むにつれてその匂いも濃くなり、ついにはその匂いを放つ人物の背後にまで禰豆子は辿り着いた。
禰豆子は、その勢いのままその人物の肩を掴んだ。
禰豆子に肩を掴まれた男――無惨がゆっくりとこちらへと振り向く。
赤い目はまるで猫のような縦長のスリット状の動向をしていた。
その瞳がとても不快そうに禰豆子の事を見つめ返して来る。
間違いない。この男が――――。

「あ――」
「……おとうさん」

禰豆子が男に声をかけようとしたその時、突如禰豆子の耳に幼い子供の声が届いた。

「だぁれ?」
「!!」

その声が男――無惨の腕の中にいる女の子だった事に禰豆子は、激しい衝撃を受けるのだった。


~どんなにうちのめされても守るものがある~


(どっ、どういう、ことなの……?)

禰豆子は、今、自分の目の前に広がっている光景が理解出来なかった。
この男が、鬼舞辻無惨が人間のフリをして暮らしていると言う事が……。

「私に何かご用ですか? 随分、慌てていらっしゃるようですが……」

そんな禰豆子に対して、無惨は静かな声でそう穏やかに微笑んで言った。
それを見聞きした禰豆子は、寒気がし、鳥肌が立った。

「あら? どうしたの?」
「あっ、おかあさん!」
「!!」

無惨の腕の中にいる女の子がそう言って近くにいる女性にそう声をかけた。
その匂いから禰豆子にはわかった。
この女の子と女の人は、人間だと言う事が……。

(二人は、知らないの? それとも、わからないの?)

こいつが、無惨が、鬼だって、人を喰らっているって事を……。
そんな事を考えるだけで禰豆子は、その事実が恐ろしくて仕方なかった。

「あなた、その子は……お知り合い?」
「いいや。困った事に少しも……知らない子ですね」

妻だと思われる女性の言葉にそう無惨は、首を振って答えた。
その声が、その言葉が、禰豆子の心を酷くざわつかせる。

「人違いでは……ないでしょうか?」
「まぁ、そうなの?」
「…………」

無惨と女性の言葉に対して禰豆子は、何も言葉を発する事が出来なかった。

(人違い? そんなはず……あるわけないじゃないっ!!)

禰豆子は、無惨がどんな姿をしているのかは、今まで知らなかった。
知っていたのは、家に残っていた匂いだけだ。
その匂いを発しているこの男が鬼舞辻無惨で間違いないのだ。
だが、それについて禰豆子が口を開く事は出来なかった。
無惨が背後にいた男性に手が伸びたのが見えたから……。
その動作は、あまりにも速すぎて何をしたのか一瞬よくわからなかったが、それを理解した瞬間、禰豆子は言葉を失った。
その男性の首筋にはっきりと爪で切り裂いたような痕が残っているのが見えたから……。

「うぐ……」
「? あなた、どうしました? ……えっ?」
「! ……ダメっ!!」

そして、その男性が小さく呻き、隣を歩いていたその人の伴侶と思われる女性に凭れかかった。
それを心配したのか、彼女は心配そうに彼に声をかける。
だが、その瞬間、彼女の顔が引きつった。
彼の姿が鬼の姿へと変貌していたからだ。
そして、鬼へと変貌してしまった彼は、彼女の事を襲いかかった。
辺りに彼女の悲鳴が響き渡り、それに驚いた人々が足を止め、ざわつき始める。
そんな光景を見てしまった禰豆子は、二人の事を助けずにはいられなかった。
人混みをかき分けて顔を隠す為に巻いていた襟巻きを禰豆子は、躊躇う事なく外すと鬼となった彼を彼女から引き離して襟巻きを口に咥えさせた。

「あなた!!」
「奥さん! こちらよりもまずは、自分の事をお願いしますっ! 傷口に布を当てて強く押さえてくださいっ!!」

彼に対しての恐怖と心配する感情が入り混じったような声が彼女の口から発せられた。
それに対して、禰豆子は、彼女にそう言うとなんとか彼の事を押さえ込もうと必死に力を入れる。
女である禰豆子にとっては、それもとても大変な事だった。

(大丈夫。きっと……大丈夫!!)

