はるか昔、人々がまだ『正義』という言葉の知らなかった時代に一人の女神がシュテルンビルトの大地に小さな町を創った。
町の人間は、欲望のままに略奪を繰り返しては、互いを傷つけ合い暮らしていた。

『汝、己の業を悔い改めよ。さもなくば天罰が下るであろう』

女神から数々の天罰を下されてても尚、正しい心を持とうしない人間たち……。
最後に女神は全てを無に還すべく、町を覆い尽くすほどの暗く深い大穴を開けた……。
これが、人々に伝わる女神伝説の全てだ。
だが、この伝説には人々に隠された真実が存在していた。
それを知る者は限られた人間のみに長きに渡って受け継がれていたのだった。


~君、思フガ故~

「だああぁぁっ! 何でこんな時期に健康診断なんてしなきゃいけねぇんだよっ!?」

アポロンメディアのヒーロー事業部に一つの声が響き渡った。
その人物は、漆黒の髪に琥珀から金色に輝く瞳がとても印象的な男である。
その容姿とスタイルから見れば、その男が40代近いとは誰も想像がつかないだろう。
男の名前は、鏑木・T・虎徹。
このアポロンメディアに所属するヒーロー、ワイルドタイガーその人である。

「そんな事言わないでくださいよ、虎徹さん。これは、社員全員が対象なんですから」

そんな虎徹に対して、金髪に翡翠の瞳が印象的な美青年が諭すようにそう言った。
青年の名前は、バーナビー・ブルックスJr.。
彼もまた虎徹と同じくアポロンメディア所属のヒーローであり、公私共に虎徹の相棒である。
その美しい容姿から女性からは絶大な人気を誇っている。

「だってよぉ~、数か月前に人間ドックやったばっかじゃん。何でまたやんのさぁ;」
「仕方ないじゃないですか。新CEOの提案なんですから」

アポロンメディアはマーベリック事件以降CEO不在のままずっと経営が続いていたが、この数日前に漸く新しいCEOが就任したのだ。
新しくCEOに就任したマーク・シュナイダーは若くして事業を起こして、成功しているカリスマ実業家である。
そんな彼がアポロンメディアのCEOとして就任して最初に行った事がこの健康診断であった。
この事からマークはアポロンメディアの社員の身体を気遣う優しい人物だとバーナビーは思った。

「ヒーローは身体が資本なんですから、こういった機会を貰えるのはありがたいと思うべきですよ」
「けどさぁ、また針とか注射とかすんだろ? 嫌だなぁ」
「…………もしかして、虎徹さん。注射が怖いですか?」
「! そっ、そんなわけねぇだろうがっ! ちゅっ、注射なんて……怖くねぇよっ!!」
(図星ですか;)

バーナビーの問いに虎徹は、思わず立ち上がり、そう言った。
だが、その声が明らかに裏返っていた為、バーナビーにはそれが図星であることがすぐに理解できた。

「とにかく、さっさと行って終わらせますよ。この後だって、スケジュールが詰まっているんですから!」
「いっ、嫌だっ! 今回は受けたくねぇ! 俺、何処も身体悪くねぇもんっ!!」
「そんな、かわいこぶって言ったって駄目だものは駄目ですよ。行きますよ、虎徹さん」
「ヤダヤダヤダ! 絶対嫌だっ!!」
(くっ!こ の人は……!)

こんな時に限ってこの人は子供っぽく駄々をこねる。
それが無性に可愛いと思ってしまう僕はある意味重症かもしれないが……。
だが、後のスケジュールを考えるとここで折れるわけにはいかないのだ。

「………虎徹さん。いい加減にしないと、ここで犯りますよ♪」
「なっ/// バニーちゃん、変な冗談やめろって!」

そうバーナビーが爽やかな笑みを浮かべて言った。
それに対して虎徹は顔を真っ赤にしながらそう言った。
それもバーナビーには可愛くて仕方なかった。

「僕は至って真面目ですよ。なんなら、今すぐ貴方を押し倒して始めましょうか?」
「………いい。ちゃんと行くから;」
「ちょっと、残念ですが、わかればいいんです♪ では、さっさと行きますよ」
「へ~い;」

