ヒュウウウッと風が逆巻くような音が手鬼の耳に届いた。
その音は、あの時にも聞いた事のある音だった。
あの時の、アイツも同じ音を立てたんだ。

「鱗滝!!!」

そう叫んだ瞬間、手鬼は禰豆子によって見事に頸を斬り落とされてしまった。
頸は勢いよく飛び、胴体から少し離れたところに落ちる。
そして、頸が無くなった胴体がどんどん崩れて消えていくのを手鬼はただ見ているしか出来なかった。

(くそっ! くそっ! くそォオ!! 死ぬ!!)

コイツも汚いものを見るような目をするんだろう。
蔑んだような目で俺を見るんだ。

(くそっ! 目を閉じるのは、怖い……)

でも、頸の向きを変える力など手鬼には残っていなかった。

(最後に見るのが、鬼狩りの顔だなんて……)

そう思っていたはずなの手鬼が目にしたものは、とても哀しそうな表情を浮かべた一人の少女姿だった。


~どんなにうちのめされても守るものがある~


――――……とても、哀しい匂いがすんだ。

以前、兄――炭治郎が鬼に襲われそうになった時に禰豆子は、偶然遭遇した事があった。
その時も義勇に助けられてお兄ちゃんは無事だった。
だが、崩れて消えていくその鬼に対してお兄ちゃんは、優しく手を伸ばして見守っていた。
己の事を襲ってきた鬼に対して……。
そんなお兄ちゃんの行動が禰豆子には理解出来ず、どうしてそんなのことをするのかをお兄ちゃんに訊いた事があった。
すると、禰豆子のその問いに対して、お兄ちゃんは少し困ったようにそう答えたのだ。

――――……きっと、みんな、鬼になりたくてなった鬼ばかりじゃないんだと思う。だから、神様にお願いしてたんだ。……今度、この人が生まれる時は、鬼になりませんようにって。

その時は、お兄ちゃんの事の方が心配で鬼の感情なんかわかりたくもなかった。
けど、今は違った。
鱗滝の鍛錬のおかげで嗅覚も以前より鋭くなった禰豆子にもわかった。
この鬼からもとても哀しい匂いがする事が……。
この鬼も元は人間だったんだ。お兄ちゃんと同じ様に……。
そう考えたら、禰豆子の足は自然と手鬼の胴体へと向かっていた。
そして、何かを求めるように差し伸べられた大きな手をギュッと握り締めた。
この場にお兄ちゃんがいたら、きっと同じ事をしていただろうと思いつつ……。

「……神様……どうか……この人が今度、生まれてくる時は……鬼になんてなりませんように……」
「!!」

その思ってもみない禰豆子の行動に手鬼は、心底驚いた。
それと同時に自分が人間だった頃の記憶が蘇ってきた。
人間だった頃、怖がりだった俺の手をいつも優しく握ってくれた兄ちゃんの事を……。
そんな優しい兄ちゃんの事を俺は、噛み殺してしまったんだ。

(……兄ちゃん。ごめん。ごめんな……)

もういくら謝ったって兄ちゃんには、この声は届かない事くらいわかっているのに、謝らずにはいられなかった。

(兄ちゃん。兄ちゃん、もう一度だけ……手ェ握ってくれよ……)
――――しょうがねぇなぁ。いつまでも怖がりで。

気のせいかもしれないが、そう言って兄ちゃんが俺の手を握ってくれた気がする。
それが、手鬼が見た最期の顔だった。





* * *





(……錆兎。真菰ちゃん。私……勝てたよ)

崩れ消えゆく手鬼の事を最後まで看取りながら、そう禰豆子は思った。
もう安心していいんだよ。
他に殺された子供たちもきっと帰るという約束通り帰ったんだよね。
例え、魂だけになっても大好きな鱗滝さんの所へ……。
あの故郷の狭霧山へ……。
もし、死んでいたら私の魂もきっと鱗滝さんの所に帰っていたかもしれない。
でも、もう大丈夫だから……。
私は、ちゃんと生きて鱗滝さんの所に帰るからね。
だから、もう安心して見ていてね。
そう決意を新たにした禰豆子は、残りの七日間もこの藤襲山で最終選別をこなしていくのだった。





