それから数日後、馬車は以前通った道を正確に辿り、バーナビーの住んでいた都へと戻ってきた。
都に戻ってから程無く馬車は、バーナビーが生まれ育った下町へと辿り着いた。
バーナビーは、その光景を窓から目を細めて眺めた。
古ぼけた石の建物や黒ずんだ期の建物、煙突から立ち上る黒い煙、崩れ落ちた漆喰や柵、すえた臭いのするゴミ捨て場。
粗末な前掛けをし、洗濯物を抱えた女性たち。
柵に腰掛け、石を地面に投げながら遊んでいる幼い子供たち。
荷馬車に荷物を積むのを手伝っている十代前後の子供。
それほど月日が流れたわけでもないのに、どの光景も懐かしかった。
この町を去る時にもう二度と帰ってくる事はないだろうと思っていたのに、結局戻って来てしまった。
(……みんな、呆れるだろうか)
身内がいる事を知り、嬉しそうにこの町が去っていったバーナビーがあっさりと戻って来てしまったのだ。
不意に頭の中でバーナビーと再会したこの町の友の反応を想像してしまい、気まずい思いにとらわれた。
それでも、もうあの城には戻りたくはなかった。
少しくらい恥ずかしい思いをしたって構わなかった。
町のみんなにちゃんと「ただいま」と言うのだ。
きっと「おかえり」と言ってくれる。
そして、今度こそ、バーナビーはこの町に骨を埋めるという決意をするのだった。
~ワイルドタイガーの指輪~
「ふふ……。今日は、何ていい日なの」
「カリーナ。なんだかとっても上機嫌だね? 何かあった?」
「そんなのあいつがいなくなったからに決まってるじゃない」
その日、カリーナは上機嫌で廊下を歩いていた。
そんなカリーナの様子を見て首を傾げたパオリンに対しても彼女は、嬉しそうにそう答えるのだった。
そう、この城からバーナビー・ブルックスJr.がいなくなったからである。
朝の紅茶も美味しくいただけたし、自慢の髪形もなかなかいい感じに決まった。
目覚めてから今まで、彼女は邪魔者がいなくなった解放感をたっぷりと味わっていたのだ。
そして、この城の主であるネイサンの部屋までパオリンと共にやって来るとカリーナは、扉をノックした。
暫くすると「どうぞ」という声が聞こえてから二人は部屋へと入った。
「ごきげんよう。ネイサンおば様」
「おはようございます。ネイサンおば様!」
明るい笑顔をまき散らし、カリーナはネイサンに朝の挨拶をした。
それに続けてパオリンも慌てて挨拶をする。
「ごきげんよう。カリーナ、パオリン。今日は、どうかしたの?」
「まぁ、いやですわ。ネイサンおば様ったら。お忘れですか? バーナビーが今朝、この城を出て行った事を。指輪の主になる事を放棄した事を」
「そうだったわね」
「まぁ! おば様ったら、何を浮かない顔をなさっているんですか? まさか、私とのお約束をお忘れになったわけではないですよね?」
「約束?」
カリーナとネイサンのやり取りを見てパオリンは不思議そうな表情を浮かべた。
彼女だけこの場の状況が呑み込めていなかったからだ。
そんな二人に対してネイサンは、漸くこちらへと目を向けたので、更にカリーナは言葉を続ける。
「もし、バーナビーが指輪の主として相応しくない……或いは、タイガーがバーナビーを認めなかった場合は、指輪を所有する権利を私達のもとへと戻ってくると」
その言葉を口にしただけでもカリーナの胸はときめいた。
"指輪を所有する権利"
それは、とても素晴らしい響きだとカリーナは思った。
幼いあの日から、カリーナはその事だけを夢見てきたのだから……。
タイガーに相応しい魔術師になろうと人一倍努力だってしてきた。
それが、突然素性のわからぬ、あの金髪の青年の出現で一気に無に帰りそうになったのだ。
その時のカリーナの怒りは今でも鮮明に思い出せるくらい凄まじいものだった。
(……私は……あいつの事を絶対に許さないわよ、バーナビー!)