このままだと本当にバーナビーがそれをやりかねないと本能的に感じ取ったのか、虎徹はそう言わざる得なかった。
そして、虎徹は渋々健康診断を受けるのだった。





* * *





「……お~い、マークさん。いねぇの?」

その夜、とある屋敷に一人の訪問客が訪れた。
派手な金髪の頭にサングラスを乗っけた青年は、屋敷の呼び鈴を鳴らすが、一向に扉が開く気配はなかった。

「……なんだよ。こっちは長旅で疲れてんのに、出迎えもなしかよ;」

遥々異国の地からここ、シュテルンビルトに青年――ライアン・ゴールドスミスはやって来たのだ。
ヒーローを生業にする者にとっては、憧れでもあるこの地に。
そして、何よりも憧れのあの人がいるこの地に……。

「……もう、勝手に上がらせてもらうぞっ!」

そう言うとライアンは苛立ったようにドアノブに手をかけて扉を開けた。
屋敷の持ち主は、ご在宅中らしく鍵はかかっておらず、扉はすんなりと開いた。
俺が言うのもなんだが酷く不用心である。

「お~い、マークさん……」

だが、部屋の中は電気がついておらず真っ暗であった。
そんな真っ暗な屋敷の中をライアンは進んでいく中、地下室へと繋がる階段を見つけた。
その地下室が妙に気になり、地下室へと足を運んだ。
その扉へ近づくと微かに人の気配を感じた。
どうやら、あの人はここにいるらしい。

「マークさん、いるのか? 入るぞ」

ライアンはそう断りを入れてから地下室の扉を開けた。

「くっ! 何だよ、この臭い……っ!!」

扉を開けた途端、部屋の中から異臭が漂ってきたので、ライアンは思わず鼻を摘まんだ。
その異臭は錆びついた鉄のような。いや、これは血の臭いだろう。
血生臭い臭いがこの部屋の中を支配していた。
その臭いの根源が何なのか、薄暗い部屋を見ればすぐにわかった。
その部屋には、部屋を埋め尽くさんとばかりの血の入った小瓶がビッシリと並んでおり、一つの石板があった。
その石版は、血でどす黒くなっており、まるでその石版が血を欲しているように見えた。

「……ライアンか。思ったより、早かったな」
「!!」

その薄暗い部屋から一つの声が響いたことにライアンは驚いたように瞠目した。
目を凝らしてよく見るとそこには、自分が捜していた男の姿があった。

「マークさん。……なんなんですか、これ……;」
「これか? これは、アポロンメディア社員全員分の血液だよ。ちょっとした調査の為に皆から拝借させてもらった」
「ちょっ、ちょっとした調査には、どう見たって見えませんけど;」

男――マーク・シュナイダーの言葉にライアンは思わず顔を引き摺らせた。
その調査が何なのか俺はわかっているから問題ないが、何も知らない奴がこんな光景を見れば、間違いなくマークを猟奇的だと思うに違いないだろう。

「だが、そのおかげで漸く見つけた」

そうマークは静かに言うと大量にある血液の入った小瓶の一つを迷うことなく手に取ると、石板へとその血を一滴垂らした。

「!!」

血が石板に触れた瞬間、どす黒かった石板が眩いばかりの光を放った。
その光景を見たライアンは思わず息を呑んだ。

「……審判の日は、近い。お前には、色々と手伝ってもらうぞ、ライアン」

やっと、見つけたのだ。
我々があの審判の日を生き残る術を。
血塗られたあの女神伝説が再び動き出したことにこの時はまだ誰も知る由もなかった。





* * *





「虎徹さん! どういう事ですかっ!?」

そう言って、ヒーロー事業部のオフィスに怒鳴り込んできたのは、バーナビーだった。
そして、その瞬間バーナビーは思わず立ち竦んでしまった。

「虎徹さん。……一体、何をしているんですか……?」
「何って? 見りゃわかるだろ?」
「だから、どうしてデスクを片付けているのか僕は訊いているんですっ!!」

バーナビーの問いに虎徹はケロッとした表情でそう言ったので思わずバーナビーはそう声を張った。
バーナビーがヒーロー事業部で見た光景は、虎徹が自分のデスクを片付けている姿だったからだ。