* * *





そして、禰豆子は鬼が潜む藤襲山の山中で無事に七日間生き残る事に成功し、晴れて鬼殺の剣士になれた。
七日間後の早朝にあの場所に戻った禰豆子の衝撃は凄かった。
そこにいたのは、禰豆子を含めても四人しかなかったからだ。
最終選別が始まる前には少なくとも二十人はいたはずだったのに……。
そして、手鬼に襲われた時に助けたあの候補生の姿もそこにはなかった。
それほどまでに、この最終選別が過酷であったという事を改めて実感させられた。
それから隊服を支給してもらう為に身体の寸法を測ってもらい、連絡用の鎹鴉も一人に一羽ずつ与えられた。
その後、自分専用の刀を作ってもらう為に玉鋼を選ぶ事になった。
その時、一人の少年が何故だか突然怒り出して説明をしてくれていた白髪の子に乱暴を働いたので、禰豆子は彼に蹴りを一発食らわせてその場は黙らせた。
最終選別後も色々とトラブルに巻き込まれたが、なんとか玉鋼を選んで隊服も作ってもらい、禰豆子は鱗滝が待つ狭霧山を目指した。
正直、自分の考えが甘かったと、禰豆子は思った。
最終選別では、手鬼との戦いの後に八人の鬼と出会ったのだが、どの鬼も真面に話せる状態ではなく、問答無用で襲いかかってきたので、鬼舞辻無惨に関しての情報を何も聞き出す事ができなかった。
一刻も早く帰って鱗滝さんの事を安心させてあげたいのに、身体中痛くてなかなか思うように進めなかった。
手鬼での戦いで負った額の怪我は、自分なりに手当てをしたが、歩き度にズキズキと痛んだ。
そのせいもあり、狭霧山の麓に辿り着く頃には、もう日が暮れてしまっていた。

(……よかった。……ちゃんと、戻って来られて)

そう禰豆子がホッとしたその時だった。
鱗滝が暮らしている小屋の扉が動き、誰かが出てきたのは……。
それは間違いなく、鱗滝だった。
そして、鱗滝は、禰豆子の姿に気づくと驚いたようにその場から動かなくなった。

「……あっ……あの……鱗滝さん……ただ――――っ!!」

それに気付いた禰豆子は、鱗滝へ近づこうと足を再び進めようとしたのだが、体勢を崩してしまった。
それにいち早く気付いた鱗滝が禰豆子の許へと駆け寄り、抱きしめるようにして禰豆子の身体を支えた。

「すっ、すみません! 鱗滝さん、私……」
「もういい……何も言うな……」

それに対して禰豆子は、慌てて謝ろうとするのを鱗滝がそう言って遮った。
その鱗滝の声は、今にも泣きそうなものだった。
いや。天狗のお面を付けていたからすぐに気付けなかっただけで、彼は泣いていた。

「…………よく生きて戻った!!!」
「っ! ……鱗滝さん……ただいまですっ!!」
「……あぁ、おかえり、禰豆子」

こうして、二人は暫くその場で抱き合って、涙を流し続けるのだった。





* * *





「…………やはり、その傷は消えなかったか」

狭霧山に戻って十五日という日数が経った。
その間、ボロボロだった禰豆子の身体を鱗滝が看病してくれたおかげで大分よくなったのだが、手鬼との戦いで負ってしまった額の傷だけは痕になってしまった。
やっぱり、自己流で手当てしたのが、よくなかったのかもしれない。

「……すまなかった。その痕は、おそらく一生残ってしまうだろう」
「いえ。これは、鱗滝さんのせいじゃないですから。痕だってこうやって、髪で隠せばいいだけですし」
「だが、お前は女だ。それでは……嫁に行けぬだろう」
「あっ、それなら全然大丈夫です。私、お兄ちゃんの事を見つけるまでお嫁になんていく気ありませんから」

そう、私はお兄ちゃんを捜す為に鬼殺の剣士になりたいと思ったんだ。
だから、今はお嫁に行く事など考えている暇はないのだ。
そう考えると寧ろ、この痕はあった方がいいかもしれないと思えてくる。
傷物の女を嫁に欲しいと言う男などそうはいないだろうから……。

「それに……これで、お揃いにもなりましたから……お兄ちゃんと……」

いつも私たちの為に無茶ばかりしていたお兄ちゃん。
そんなお兄ちゃんの額にも同じように傷痕があるのだ。
だから、この傷痕はお兄ちゃんとお揃いだと思うとそれだけで嬉しい気持ちにもなれた。