離れているこの場所からでも彼女の傷は、決して致命傷ではない事は禰豆子にもわかった。
だからこそ、この絶対にこの人の事も助けなければという気持ちで禰豆子は必死だった。

「……麗さん、ここは危険だ。向こうへ行こう」
「!!」

だが、禰豆子のそんな気持ちなど知ってか知らずか、彼を鬼へと変えた張本人である無惨は、隣で青ざめている妻と子供を連れてその場から離れようとしていたのが禰豆子には見えた。
だが、それを引き止める事など今の禰豆子には出来なかった。
この人の事を放っておく事なんて出来なかったから……。
悔しかった。せっかく、お兄ちゃん行方を掴むチャンスだったのに……。
けど、まだ、諦めたくなかった。

「鬼舞辻無惨! 私は、あんたを逃さない! 何処に行ったって!!」
「? どうしたのかしら? あの子……? ねぇ、月彦さん?」
「…………」

だから、禰豆子は、無惨に向けて大きな声でそう叫んだ。
そうする事しか、今の禰豆子には出来なかったから……。
突如、禰豆子がそう叫んだ為、無惨に麗と呼ばれていた女性は、こちらの方を不思議そうに見つめていたが、無惨は特に何の反応も見せなかった。

「地獄の果てまで追いかけて、必ずあんたの頸に刃を振るう! 絶対にあんたの事を許さない!! そして、お兄ちゃんの事も必ずあんたから取り返してみせるっ!!」
「!!」
「貴様ら、何をしている!」
「酔っ払いか!? 離れろ!!」

禰豆子言葉に対して無惨がどんな反応をしたのか、それを確かめる事は禰豆子には出来なかった。
それは、この騒ぎを聞きつけた警官達が禰豆子達の方へとやってきたからだ。
警官達は集まってきていた野次馬達に下がるように命令しながら、禰豆子達の方へと近づいてくる。

「お嬢ちゃんも! 危ないから下がるんだ!!」
「だっ、ダメですっ! 拘束具を今すぐ持って来てくださいっ! お願いしますっ!!」

彼から離れるように命令する警官に対して、禰豆子は必死に首を振ってそれを拒否した。

「やめてくださいっ! 私以外は、この人の事を押さえられません!」
「何を言っているんだ? お嬢ちゃんみたいな子でも押さえられているんだから、我々でも大丈夫だよ」
「でっ、でも!!」
「なっ、何だ、こいつ!? こいつの顔……これは……正気を失っているのか!? 彼女を引き離すんだっ!!」
「わかった!!」

だが、禰豆子の言葉に警官達が耳を貸す事はなかった。
それどころか彼の様子を見た警官達は、禰豆子を彼から引き離そうとした。
それに対して、禰豆子は彼を庇うように覆いかぶさって必死に警官の手を払い除けようと抵抗した。
今、ここで彼から離れるわけにはいかなかった。
離れてしまったら、彼はここにいる人々を襲ってしまうだろう。
この人の事を殺人鬼には、したくなかった。

「やめてくださいっ! この人に誰も殺させないたくないんですっ! 邪魔しないでくださいっ! お願いしますっ!! …………っ!!」

そう必死に訴え続けていたその時だった。
禰豆子の鼻が不思議な香りを感じ取ったのは……。
そして――――。

「わああぁ! 何だ! この紋様は!?」
「周りが見えないぞっ!?」
「!!」

その声に驚いた禰豆子は、顔を上げて周囲を見渡すと、そこには薄紅色の霧が渦巻いていた。
そして、その霧にのって、菊、桜、梅、牡丹などの様々な花が咲き乱れるような不思議な紋様が辺りに広がっていた。
こんな不思議な光景が広がる理由は、一つしかない。
血鬼術だ。何処かに異能を使う鬼が潜んだいる。
ならば、何かしらこっちを襲ってくるかもしれない。
そう思った禰豆子は、焦った。
彼を押さえ込んでいる為、腰にある日輪刀を禰豆子は抜く事が出来ないからだ。

「あなたは、鬼となった者にも、"人"という言葉を使ってくださるのですね。そして、助けようとしている」

だが、その花の霧の中から現れたのは、着物姿の美しい婦人と書生風の青年だった。
そして、彼女の右手首からは血が滴っていた。
それを見た禰豆子は、この術を使っているのが、彼女だと瞬時に理解した。

「ならば、私もあなたを手助けしましょう」
「……どっ、どうして、ですか? そっ、それに……あなたは……あなたの匂いは……」

彼女の言葉に禰豆子は、酷く困惑した。
この人達は、確かに鬼であるはずなのに、鬼特有の異臭も全くしなかったから……。
一体、彼女達の目的が何なのか、禰豆子にはわからなかった。
そんな禰豆子に対して、彼女は静かに頷いた。

「そう。私は……鬼ですが、医者でもあり、あの男――鬼舞辻を抹殺したいと思っています」

そして、彼女から発せられたその言葉に禰豆子は、さらに驚く事になるのだった。









守るものシリーズの第18話でした!
今回でついに禰豆子ちゃんと無惨様が初対面します!
そして、名前は出ていませんが、珠世様と愈史郎くんもでてきますっ!!
前回の沼の鬼の話はかなり端折ってしまったので、浅草編は頑張って書けたらいいなぁと思っています!

【大正コソコソ噂話】
禰豆子ちゃんも炭治郎くんと同様、初めての都会に人酔いしました。
原作にはあまり書かれていなかったのですが、都会には色んな匂いも蔓延っていそうなので、それにも禰豆子ちゃんは酔いそうだなぁと勝手に思いました。


R.3 1/13