実際、バーナビーの指にタイガーがタイガーが嵌まっているのを見た時は、一瞬本気で殺してやろうかと思ったくらいだった。
もし、あの時――あの儀式が始まる直前にネイサンがバーナビーの寝室へとやって来なければ……。
「えっ? えっ? そんな約束、いつしたの!?」
「この城に来た直後よ」
「え~~っ! なんでボクに教えてくれなかったの!?」
「別に教えたって、状況は変わらないでしょ?」
「そうかもしれないけど、ヒドイよ! ボクの事、除け者にしようと思ったの!!」
「そんなつもりはないわよ。……本当にそうするんだったら、一緒にここに来ないでしょう?」
そう。カリーナは、決してパオリンの事を出し抜いたつもりなどはなかった。
ただその方が動きやすかっただけで、パオリンの事を嫌っての行動ではない。
彼女は、あいつとは違って自分と同じ志を持つ人物だから……。
「それで、おば様。タイガーは何処ですか? バーナビーが候補者から除外された時、私達と正式に引き合わせてくださるとお約束してくださいましたでしょう? 私、昨夜は楽しみで楽しみで眠れませんでした」
「…………」
すると、カリーナの言葉に対してネイサンは、少し困ったような表情を浮かべた。
そのような表情を彼女が人前で浮かべるのは大変珍しい事なので、カリーナだけでなくパオリンも不思議に思った。
「どうしたの? ネイサンおば様?」
「……カリーナ、パオリン。残念だけど、それは出来ないの」
「「えっ?」」
その予想だにしていなかったネイサンの言葉に二人は、目を見開いた。
特にカリーナにとっては、まさに天地がひっくり返るような衝撃を与えるような言葉だった。
それでも、その理由を何とかネイサンから聞き出そうとカリーナは口を開いた。
「お、おば様……今、何て……?」
「誤解しないでちょうだい。今の言葉は、あなたが考えているような理由からじゃないのよ。ワイルドタイガー……指輪は、今、この城にはないのよ」
「「…………えっ?」」
一瞬、カリーナもパオリンもネイサンの言葉の意味がわからず、キョトンとした。
そんな二人の様子を見たネイサンは、一言だけ呟いた。
「ハンサムが持って行ってしまったのよ」
その言葉にカリーナ達は、ショックのあまり絶句するしかなかったのだった。
* * *
「…………バーナビー!」
バーナビーを乗せた馬車がかつてバーナビーが住んでいた場所の前に止まった時、誰かが驚いたように窓から顔を出し大声を上げた。
「バーナビーだ!」
「本当だ。バーナビーだっ!」
そして、その声に反応するかのように別の声も聞こえた。
すると、あちこちから声が聞こえてきて、バラバラと懐かしい姿が四方八方から現れる。
バーナビーも嬉しくなって、馬車から急いで降りた。
「バーナビーが帰ってきたぞぉ!」
「バーナビー!」
「バーナビー、どうしたの?」
突然戻ってきたバーナビーの姿に驚いて、かつての友が駆け寄ってきた。
随分と懐かしい気がして、胸が熱くなった。
そんなバーナビーの様子を見て、一人の少女が心配そうにバーナビーの顔を覗き込んだ。
「どうしたの? 何かヘマでもやって叔母さんに追い出されてしまったの?」
「違います。僕の方から出てきました。……やっぱり、僕には、貴族の生活なんて無理でした。やっぱり、僕には、この町が一番なんです」
少女の言葉を聞いたバーナビーは、首を振ってそう言った。
それから言いづらそうにまた言葉を続ける。
「……もう一度……僕をこの町の仲間に入れてもらえますか?」
「当り前じゃない! 戻ってくれて嬉しいわ、バーナビー!!」
「ちょっと、予想より早かったけどな!!」
躊躇うようなバーナビーとは裏腹に町の子供達は、歓迎するような声を上げてくれた。
中には、からかうような声も飛んでいたが、それすらもバーナビーには温かい響きだった。
「あんたがいなくなって、とっても寂しかったのよ!」
「安心して。バーナビーの部屋もまだあのまんまよ。あたしたち、大家さんに掛け合ってあげる!」
(……やっぱり、この町が僕の居場所なんだ)
肩や背中に触れる懐かしい手。
それは、あの広くて寂しい城とは、全然違った。
町の人達は、一度出て行ったバーナビーを受け入れてくれた。
それが、こんなにも嬉しいなんて……。
血の繋がりだとか、本当の家だとか、そんなものは最初から関係なかったのだと、改めてバーナビーは思い知らされた。
「……ねぇ、バーナビー」
すると、一人の少女がバーナビーの許へ駆け寄ってきた。
「…………あの、バーナビーと一緒に馬車から降りてきた人って、バーナビーの知り合い?」
「えっ?」
彼女が言っている言葉の意味をバーナビーは、すぐには理解する事が出来なかった。
あの馬車に同乗していたのは、御者を除けばユーリだけで、彼は降りてなどいなかった。
じゃぁ、一体誰が――。
「そうだぞ。おじさんは、バニーのお友達なんだぞ♪」
「!!」
その思ってもみなかった声にバーナビーは、漸くその方向へと視線を向けた。
そこには、ここにいる筈などない人物の姿が確かにあった。
漆黒の髪に琥珀色の瞳を持った彼の姿が……。
「……あっ、貴方…………何で、ここに!?」
そのバーナビーが驚く姿を見て、彼――虎徹は、ただ悪戯っぽく笑って見せるのだった。
ワイルドタイガーの指輪シリーズ小説の第16話でした!!
バニーちゃんは無事に町に到着!
そして、あの夜に感じた気配の正体は、実はカリーナちゃんでした!カリーナちゃん怖いwww
バニーちゃんは、相変わらず虎徹さんの本体が指輪だという認識が薄くて笑えますwww
R.1 3/14