「お前も聞いただろ? あの辞令を。だから、ここは俺じゃなくて、バニーと新しく組む奴が使うんだってよ。俺は、部屋の関係で一時的に地下倉庫に移動だってさ」
「! ……まさか、あんな話を素直に受け入れるつもりですかっ!? 僕とのコンビ解消をっ!!」

先程、バーナビーはマークに呼び出され、とある辞令を聞かされたのだ。
その内容は、虎徹とは違う人物と新たにコンビを組んで一部リーグ復帰するというものだった。
確かに、一部リーグには前々から戻りたいとは思っていた。
だが、それはあくまでも虎徹さんと一緒にだ。
虎徹さん以外の人物とコンビを組んでまで一部リーグに戻りたいとは思っていない。
僕の相棒は虎徹さん以外あり得ないのだから。

「しょうがねぇだろ。会社の方針がそうなんだから」
「ですがっ!!」
「それに……これは、俺が頼んだ事だしな」
「!?」

虎徹の言い分にバーナビーは反論しようと口を開いたが、次に虎徹から発せられた言葉に絶句した。

(虎徹さんが……頼んだ……?)
「うっ、嘘ですよね? そんな訳……」

この人はまた、そんな事を言って僕が困るのを見て楽しんでいるだけに違いない。
そうだ。きっとそうに決まっている。
そうでなければ、この人がこんな事を言うはずがないのだ。
虎徹さんから僕とのコンビを解消しようだなんて……。

「本当だ。俺はいいから、バニーを一部に戻してやって欲しいってな」
「!? どうしてですかっ!?」

だが、虎徹から帰ってきた言葉はその希望を打ち砕くようなものだった。
何故、彼がそんな事を頼んだのか、バーナビーにはわからなかった。

「だってお前、一部に戻りたいって言ったじゃんか」
「確かに言いましたけど、それはあくまでも虎徹さんと一緒にという意味で……」
「そんなんじゃ、いつまで経っても一部に戻れねぇだろ?」

バーナビーの言葉に虎徹はデスクを片付ける手を休めることなくそう言った。

「こんな年寄りにいつでも付き合ってねぇで、ちゃんと自分の力を発揮できる場所で活躍して来いよ」
「…………それ、本気で言ってるんですか?」

虎徹の言葉にそう静かにバーナビーは言った。

「僕が貴方以外の人とコンビを組んでも、虎徹さんは平気なんですか?」
「…………」

バーナビーの問いに虎徹はすぐには答えなかった。
お願いです、虎徹さん。せめて、嫌だと言ってください。
虎徹さんも僕と同じ想いなんだと信じさせてください。
それさえあれば、僕は……。

「虎徹さん……」
「…………それが……バニーの為になるなら、俺はかまわねぇよ」
「!!」

違う。僕が虎徹さんから聞きたかった言葉はこんなんじゃないのに。
どうして、この人は自分の気持ちを素直に打ち明けてくれないのだろう。
そんなに僕は、頼りないのだろうか。
今の僕は、虎徹さんにとって必要ない人間なんだろうか。

「…………もういいです。嘘でも違うという言葉を貴方から聞きたかったです」

バーナビーは力なくそう言うと、ヒーロー事業部から足早に出て行った。
もうこれ以上あの場所にいたくなかったからだ。
だから、バーナビーは知らない。
あの場所に残された虎徹がどんな想いを抱き、どんな表情を浮かべていたのかを……。
そこに隠された真実を……。
そのすべてをバーナビーがするのは、まだずっと先のことである。








劇場版-The Rising-のIF小説第2弾でした!
Pixivに先行してあげていた小説となります;
未だに公式から投下された爆弾に色々と引き摺っている今日この頃です;
そして、今回は虎徹さんからバニーちゃんからコンビ解消を頼んだ場合についていろいろと妄想してみました。
虎徹さんは一体何を思ってバニーちゃんにあんなことを言ったんだろうねぇ


H.25 10/22