「…………そうか」

そんな禰豆子の言葉を聞いた鱗滝は、もうそれ以上、傷痕については何も言わなくなった。
そして、それから程なくして一人の男が狭霧山へとやってきた。
その男の名前は、鋼鐵塚といい、禰豆子の刀を打ってくれた人らしい。
彼も鱗滝のようにひょっとこのお面を付けていたせいでどんな顔をしているのかわからなかったが、人の話は聞かない人だと言うことはよくわかった。
彼は日輪刀について一方的に説明をしてきた。
日輪刀の原料である砂鉄と鉱石は、太陽に一番近い山で採れ、猩々非砂鉄・猩々非鉱石は、陽の光を吸収することが出来る鉄らしい。
故に、鬼の命を絶つ事が出来る武器が作れるらしい。

「さぁさぁ、刀を抜いてみな。日輪刀は、別名『色変わりの刀』と言ってなぁ。持ち主によって色が変わるのさぁ」

日輪刀についての説明を漸く終えて家の中に上がった鋼鐵塚から日輪刀を受け取った禰豆子は、ゆっくりと刀を抜いた。
そして、抜刀した直後に刀身の色が徐々に色が変わっていく。
その様子を見た鱗滝と鋼鐵塚が驚いたように息を呑んだのが、禰豆子にもわかった。
禰豆子の刀身の色は……。

「赤から黒に色が変化する刀身だと!?」

そう、禰豆子の刀身の色は、柄の方から切っ先にかけて色が赤から黒に変わるグラデーションとなったのだ。
それは、まるで――――。

「……まるで……血の色みたい……」

赤かった血が時間に経つにつれて酸化して黒く変色していく。
それは、まさにあの時、禰豆子が見たあの光景を思い出させるような色だ。
この刀は、禰豆子に教えているのかもしれない。
鬼舞辻無惨が私たち家族にした事を忘れるな、と……。

「禰豆子……」
「……あっ、すみません。私なら、大丈夫です。それより、あの……この色は、やっぱり、珍しいんですか?」

自分の事を心配そうに声をかける鱗滝の事に気付いた禰豆子は、そう慌てて尋ねた。
その禰豆子の言葉を聞いた鱗滝は、コクリと頷く。

「あぁ。そもそも、漆黒の刀自体、あまり見ない。ましてや、こんな風に色が変調する刀は、初めて見た」
「そう……なんですか……」

鱗滝の言葉に禰豆子は、少し不安を感じた。
確かに、最終選別の為に彼から借りた日輪刀の色も流麗な水色だった。
それに比べて禰豆子の刀の色は、血溜まりみたいな不吉な色合いだ。
この刀で、本当に鬼狩りが出来るだろうか……。

「キーーッ! 俺は、もっと、鮮やかな赤い刀身が見たかったのにっ!! クソーーッ!!」
「ちょっ、ちょっと、落ち着いてくださいよっ! 大体、あなた、何歳なんですか!?」
「三十七だ!!」
「えっ……」

大声を上げて暴れる鋼鐵塚の年齢を知った禰豆子は、思わずドン引きしてしまった。
本当に世の中には、色んな人とがいるんだなぁ……。

「カアァ! 竈門禰豆子ォ! 北西ノ町ヘェ向カエェ!! 鬼狩リトシテノォ最初ノ仕事デアル!!」
「!!」

すると、今までずっと静かだった鎹鴉が突如そう喋り始めた。

「心シテカカレエェ! 北西ノ町デワアァ! 少女ガ消エテイルゥ! 毎夜! 毎夜!!」

こうして、禰豆子は、鬼狩りとしての初めての任務にあたる事になるのだった。









守るものシリーズの第16話でした!
今回は、手鬼との決着から一気に初任務に向かうまでのところまでを書きました。
禰豆子ちゃんの刀身の色については、義勇さんと同じ水色にするか非常に迷いましたが、赤から黒へのグラデーションに最終的に決めました。
そして、禰豆子ちゃんでもきっと鋼鐵塚さんの年齢を聞いたらドン引きすると思っていますwww

【大正コソコソ噂話】
禰豆子ちゃんが支給された隊服は、カナヲちゃんと同じくスカートスタイルでした。
しかし、それを見た鱗滝さんによって、自分が昔着ていたズボンを仕立て直して禰豆子に着させました。
そして、禰豆子ちゃんが旅立った後、例の隠しにクレームを入れたとか入れていないとかwww


R.3 1/13